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「味わう」ということ〜体験の全体性〜

風邪をひいて体調を崩すと、食事をした際に味がぼんやりと感じられることがあります。鼻が詰まっていて香りが感じられない、舌の感覚(味覚)がぼんやりする、あるいはその両方。

あらためて思うのは「味とは食材や料理と自分自身の間で生まれる現象」ということです。決まった食材、調理法によって出来上がった料理の味は自分の状態、感じ方に左右される。「味わい」とは、食材、料理と私の間に存在する「流動的な関係性」であると思えるのです。

世の中には数々の食材、それらの味わいを引き出す調理法が存在します。それはつまり、食材や料理との関係性のかたちが様々存在しているということ。昔は苦手だった料理も、食材や作り方が変われば「あれ、この料理こんなに美味しかったっけ?」となることもしばしば。

数少ない経験を過剰に一般化してしまうと、それは「先入観」や「偏見」につながることも。「様々な角度から多面的に物事を眺める」ことの重要性が問われていますが、灯台下暗しということで、まずは日々の食事を「味わう」ことから始めてみるのがよいのではないでしょうか。

「味わい」は味覚だけでなく、嗅覚(香り)や視覚(見た目)、聴覚(食材の食感、食事をする環境がどのような音に囲まれているか)、触覚(歯触り、舌触りなど)が統合した体験。私を含めた多くの人にとって「味わい方」は物心ついた時からの自己流だと思うのですが、もしかすると「味わい方」の作法(型)を学ぶ、身につけることが「体験の全体性」を取り戻す上で重要なのかもしれないと感じます。

風邪を引いて鼻が詰まっているときに食べ物や飲み物を味気なく感じた経験は、誰にでもあるだろう。なぜだろうか? 舌の味蕾はきちんと仕事をしているというのに。もし、あなたが今風邪を引いていないのなら、鼻をしっかりつまんで、誰かに - それが何かをあなたに教えずに - 食べ物を口に入れてもらおう。それがかなり刺激の強い食べ物でないかぎり、それが何か、言い当てるのはとても難しいだろう。においを感じることなしに、たとえばタマネギとリンゴ、赤ワインと冷めたコーヒーを見分けるのは驚くほど難しい。

チャールズ・スペンス『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』

私たちは異なった二つの経路を通じて、においを感じる。一つ目は、周りの空気に含まれるにおいを鼻先で感じる「オルソネーザル」と呼ばれる経路。もう一つは、飲食物を飲み込むときに、口の奥から鼻に流れ込む揮発性の芳香分子を嗅ぎ取る経路で、これは「レトロネーサル」と呼ばれている。食べ物のたち香を嗅ぐことで、脳はその食べ物がどんな味がするか、好みに合っているかなどの予想を立てることができる。その一方で、味や好き嫌いといった実際の食体験に影響するのは、食べ物を飲み込むときに感じるあと香のほうだ。しかしほとんどの場合、自分の舌で感じていると考える味覚のうちどの程度の情報量が、実際にはレトロネーザル経路を伝わってもたらされているのか、まったくわからない。なぜなら、食べ物の香りの大部分は、鼻ではなく口で、つまり舌そのもので知覚されているかのように感じられるからだ。この奇妙な現象が「オーラル・リファラル」と呼ばれている。

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