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「自他未分」と「透明性・自己帰属感」

「自他未分とはどういうことか?」という問いを、自分の経験を足掛かりに考えている。

新型コロナウイルスが流行して以降、しばらく遠ざかっていた楽器の練習を再開した。「練習するからには誰かと一緒に音楽を奏でたい」と思い立ち、サックスのオーケストラに入団することに決めた。すでにいくつかの演奏会本番が決まっており、限られた時間の中で何曲も練習しているけれど、誰かと一緒に音楽を奏でる時間は至福だとあらためて思う。

コンサートではグスタフ・マーラーの交響曲第五番の演奏が決まっている。私がクラシック音楽に惹きこまれた原点となる作品。特に、マーラーの伴侶であるアルマに贈られた「愛の楽章」とされる第四楽章「アダージェット」の静謐さは、耳にするたびに心に平穏が戻ってゆく。

ブランク明けということもあるけれど、ていねいに発音して伸ばすだけでも楽しい。一音一音が新鮮に感じられる。そして、何より楽器がスムーズに鳴る瞬間、自分と楽器がひとつになっているように感じられる。そのことが嬉しいのだ。この「自分と楽器がひとつになっているように感じられる」という感覚は、まさに「自他未分」の具体例と言えるのかもしれない。

では「自分と楽器がひとつになっているように感じられる」という感覚を、さらに掘り下げてみたい。そこで参照したいのは、書籍『融けるデザイン ハード × ソフト × ネット時代の新たな設計論』である。同書で紹介されている「透明性」「自己帰属感」というキーワードを手掛かりにする。

「透明性」とは、道具を意識しないで利用できることである。ではなぜ道具を意識しないで利用できることが重要なのか? この答えは比較的単純である。私たち人間は、道具を利用することにより、ある力を得られるからである。ハンマーであれば釘を打つことができ、それは手では到底できない。このように、人の力を拡張する、にもかかわらず実際に利用し始めるとそれ自体を意識しなくなるのだから、いわば何も持っていないのと同じ、つまり自分の身体と同じような感覚でその力を利用できるのである。したがって、道具の「利用」においては、極端に言えば道具は物質ではなくなる。

『融けるデザイン ハード × ソフト × ネット時代の新たな設計論』

自己帰属感とは「この身体はまさに自分のものである」という感覚であり、運動主体感とは「この身体の運動を引き起こしたのはまさに自分自身である」という感覚である。たとえば、目の前のペットボトルを手に取るときに、自分の腕を意図通り動かせていれば、自己帰属感(身体保持感)と運動主体感の両方が引き起こされる。ただ、そこで誰かの腕にぶつかり腕が動かされてしまうと、自己帰属感は保持されるものの、運動主体感は引き起こされない。

『融けるデザイン ハード × ソフト × ネット時代の新たな設計論』

自分の身体が何かの物体・対象(オブジェクト)と、なめらかにつながっているとき、それらは意識されなくなる。すなわち、透明な存在になる。楽器がスムーズに奏でられる瞬間、まるで楽器が自分の身体と一つになっているように感じられる。「楽器=身体がまさに自分のものである」という自己帰属感を実感する瞬間であり、この自己帰属感がある種の「喜び」として立ち現れるのではないか、と思う。

そして、「スムーズに鳴り響く」のは、なめらかに自分と楽器が接続されているからであり、これは自分と楽器の「インターフェイス」が適切に調整されているからと言えるかもしれない。

自他が区別されるのは「自己と他がなめらかに接続されていない時」であり自他が区別されないのは「自己と他がなめらかに接続されている時」と整理できるのかもしれない。

思えば、人は社会的な生き物である。社会の中では他者との協調が必要となる。だから分かり合おうとする。たとえ分かり合えないとしても、分かり合おうとする。この人と人が分かり合おうとする営み、プロセスというのは、自分と他者との間の「インターフェース」を調整するプロセスとも言えるのではないだろうか。たとえ心地のよい関係を築けたとしても、自分と他者も時間と共に変わってゆく。

だからこそ「自他未分」という概念を「絶え間なく自他をなめらかに接続し続ける流動的なプロセス」として捉えてみると、極めて射程の広い概念だと思えてくる。

「なめらかさ」の対極にある「摩擦(コンフリクト)」をいかに適切なものとしていくのか。摩擦は時に対立や争いとしての姿を見せるかもしれない。一方、摩擦はいたずらに無くせばよいというものでもない。たとえば、摩擦があるからこそ人は地に足をつけて自らの足で歩くことができる。この世界、社会に存在する摩擦に気付き、それらを適切な範囲に整えてゆくこと。

これからも「自他未分」を自分事として捉え続けていけたら、と思う。

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