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協力と依存の境界はどこにあるのだろうか?

今日も引き続き、E・F・シューマッハ(イギリスの経済学者)による書籍『スモール・イズ・ビューティフル - 人間中心の経済学』の「第一部 現代世界」より「第五章 規模の問題」を読めています。

「小さく独立する」ということについて。一部を引用してみます。

さて、ではドイツの一部であるデンマーク、フランスの一部としてのベルギーが、当然独立を求めたと想像してみよう。きっと次のような議論が延々とはげしく戦わされることだろう。すなわち、デンマークもベルギーもいずれも「州」であって、経済的に成り立たないとか、これらの州が独立を求めようとするのは、さる著名な政治評論家の言葉を借りれば「青くさい感情論、政治的な未熟、経済への無理解、無知な日和見主義」であるといった議論である。
独立した小国の経済をどう考えたらいいだろうか。問題外の問題というものは、論議の対象にはならない。実をいえば、民族、国家がやっていけるかどうかということは、問題外の問題なのである。問題になるのは、人びとがやっていけるかどうかということだけである。みなさんや私という具体的な人間が自分の足で立ち、自分を養っていければ、それがやっていけるということなのである。
もともとやっていけない人間をたくさん集めて大きな社会を作れば、やっていけるようになるものでもなく、また現にやっていける人たちを、大きなグループから、仲がよくてまとまりがよく、管理もしやすい数多くの小集団に分けたからといって、やっていけなくなるはずはない。こういうことは明々白々であって、議論の余地もない。

シューマッハは「小国の経済」を考えることによって、規模の大きい集団(民族、国家)が存続するかは問題外の問題(さして重要ではない)であると主張します。

大事なことは人々、つまり「私たち一人ひとりが自分を養っていけるかどうか」であると。この意見についてどう思われるでしょうか。

シューマッハの主張に触れたとき、ふと「協力と依存の境界はどこにあるのだろうか?」という問いが浮かんできました。

「もともとやっていけない人間をたくさん集めて大きな社会を作れば、やっていけるようになるものでもない」として、一人ひとりの「経済的な自立」の重要性を説いています。

一方、何かしらの事由によって、自立が困難な場合があることも忘れてはいけないように思います。それは時に自分を取り巻く環境に由来する事由かもしれません。

「自立している人であれば、小さな集団でもやっていける」という主張は、尤もらしく響くのですが、同時に「小さな集団の中で自立を支援する」との観点も重要であるように思います。

規模が小さいからこそ、一人ひとりが互いの個性を見出して、対話しながら一緒に機会を作っていけないだろうか。「依存ではなく協力する」ための鍵はそこにあるような気がします。

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