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均衡における不可分性〜内と外、静と動〜
Balance.
1. STEADY: a state in which all your weight is evenly spread so that you do not fall.(均整:体重が均等に分散されており、倒れない状態)
2 EQUAL AMOUNTS: a state in which opposite forces or influences exist in equal or the correct amounts, in a way that is good. (均衡:対立する力や影響が等しいか、適切な割合で存在する良い状態)
均整と均衡。
この2つは「からだ」において結実し、実感を与える。
自分の内側と外側の境界線はどこにあるのだろう。
作用する力の均衡が、からだを形作っている。
「からだ」は内側であり、外側でもある。
均衡は「変化していない」ということを意味しない。
互いに均衡する力が動的に変化している。
ゆえに均衡は動が成す静であり、静において動を成している。
内と外、静と動。
それらは均衡において一体不可分であるということ。
果たして「頭で理解する」だけが「わかる」ことなのかどうか?分析理解だけが認識だとされた教育を受けてきているので、分析できなければわかったことにはならないと考える傾向はきわめて強いのだが、からだ全体で納得する方法もある。「からだで納得する」とは、全感性が感応し合って認知することであり、その情報量は膨大すぎるため言葉にはしにくく、柔らかな感性を保持していなければ感じ取れないことがたくさんあって、その場合は素通りしてしまう。
一方、分析理解は、あくまでも部分を解釈しているに過ぎないと知ることが肝要。コンセプチュアル・アートが結局はアイデアの連続的な提示に堕するしかなかったのは、アートの本質が概念にではなく、「からだ」にあることの証左なのだから。
芸術の目標は、信じられないほどの芸術的高さにしかありません。アーティストではない人々が見ることのできない向こう側の世界をアーティストは見せることができるミディアムだからこそ価値を持つ。(中略)アーティストは、この世に宇宙的尊厳をもたらすために存在する。そこに芸術の意味があり、現実を生きる人間に本物のバランス感覚を知らしめる。それがアーティストの存在意義なのです。
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