なにかにつけて、切れ味が重用。
中山マコトです。
今の時代。
ちょっと調べれば分かってしまうことが溢れている。
少なくとも目の前にパソコン一台があれば、大抵のコトは、大抵のレベルで分かるようになっている。
それが本当に正確かどうかはさておくことになるのだが・・・。
スマホでもかなりのコトが調べられる。
こっちは、PCよりも更に情報的には玉石混淆のような気がするのは僕だけか?
つまり、その気になれば、ある一定水準の情報はほぼ誰でもが手に入れられるようになったと言うこと。
その意味では真に新しい情報とか、真にありがたい情報と言うのは、なかなか手に入りにくい事態(探しにくい)に陥っているとも言えるだろう。
少し前までは、例えばメルマガ、例えばブログなどで、「読者の役に立つ情報を書けば、感謝され、濃い読者がつく!」などと言う言い方をされたが、あれは今ではほぼあり得ないと言って良いだろう。
下手に偉そうに語っても、「そんなの知ってるよ!」と言われるのがオチの時代なのである。
どうするか?
ではどうしたら、「そんなの知ってるよ!」と言われずに済むか?と言うと・・・・・・
「独自の視点」
である。
同じモノを見ても、同じことに焦点を当てても、そこに何を見るか?が重要な峻別点になってくる。
一冊の本があるとしよう。
その本の読後感を、書評と言う垂れ流しで書いている人は多い。
主に、「概要はこんなだった!」とか、「ここがポイント!」みたいなサマライズであるコトが多い。
あと、「こんな人にお勧め!」みたいな書き方をしている人もいる。
でもその視点は、先ほど書いた方向で言えば、どう頑張っても「ちょっと探せば手に入る程度」の切れ味でしかない。
要は、街の金物屋で買える程度の包丁なのだ。
でもそこで僕は、街の金物屋では買えない情報を提供したいと思う。
この場合の情報とは、「見る角度」である。
コンテクストと言う方法にこだわると、それが可能になる。
例えば、「この本はこんな人にお勧め!」と書かず、「こんな人にだけは読んで欲しくない!」と書く。
ジュースを紹介するなら、ここがおいしいとは書かずに、「○○を普段飲んでる人は腹が立つ商品かも!」と書く。
この「商品と人との関係」を言葉にするのが、実はコピーライティングの役割なのだ。
あの人にとっては素晴らしい商品であっても、コッチの人にはど~ってコト無い商品。
あの人にとっては、人生を変える本かもしれないけれども、こっちの人にとっては物足りないどころか、バカにするな!と反発を食らう本。
そういう、商品を読み解くチカラが今、ライターには求められている。
いや、渇望されていると言ってよいだろう。
偉そうですみません。
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