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利とは何だろう?("りえき"と"りやく")

昨日まで、エーリッヒ・フロム氏(心理学者)による「自由からの逃走」を読んで「自由とは何だろう?」という問いのもと、自由という概念、言葉の手触りを確かめていました。

たとえ「共同体に帰属しない」という意味で「個人」となり自由を手にしたと思っても、生きていく上で離れることのできない(他者との)交換原理が自由に制約を課すのではないだろうか、という問いに出会いました。

何というか「自由の中の不自由を最小化する」あるいは「不自由の中の自由を最大化する」という最適化問題に直面しているような感覚があります。

すると「自由と不自由」という構図は「利己と利他」の関係性に読み替えることができるように思いました。「利他とは何だろう?」と思っていたら、最近「利他とは何か」という書籍が出版されていましたので、しばらくの間この本を読み進めていこうと思います。

本書は5名による論考集です。しばらく、若松英輔さん(批評家、随筆家)が書かれた「第三章:美と奉仕と利他」を読み進めたいと思います。以下、『「利他」の原義 - 「利」とはなにか』より引用です。

「利他」とは「他を利する」ということですが、その本質を考えようとするとき、まず、「利」とは何か、そして「他」とは何かを確かめてみる必要がありそうです。
「利他」はもともと仏教の言葉です。仏教で「利」という言葉は肯定的な意味を指すことが多い。しかし、儒教では必ずしもそうではありません。「利」は、目先の、そして自分だけの利益を指すことが少なくないのです。
いっぽう、仏教において「利」は、「利益(りやく)」「利根(りこん)」「利生」などよきものを示すときに用いられます。「利益」は、物心両面にわたって福利をもたらすことを意味します。現世利益という言葉があります。あまりよい意味では用いられませんが、そう感じるところには、現世で終わるものではなく、後の世でこそ花開くのが真の利益であるという認識があるからです。

「利とは何か?」という問いです。

私が「利」を含む言葉で日頃よく使うのは「便利・利用・利益(りえき)」かなと思います。

これらの言葉を口にするとき、どことなく乾いた印象、冷たい印象とでも言えばよいのか「機能」的なニュアンスを感じます。

「利他」に含まれる「利」にも同様のニュアンスを感じていたのですが、「利他はもともと仏教の言葉」との話を聞いて、不思議とそのニュアンスが和らぎました。

たしかに「ご利益(りやく)がある」と言うように、「利益」を「りえき」と読まずに「りやく」と呼ぶことがあります。しかも尊敬の意を表す「御」がつきます。

もともと仏教の言葉であることを踏まえて「誰に対する尊敬なのだろう?」という問いを考えてみると、それは人智を超えた存在(自然?神仏?)への敬意なのかもしれません。

そう思うと「利益」を「りやく」と読む時、そこには「もたらされるもの」「やがて返ってくるもの」というニュアンスが感じられてくるのです。

「りえき」と読むのか「りやく」と読むのか。音の響き、読み方の違いが、言葉に対する認知を変容させるのだと実感しました。

「現世で終わるものではなく、後の世でこそ花開くのが真の利益である」

著者のこの言葉が胸に残ります。

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