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予備・予兆から始めよ〜歩きにおける手の振りを通して〜

青空が広がる朝。

眩しい日差しの下、木陰の涼しさも楽しみながらの朝の散歩が日課になっています。今朝、ふとした瞬間に「歩くって楽しい」と、内側から喜びが湧き上がってきました。

通常の歩くスピードが速いほうだと感じることがあり、それは周りの人が歩く速さがゆっくりに感じる、周囲の時間の流れがゆっくりに感じることによります。

そう思うと、今朝の自分が歩く速さは周りの人と同じぐらいで、いつもに比べるとゆったりしていたと思うのですが、ふとした瞬間に歩く速さのギアが上がったんですね。

それは歩く時の「手の振り」のペースを無意識のうちに速くしたことによります。手の振りを早くすると、足が手の振りのペースに追いついて、自然と歩くスピードが速くなってゆく。

より正確に言えば、足の蹴り出し方が力強くなり、小気味よく、軽やかに感じてくるのです。

「歩く」は足が起点だと思っていたのですが、補助動作の「手の振り」も起点になる。歩くとは「手の振り→蹴り出し」と「蹴り出し→手の振り」が、なめらかにつながることで実現している。

一連の身体動作は「予備動作」から始まっているということ。音楽における「アウフタクト」に重なります。それらは「予兆」と言ってもいいかもしれません。

西洋音楽にあっては、拍は、強拍のあとにひとつまたは複数の弱拍が後に置かれ、それを組み合わせて拍のまとまりと考える。拍のまとまりの中で中心となるものが小節であり、その組み合わせが拍子である。したがって、音楽のまとまりも強拍から弱拍に流れる。しかしながら、強拍の前に準備的な拍(または拍の一部)が置かれる場合がある。これがアウフタクトである。

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そして、歩く速さの変化を体験したことで、ポテンシャルは引き出されるのを待っているのではないか、と。引き出し方を知らないだけなのかもしれない、と。そう思うのです。

身体は自分自身で制御しきれない「ゆらぎ」があるから面白く、歩いている時にバランスを崩して前のめりになり、加速するイメージを体感することで「重心移動とは何か」をそれこそ直感することができます。

身体動作から「全体性」「連動性」「協調性」を学ぶ。部分の積み上げだけでなく、全体を全体として捉えることができるのだと再認識したのでした。

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