『読書について』②

《内容のクイズ》
(問1)同時読みについて、本を選ぶ三つの視点は何か?
(問2)読書の効率を10倍良くする「三つの質問のパターン」とは?
(問3)本を10倍ラクに読むための「三つの準備」とは?

《内容と感想》

『東大生も絶賛「読書のコスパを最大化する」ワザ』
・読書方法
同時に二冊以上読む事で、違う意見をバランスよく見られる
同時に読む本の3つの選び方
同じ分野・似ているテーマの本を読む
例:マクロ経済学の書籍を読んだら、ミクロ経済学の本も同時に読む
違う立場の本を読む
1つの立場の意見だけを聞いていると、偏った意見になる可能性がある。
例:大学の先生はこう言ってるけど、実際に現場だとどうなのか?
対立意見を探す
地球温暖化は大変と言う科学者もいれば、「そんなものは幻想だ」という科学者もいる。
世の中の大抵の物事は賛否両論。
大事なのは、その両方を見ておいて、論点を把握する事。そして、自分の考えを作る事。

(①の同じ分野や似ているテーマの書籍は集めて、読む意識はしている。テーマ『死について』と設定した場合に、
『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』
『パイドン』で、ソクラテスが死刑の毒杯を仰いだ話
『生命倫理』の話
『生命操作は人を幸せにするのか』
『命は誰のものか』
『誰の健康が優先されるのか』
『脳死・臓器移植、何が問題か』
『安楽死を遂げた日本人』
『思考実験』の「臓器クジ」「トロッコ問題」
など、様々な書籍を比較して読み進める事で、「死」というテーマについて多様な視点から見つめるという事を実感している。
・死に関して考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉が脳裏をよぎる「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」

②違う立場の本を読む事は十分とは言えないが実践できている事例はある。テーマ「マーケティングや広告などのビジネス書と意志力について」を立てた時に、消費者の視点とビジネスマンの視点で比較した事がある。これは『スタンフォードの自分を変える教室』(ケニー・マクゴニガル)の書籍から得たテーマだ。
・コンビニやスーパーの商品の並び方は、消費者に「そういえば、これも欲しいな・・・お、あれも良いな!」と思わせて、財布のヒモを緩ませ、なるべく多くの商品を購入してもらおうと狙ってた配置をしているという。コンビニやスーパーからすれば、利益を追求するためなので当然の戦略といえる
・だが、消費者の視点からすれば、これが必ずしも良い事とは言えない。本来は購入するはずのなかった商品まで購入してしまったら、家計をムダに出費してしまう事になり、そのやりくりが苦しくなるだろう。また、お菓子やソフトドリンクなどを大量に買ってしまうと太る事につながる恐れがある。
・「なぜ消費者はついつい要らないものを購入してしまうのか?」と「どのようにして消費者に財布のヒモを緩めさせるか?」という問いかけは、非常に興味深い関連を持っている
・『スタンフォードの自分を変える教室』では、「意志力」について解説されている。その理論で解釈すると、「コンビニやスーパーは、消費者を誘惑し、その意志力を奪い、衝動的に商品を買わせるテクニックを巧みに使っている」という事になり、「消費者は、その誘惑に抗う力、意志力を鍛えるか?そもそも、自分にとっての誘惑を特定し、それを回避する戦略を打つか?」という事になる
このように様々な立場から比較して物事を考えると、確かに興味深い思索ができると思われる。こうした事を調べて考えた後で、あらためて、コンビニに行くとこれまでとは異なった視点から眺める事ができるようになる。
また、ここから得た事を抽象化して、他の領域を照らす事もできる。たとえば、「スマホは如何にして人々から時間を奪うか?」「どうして、やりたい事ができず、どうでも良い事に時間を費やしてしまう(本当はダイエットや資格を取るための勉強、絵の練習などがしたいのに、テレビを見たりスマホをいじったりなど、どうでも良い事に時間を使ってしまう)のか?」などについて、考察する事ができる

③対立意見を探す事は、ついついサボりがちな事かもしれない。意識して対立する意見の書かれた書籍を見つけようとしないと、自分好みの書籍ばかりを集めてしまう。
テーマが「増税について」の場合、「増税に賛成の立場」と「反対の立場」の書籍をなるべくバランスよく読んで、論点を把握して、自分の意見を構築しなければならないだろう。だが、この作業が意外としんどい。自分の考えに近い書籍は難なく読めるが、自分の考えと真向から対立する書籍を読む時は心穏やかではいられない。多くの場合、不快な感情を伴う。自身の感情と意見を分けるというのは思いのほか難しい。この点は、課題として残る。現状の解決策としては
・「マインドフルネス」の実践
・「アンガーマネジメント」の知識を得て、実践する
・「どのような点に不快な感情を感じたのか?」という事を記録し、自分の感情のトリガーと傾向を把握しておく
などが考えられる。ぜひとも、感情と意見を分けて物事を考えられるように努めたい)

『東大生が「本を深く読めて、かつ忘れない」ワケ』
・読書した直後は分かった気になるが、後でそれを活かす事ができない、という悩みを持つ人は多いのでは?
→それは、受け身で情報を受け取っているから
・読者ではなく、記者になれ
読者のまま、受け身で情報を与えられるのをただ待つのではなく、記者になったつもりで、質問しながら考えて読む事で能動的になれる
・読書の効率を10倍良くする「三つの質問のパターン
「なぜ?」と原因を問う
人は理由を知らない物事を上手く活用できない
学問でも本でも、「なぜ?」を探る事で、より理解が深まる
「違うんじゃない?」と反論を考えてみる
自分が賛成か反対か?は関係ない。むしろ、賛成の時にあえて反対の意見を、反対の時にあえて賛成の意見を考える事を意識する。
→著者の話がより良く理解できるようになる
「それ、どういう意味」と言葉の定義を考える
同じ言葉でも、著者によって、「意味」が異なる事がある。

(①「なぜ?」と原因を問う
・トヨタ式「なぜ?を5回問え」という言葉はよく知られている。
・コンサルタントの書籍を読んでいるならば、「イシュー」という概念は有名だろう。
・科学の世界では「ほとんどは仮説であり、覆る可能性のあるものとして、常に『なぜ?』という視点が求められる(「コペルニクス的転回」という言葉は有名だろう。また、ガリレオの「ピサの斜塔」が、根強かったアリストテレス的な力学の考え方を打ち破った、という事も知られているだろう)」
・哲学の書籍を読んでいれば「無限後退」という言葉が脳裏をよぎるかもしれない。
「常識だろ」「普通だろ」「当たり前だろ」などを根拠として意見を言う人がいる。しかし、それらは根拠というにはあまりにも脆弱だという事に気づいていないのだろうか?例えば、「常識」というものは、歴史の流れを見ればいかに脆いものか明らかだ。中世の時代と現代で、常識が同じだと思うか?100年後には覆っているかもしれないものを根拠として挙げるのはどうなのか?
「普通」という言葉は、あくまでも「あなたの中ではそうかもね」としか言えない主張である事も多い。「それは普通、主婦がやるものだろ」「それは普通、後輩がするものだろ」「それは普通、学校がやるものだろ」など。
「当たり前」という言葉も、「いったい何がどう当たり前なのか?」と困惑する場面も多い。「お前は数学の公理みたいな事実でも見つけたのか?」とツッコミたい場面も多い。
こうした言葉を使う人は、おそらく「考える」という事をしないのだろう。「なぜ?と原因や根拠を問い、それによって、主張を整えよう」という意欲が無いように思われる。
この「なぜ?」という問いかけは、物事の原因や根拠について考える時に役に立つが、しかし、あまりにものめり込むと、懐疑主義的な傾向が強くなりすぎて、何事も信じられなくなるという状態に陥る事もある。「なぜこの人は、私に優しくしようとするのか?」「なぜこの人は、私に冷たく接するのか?」「なぜ私は、こんなにも苦しまなければならないのか?」など。こうした問いかけをしてしまうと、ネガティブな泥沼にハマってしまう事になる。
なんでもかんでも「なぜなぜ」考えれば良いというわけでもない。

②「違うんじゃないか?」と反論を考えてみる
個人的に、これがもっともしやすいのは、社会問題について語っている書籍である。それも、きわめて過激なタイトルがついている類の書籍だ。帯には「新進気鋭の〇〇が、社会の闇を切る」とか「これは現代社会が見てみぬフリをしている問題に果敢に挑んだ良書」とか「斬新な発想で、解決策を提案している」とか「久しぶりに興奮して夜も眠れなかった」とか、そんな文句が書かれているものが多い印象がある。
1ページ進むたびに1回は「それはちゃうやろ」というツッコミが入り、マトモに読み進められないものもあった。
こうした書籍は著者から何か着想を得ようとするよりも、自分のツッコミ力を鍛えるトレーニングとして活用できる。
ショーペンハウエルは『読書について』で「良書を読み、悪書を読まないように心掛けよ」と言っていたが、私としては「悪書には反面教師的な要素があり、使い方しだいで参考になる」という考えを持っている。

③「それ、どういう意味」を痛感したのは、哲学者の書いた書籍を読んだ時だ。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んだ時、正確には読もうとした時、1ページ目を読み終える事なく諦めた事がある。まったく文章を理解できなかったのだ。その時は、「翻訳された書籍だから、読みにくいのかもしれない」と考えていたのだが、次に日本人の哲学者の西田 幾多郎の『善の研究』や九鬼周造の『「いき」の構造』などを読もうとした時に「ああ、これは翻訳の問題とかそういう次元の話ではなく、そもそも日本語が理解できない」という事を痛感した。まず、冒頭の1文目から理解できない。1ページや1章ではない。たった1文が分からなかった。何度読んでも「何言ってんだコイツ・・・」状態だった。
これが文学だったら信じられない話だ。文学なら、むしろ冒頭の1文は、小説で最も印象に残るシーンという事もある。
『走れメロス』なら、「メロスは激怒した」
『たけくらべ』なら「今は昔、竹取の翁といふものありけり」
文学ではないが、
『学問のすすめ』なら「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」などだ
それゆえに、はじめて哲学書を読んだ時の衝撃はすごかった。まさか、ここまで「言葉の意味」でつまずくとは想像すらしていなかった。それも、国語辞典で少し調べれば分かるというものではなく、それこそ、様々な哲学の素養が前提の上で読まなければならないという難解さがあった。
この体験以来、「言葉の意味」について非常に興味を持つようになった)

『東大生がやっている「本を10倍ラクに読む」技術』
・読解力が優れているから読書できるわけではない
・読書をする前の準備の技術が優れている
東大生がやっている「本を10倍ラクに読む」技術
前提の理解
文章を読む上で必要となる前提の知識を理解しようとする
→難しい本を読む足がかりとなる一冊を探す
タイトルからの推測
タイトルから著者の伝えたい事を推測してみる
要約を探す
要約を先に読んでから本文を読む事で、大まかなイメージを持って読めるようになる

(①前提の理解は、まずは基本的な書籍を読んでから応用的な書籍を読むという事か。
例えば、経済学の分野で話を進めると、トマ・ピケティの『21世紀の資本』が流行っているらしいと聞いたら、経済学の知識がないのにも関わらず、いきなりそれを読んでみようとして、挫折する人がいるとする。
挫折しないようにするためにはどうすればいいか?
まずは、経済学の教科書のレベルを押さえておく必要があるだろう。特に、この書籍のタイトルから察するに「21世紀以降の経済と21世紀以前の経済では大きな差がある」という主張をするだろうと推測できるので、21世紀以前の経済と何が根本的に変化したのか?という事を念頭に置きつつ、経済史をなぞっていく事で、ハードルが下がるかもしれない。
または、教科書レベルの書籍を読むのが大変だとなれば、子供向けに経済学を解説している書籍に手を出すのも良いかもしれない。一般になぜか「子供向け」と書かれた書籍は軽視される傾向にあるらしいが、「子供向け」と書かれた書籍だと、難しい用語などがなるべく使われないように工夫されていて、使う時も噛み砕いた説明がされるので、ハードルは極めて低い。知っているようで実は知らない事を見事に説明されて「あれってそういう事だったのか・・・!」と感心する事も多々ある。とはいえ、「子供向け」の書籍はあくまでも、入門の入門という感じなので、読んだ後は、教科書レベルのものに手を出した方が良いと思われる。
・補足:あるセミナー講演者の話によると、「初心者向け」と書かれた講座よりも「上級者向け」と書かれた講座の方が人気になりやすいらしい。どう考えても初心者レベルの人が、上級者向けの講座に現れる事を嘆いていた。よく年齢の幼い子が、親などの真似をする時に「背伸びしたがる時期」などと称されるが、この「背伸び」をしたがるのは、成人の年齢を超えた人間でも同じらしい。

②タイトルからの推測は、確かに役立つ時もあるのだが、時々、タイトルと内容があまり噛み合ってない書籍もあるので、全てを真面目にしなくても良い気がする。それよりは目次や前書き、後書き、各章のはじめと終わりの部分などを読んで、内容をざっくりと把握する方が正確だと思われる。
海外の書籍が和訳される時、本来のタイトルをそのまま翻訳したタイトルがつけられず、「超訳」とでも形容すべき編集が行われている事もある。
例えば、Dカーネギーの『人を動かす』という書籍の原題は「How to Win Friends and Influence People」で和訳すると「友人を獲得し、人々に影響を与える方法」となるだろう。まあ、「超訳」のタイトルが間違っているわけではないが、個人的には、原題を素直に翻訳したタイトルの方が好感が持てる。もっとも、好みの話だが。この「超訳」は分かりやすい例だ。
個人的に分かりにくかった例として、ケニー・マクゴニガルの『スタンフォードの自分を変える教室』だ。このタイトルから一体どのような内容を想像するだろうか?「あー、どうせ自己啓発の書籍みたいに、
『夢を持ちましょう!』とか
『目標設定をしましょう』とか
『自分の殻を破って成長しましょう』とか
『本当の自分に出会いましょう』とか
そういった事について書かれているんでしょ?」と思わないだろうか?私がはじめてタイトルを見た時は、そう思っていた。
ここで、この書籍の原題を見てみよう。『The Willpower Instinct』これを素直に和訳するなら「意志力の本能」また、サブ題に『How Self-Control Works, Why It Matters, and What You Can Do To Get More of It』と書かれており、和訳するなら「どのように自分をコントロールするのか?なぜそれが重要なのか?それを多く手に入れるために何ができるか?」となるだろう。
つまり、「意志力について書かれた本で、自分自身をコントロールする力をどのように手に入れれば良いのか?」という事を書いてあるのだろうと推測できる。
『自分を変える教室』というタイトルから一体どのように推測するのか?まあ、確かに意志力を手に入れれば、自分を変える事になるのだから、間違ってはいないのだが。
ちなみにこのタイトルは書籍の中で講義を受けた人の感想の中に「人生を変える授業だった」というものがあったらしいので、それがこのタイトルの元ネタだと思われる。素直に訳してくれないか?

③要約を探すというのは、正直、盲点だった。というのも、「まあ、タイトルや目次、前書き、後書き」などを5分ほど目を通し、内容の全容を大まかに把握しておけば、困る事がなかったからだ。でも確かに、要約から内容をザックリと知る事も使えるテクニックかもしれない。ただ問題としては、要約サイトに登録されるほど注目される書籍でなければならない、という点だろう。当然、全ての書籍に要約があるわけではない。書店や図書館で気になった書籍を手に取り、いちいち「要約サイトに要約あるかな?」と探すのは時間と手間がかかってしまうので個人的にはあまり使えないと思われる。
だが、発想を逆転させると、「翻訳サイトに登録されているけど、見た事のない本」を探す事には使えるかもしれない。そこから「なぜこの本は要約サイトに登録されているのだろう?有名な著者の本だろうか?有名な賞でも受賞しているのだろうか?」などと問い、「自分の知らない書籍と出会う」事には使えるかもしれない)


《参考文献》


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