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同時性、複数性、そして縁起。

テーマを決めず、ただただ直感にしたがって手に取った本をあれこれ同時に読み進めるのが好きです。というよりも、一つの本を読んでいると、何かの言葉にふれたときに「そういえばあの本にも書いてあったような…」ということで他の本を読み始めてしまう、なんてことが多いです。

こうして自然と「発散と収束」を繰り返しているわけですが、まったく同じ言葉でも文脈が違えば、意味や質感も変わってきますす。また、同じ言葉が糸と糸の結び目のように、全く異なる分野、文脈、世界の交点となって格別な音を全身で浴びたかのように鳥肌が立つ瞬間もあります。

無理に何かを混ぜようというよりも、自然と何かが自分の中で結びついてしまう。その結びつきが本当のところ「正しい」のかどうかは分かりません。ただ、意識や意思の力とは全く違う何かの力が働いていて、コントロールしようと思ってもできるものでもなく。そういうものなのでしょう。

そうした結びつきが起きる時というのは、自分の心と身体がリラックスしている時が多い気がします。何かと何かが結びつくというのは、むしろギュッと「緊張している」イメージなのに、心と身体はそれとは結び目がほどけるように「緩んでいく」という、真逆の感覚が調和している。なんとも不思議な感じで、なんというか「ご縁」ですね。

同時性、複数性、そして縁起を大切に。

今日もまた、高木正勝さん(映像作家・演奏家)のエッセイ集『こといづ』からの言葉を受けて思ったままに綴ってみました。

100度のお湯と0度の水。相反するものが出合うと、何が起こるのだろう。混ざりあわずに、アチチッ! と冷たい! が行ったり来たりしてもいいのに、熱湯と冷水は次第にお互いの中間点(ぬるま湯)に落ち着くらしい。しかもできるだけ効率のいい方法で、さっさとバランスの取れた穏やかな世界に辿り着きたいから、それで対流が起こったりするらしい。

高木正勝『こといづ』 ちからのなみ

耳を澄まして、躰でよく聴いてみる。ピアノの調律を教えてもらった。例えば、「ド」と鳴らしてみる。先入観を捨てて、ただ響きに耳を傾けてみる。「とっうぉぉおお〜〜ーー」と音の振動、音の波を感じ取れる。次は「ソ」を鳴らす。さっきより早い波「つぉおお〜ーー」。今度は、ドとソを同時に鳴らしてみる。「どぅお〜〜ーーぐわ〜〜ん、ぐわ〜〜ん、ぐわ〜〜ん」と音の波が揺れながら広がっていく様子がよくわかる。

高木正勝『こといづ』 ちからのなみ

ここにも最初の水の話が起こっている気がする。ふたつの音はもともと違う波を持っていたけれど、ふたつ同時に鳴ると、ゆったりと混じりあって穏やかな音の波に落ち着いてゆく。まるで黄色と青色を混ぜると緑色になるように、もとのドでもソでもない、なんとも「あたらしい」波が生まれてゆく。(中略)たくさんの音が出合って、「何があたらしく生まれたか」に注意を向けると、音の楽しみ方が一気に飛躍する。そういうものの見方は、土や微生物や虫や野菜の関係をじっくり観ているのと、きっと同じなんだろう。

高木正勝『こといづ』 ちからのなみ


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