「味わう」ということ〜体験の全体性〜
風邪をひいて体調を崩すと、食事をした際に味がぼんやりと感じられることがあります。鼻が詰まっていて香りが感じられない、舌の感覚(味覚)がぼんやりする、あるいはその両方。
あらためて思うのは「味とは食材や料理と自分自身の間で生まれる現象」ということです。決まった食材、調理法によって出来上がった料理の味は自分の状態、感じ方に左右される。「味わい」とは、食材、料理と私の間に存在する「流動的な関係性」であると思えるのです。
世の中には数々の食材、それらの味わいを引き出す調理法が存在します。それはつまり、食材や料理との関係性のかたちが様々存在しているということ。昔は苦手だった料理も、食材や作り方が変われば「あれ、この料理こんなに美味しかったっけ?」となることもしばしば。
数少ない経験を過剰に一般化してしまうと、それは「先入観」や「偏見」につながることも。「様々な角度から多面的に物事を眺める」ことの重要性が問われていますが、灯台下暗しということで、まずは日々の食事を「味わう」ことから始めてみるのがよいのではないでしょうか。
「味わい」は味覚だけでなく、嗅覚(香り)や視覚(見た目)、聴覚(食材の食感、食事をする環境がどのような音に囲まれているか)、触覚(歯触り、舌触りなど)が統合した体験。私を含めた多くの人にとって「味わい方」は物心ついた時からの自己流だと思うのですが、もしかすると「味わい方」の作法(型)を学ぶ、身につけることが「体験の全体性」を取り戻す上で重要なのかもしれないと感じます。
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