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外国人だらけの京都

2020年、我々の生活は一気に変化した。
言うまでもなく、COVID-19の流行だ。
これはあくまでも前置きに過ぎないので、COVID-19が我々の生活にもたらした変化の詳細について語ることはしない。

先に言おう。今回の話題は、外国人観光客についてだ。

COVID-19によって人の行き来が制限されるようになり、外国人観光客はめっきり減った。
僕が2019年に働いていた職場は、観光地が近くにあったため、結構な頻度で外国人観光客の来店があった。
対応に英語をしゃべることも少なくはなかったし、中国語と思しき言語で話しかけられ困ることも多かった。
しかし、2020年、一気に外国人観光客は減った。減ったなんてもんじゃない、全くいなくなったと言っても過言ではなかった。
それほどまでに、COVID-19の影響は大きかったと言える。

そして2022年の後半から2023年にかけて、COVID-19への認識が変化し、一気に外国人観光客は戻ってきた。
まあ、僕はすでに転勤しており、今の職場は観光地でもなんでもないので外国人観光客が来ることはないのだが。

今回、大阪京都に行って、外国人観光客の多さに驚いた。
元々大阪も京都も外国人観光客は多い場所だ。特に今回、大阪ではUSJに、京都では祇園に行ったので、外国人観光客が多いのも当然と言えるだろう。
しかし、それにしても多いと感じた。
右を見ても左を見ても外国人。あちこちからいろんな言語が聞こえてくる。むしろ日本語はほとんど聞こえない。
ハリーポッターのアトラクションの列に並んでいたら、前後を外国人に挟まれる。

八坂神社の境内なんて、もはや自分が異国の地にやってきているのではないかと思えるくらい、中国系の観光客が溢れかえっていた。
USJはまあテーマパークだからそこまで気にならなかったが、神社という場所においては、やはりどうしても気になってしまった。

神社はある意味、宗教施設なわけだ。
神社という存在があまりにも身近なために、日本人にとってもそこが宗教施設であるという認識は薄いのも事実だ。
それでも神社を訪れる人の中には、神社を宗教施設と捉え、参拝している人も一定数いるわけだ。
それに、大抵の日本人は神前に立って二礼二拍手一礼する。

そんな場所で、外国人観光客はやってしまうわけだ。
神前での記念撮影。大きな声で騒ぐ。座ってはならない場所に座る。
だって、彼らは知らないのだから。
彼らが訪れた神社という場所が宗教施設で、彼らが記念撮影をしているところは神様の真ん前で、ぶら下がっているのは悪い物を払う鈴を鳴らすためのもので、彼らが座っているのはそれ自体が神と讃えられるような木や岩であることを、彼らは知らないのだ。
キリスト教で言えば、信者が神様への祈りを捧げている礼拝中の教会に、異国の人間がゾロゾロと入ってきて、異国の言葉で談笑しながら、教壇に飾られたキリスト像やマリア像と記念写真を撮ったり、パイプオルガンに腰掛けたりしているわけだ。
まあ、実際にそんなことをしようものなら、教会の人間や信者が止めに入ったりするだろうが。

本来ならそういった注意喚起を、神社側がするものだと思う。
少なくとも入り口には「ここは宗教施設である」ということを明示すべきだし、やってはならない行為を掲示すべきだ。
それをしないのには、何か理由があるなら仕方ないが、僕は外国人観光客へだけ向けてではなく、日本人に向けても神道というものを認識をさせるために必要なんじゃないかと感じる。

という、ヤマもオチもない小話でしたとさ。

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