人はなぜグループの一員として行動するのか?
今日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「人はなぜグループの一員として行動するか」を読みました。
本節のタイトルは「人はなぜグループの一員として行動するか」ですが、人の「社会性」に関する根本的な問いであるように思います。実際のところ、なぜ人はグループの一員として行動するのでしょうか。
「誰と協力するのか?」
「何をする上でどのように協力するのか?」
「どのような時に協力するのか?」
「人はなぜ他者に協力するのか?」
顔の見える関係の中で協調するような場面、たとえば家族や組織の中で協調する。あるいは、オンライン空間上で顔の見えない関係性の中で協力する。いずれの場合もありますが、何が協調・協力のカギになるのでしょうか。
「集団が一緒に働くためには、単に習慣が共有されるだけでは不十分で、協力を促すような習慣が共有されなければならない」との著者のコメントが印象的でした。
「習慣を共有している」とは、どのような状態でしょうか。目的意識、合意形成、コミュニケーション、思考、行動。習慣とは、それらの総体として、「ある方向に向かう流れの規則・流れ方」として捉えることができるように思いました。
著者は「パズルのピースがぴたりとはまる」と表現していますが、全てが調和している状態。音が調和、共鳴すると倍音が含まれて響きが豊かになるような。1+1が2以上になるような状態です。
ベル研究所における平均的な研究者とスター(花形)の研究者では何が違うのか調査されたそうです。「チーム内で自分の役割を果たすこと」も協調の一つの在り方だと思いますが、それだけでなく「メンバー全員がチームの一部であるという意識を持たせる」ことが重要。一緒に過ごす時間が長い人の顔を思い浮かべてみると、少なからず何人かの顔が思い浮かびます。
メンバー全員の一体感を醸成するような行動は、時に支援的であり、孤立感を解消していくように思います。著者によれば共同作業の報酬として脳内で「エンドルフィン」が分泌されて幸福感を感じるそうですが、孤立感の解消ともつながっているのかもしれません。
「親しい友人が与える影響」についてふれられていますが、協調に際して「自分と相手の関係がどこまで深いか、親しいか」が重要。顔の見える関係の中で協力や支援を依頼することで、自分の行動がソーシャルネットワークの中で共感を生み、連鎖していく。
その意味では、不特定多数に情報を発信して行動を促す場合、少なからず「私は何者なのか?」という情報を事前に積み重ねて、相手から顔の見える状況にしておくことが大切なのかもしれません。
「私は何者なのか?」というのは、デモグラフィックなことだけではなく、日々の関心や行動の発信なども含まれるように思います。誰も見ていないとしても「何かを発信し続ける」こと。淡々と続けることが、いつか芽を出す時が来ると信じて。
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