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感情の同期(シンクロニシティ)

人間関係を「人と人の間の流れ」として捉えてみると、「何が人と人の間の流れを妨げるのだろう?」という問いが浮かんでくる。

その問いの答えを書籍『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』を読み進めながら探ってみたい。今回は「感情」「同期」がテーマとなっている。

いくつかの言葉を引いてみたい。

プリンストン大学の研究グループは、人々に政治家の演説を聞かせ、そのあいだの脳活動をMRI(核磁気共鳴画像法)スキャナーで記録した。この実験でわかったのは、力強い演説を聞いているとき、複数の聞き手の脳が「歩調を合わせる」ことだった。脳波は似通ったタイミングで上下し、まるで同期したかのように、脳の同じ領域が同じように活性化したり沈静化したりしたのだ。

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

感情は聞き手と話し手の生理状態をも結びつける。だからこそ聞き手は、入ってくる情報を処理するとき、話し手と同じような捉え方をしがちなのだという。たった一人と向き合っているときでも、大勢に語りかけているときでも、聞き手の感情を誘発することが、アイデアを伝えたり見解を述べたりする際の助けになる。言い換えると、私が楽しくてあなたが悲しかったら、私たちが同じ話を同じように解釈するのは難しい。でも、まず私が冗談の一つでも言ってあなたを私と同じくらい楽しい気持ちにできたなら、私の言葉を私と同じ捉え方で理解する可能性は高まるだろう。なぜならありがたいことに、感情は非常に伝染しやすいからだ。

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

感情の伝達はどのような仕組みになっているのだろう? あなたの笑顔がどうやって私の心に喜びを生み出し、あなたのしかめ面がどうやって私に怒りを覚えさせるのか? そこには主に二つの経路がある。一つ目は無意識の模倣によるものだ。人間が、他人の仕草、声色、表情を常にまねしてしまうことはよく知られている。これは反射的なもので、あなたが眉を少し上に動かせば私も同じようにしてしまいがちだし、あなたが息を弾ませていれば私の呼吸も速くなりやすい。ストレスで凝り固まっている人がいれば、まね好きな私の身体もこわばり、その結果自分自身もストレスを感じてしまう。二つ目の経路は、模倣ではなく単に感情が刺激されたことに対する反応である。これは至極単純だ。誰かが怯えた顔をしているときは、多くの場合、何か恐ろしいものがあることを意味している。だから私たちは、大きな斧を振りかざした人がこちらに突進してくるのを見たときのように、恐怖をもって対応する。

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

振動数の異なる音が重なると「うなり」が生じるように、感情も一つの波として捉えてみる。感情が穏やかな時は穏やかな波が、激しい時は激しい波が自分の内側の泉に生じているとイメージしてみると、案外そんな気もしてくるのではないだろうか。

波は「媒質」を通して伝わる性質を持つ。媒質とは例えば、空気や水など何かを満たしているものである。空気があるから空気の振動としての音が伝わるし、逆に真空中では音は伝わらない。

とすると、「感情を伝える媒質とは一体どのようなものだろう?」という問いが思い浮かぶ。表情、声色、握手の強さ、あるいは目にした文章のニュアンスなどから相手の感情を察する。察しが正しいかどうかは分からないが、視覚、聴覚、触覚といった五感を通して伝わってきた情報が、自分の内側の感情に作用して感情の波を生み出しているかもしれない。

波は振動なので、正反対(=位相が真逆)の波をぶつけると打ち消しあう。引用した言葉からは感情も似たところがあるように思える。気持ちが沈んでいる時に喜びを分かちあおうとされても素直に受け入れられないこともあるかもしれない。

余談だが、脳科学者の中野信子さんは「悲しいときに元気な曲を聴くとより悲しくなる」と述べており、これを「同一性の原理」と説明している。「意外かもしれませんが、その時の気分に通じる曲を聴いたほうがいいんです」とも述べていて、共鳴・同調(シンクロ)の重要性が示されている。

相手はどのような気持ちなのだろうか。目の前にいる人、いない人。通信技術が発展した現代では顔の見えない状況でもコミュニケーションを取ることが自由にできる。

感情の波を感じ取り、重ね合い、同期してゆく。感情の波は往々にして一定ではないから一筋縄ではいかない。時間がかかるかもしれないけれど、互いに歩み寄ってゆくプロセスを大切にしたいものである。

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