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何を通して、何を通さないか? それが問題だ〜細胞に学ぶ、閉じながら・開くということ〜

「何を通して、何を通さないか」

生命、生物について学んでゆくと、そのダイナミズムに感動を覚えるばかりです。自分の肉眼では到底観察できないミクロな世界での様々な現象。極微の物質が無数に組み合わさり、複雑な相互作用を通して自律性のある生物が誕生してゆく。

ミクロとマクロの境目は相対的なもので、私たちが見ている世界のスケールを基準として測る場合と、微生物が見ている世界のスケールで測る場合では見え方が全く異なるでしょう。

生命を支える一つの鍵は「細胞」にあり、細胞は「閉じながら・開いている」という。「開閉」という二項対立で捉えられることの多い概念が、矛盾なく共存していること。

それは「個」という閉じた存在が、必然的に外界に向けて開かれたつながりを必要とすること、一体不可分であることを意味しています。

逆に言えば、私・私たちという存在は開かれたつながりを通して何かしらの作用を及ぼしている。

このようにして考えてみると、「世界はつながりでできている」ことが自然に思えます。

生命について学ぶことは、つながりにおける調和・美しさを見つめ直す機会になるように思うのです。

細胞は生きている。生きているからには、細胞の中の環境を一定にしなくてはいけない。もしも、外界が変化するたびに、細胞内も同じように変化していては、生きていくことはできない。つまり細胞は、家のようなものだ。冬になればストーブをつけ、夏になればクーラーをつけて、家の中の温度を外界ほどは変化させないようにする。雨が降っても、雪が降っても、屋根や壁がそれらを防いでくれるので、家の中は晴れた日とほとんど変わらない。このように屋根や壁や、そして細胞膜は、外界に対して閉じていなくてはならない。

更科功『若い読者に贈る美しい生物学講義 感動する生命のはなし』

でも、細胞が生きていくには、栄養をとったり排せつ物を出したりすることも必要だ。家だってそうだ。食べものを運び入れたり、ゴミを出したりしなければ、暮らしていけない。だから家には、屋根や壁だけでなく、ドアもある。普段は閉じているけれど、必要なときにはドアを開けて、ものを出し入れするのだ。細胞も家も外界に対して、開きっぱなしでもダメだし、閉じっぱなしでもダメなのだ。

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もっとも、壁といっても、細胞膜は何も通さないわけではない。通すものもあれば、通さないものもある。細胞膜は、表面は親水基でコーティングされているけれど、大部分は疎水基でできている。そのため、疎水性の物質は通りやすく、親水性の物質は通りにくい。

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