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🔵ぼくがみてきたFC東京GK達7〜小澤英明選手篇🔴

-Jリーグを代表する2ndゴールキーパー

1992年鹿島アントラーズへ入団(Jリーグ開幕前ですね)すでに鹿島のGKといえば古川昌明選手が活躍し定位置を確保していたため出番は限られています。腰の怪我で鹿島を退団し治療のために渡米。

1998年横浜マリノスへ入団。ご存知川口能活選手もすでに大活躍中で定位置確保はできずセレッソ大阪へレンタル→横浜へレンタルバック。。。。

という道のりを歩みFC東京へ2001年加入しました。
東京でも土肥選手が2000年からゴールを守り続けており貴重な2ndゴールキーパーとして活躍します。

東京でも限られた出場機会でしたが土肥選手が負傷した際のカップ戦は小澤選手がゴールを守り続けました。

いつも落ち着いた表情で慌てず騒がず浮き沈みの少ないメンタルをもっている印象です。
スラーっとした体を投げ出す伸びのあるセービング、PKストップもなかなか得意だったかと思います。

その後塩田選手と入れ替わるかのように2004年鹿島へ再度入団を果たすと今度は曽ヶ端選手のバックアッパーとして鹿島ベンチを温めます。


試合の時だけしっかりとこなす っというわけでなく毎日の練習を重ね 出場機会がいつ来ても良いメンタル、フィジカルを整え1stGKには良い意味でプレッシャーを与える。自分の役割を全うしています。


曽ヶ端選手が怪我で離脱した際はリーグ出場を重ね起用に答えています


そして、2ndGKの最大級の評価というべきか、
ベンチ登録252試合というJリーグ記録を達成します。

試合出場が少ない2ndGK等はチームによって入れ代わり立ち代わりが多いことがあります。しかし鹿島という良GKを多数輩出したチームから契約オファーを出し続けてもらう実力者はなかなかいませんよ。

そんななか、海外でのプレーを希望し
パラグアイのスポルティボ・ルケーニョへ入団するのだからさらにスゴイ。

(東京在籍時からすでにポルトガル語が堪能でブラジル人選手ともしっかりとコミュニケーションを取っていました)

約1年という短い間でしたがとんでもなく貴重な経験をつみ

2011年 アルビレックス新潟へ移籍。若き日の東口選手支える2ndゴールキーパーとして活躍しますが

東口選手が怪我で離脱。新潟ゴールに立つのは小澤選手でキャリアハイの年間出場試合数を記録します。

その後数年新潟でプレーし退団後オファーを受けたりしたようですがチームに入団することなく


現在は千葉県成田市でサッカースクール《Arqueros 》開校し活躍中です

 


と、ツラツラと書いてきちゃいましたが。
小澤選手はGKとしての生き方がとにかくカッコイイですね。ベンチを温める日が続いても 準備を怠らず 出場機会を得たら選手、サポーターに信頼されるプレーを続ける。再度2ndGKになってもまたもくもくと続ける。

先に書いた土肥選手の「試合に出場してこそ!」という生き方も小澤選手の「試合出場できなくとも、今いる自分の立場を最大限に全うする!」という生き方もどちらが正解!という話ではないと思うのですが


こういう選手達の生き様や巡り合わせが
GK好きをワクワクさせるんだろうなぁと思っています。


🔵1974年3月17生 茨城県出身
🔴188cm 84kg
🔵東京在籍 2001-2003
🔴使用グローブメーカー 
uhlsport
🔵出身校 水戸短大附属高
🔴前所属  横浜FM


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