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沈黙は金なり

月一で開かれる経営改善会議というものに参加している。
ここしばらくは赤字経営が続いているため、人件費率の高い部門長の吊るし上げの場のようになって久しい状態なので、どうにも出るのが億劫である。
最初の頃は色々と提案したり現状分析をして報告したりしていたけれど、最近では何を言っても重箱の隅をつつかれたり揚げ足を取られたりするので、無駄なことは極力話さないようにしている。
今日まさに17時からその会議が開かれたのだが、今月もまたうんざりするような内容に辟易してしまった。必死になって残業時間の短縮を試み徐々に減ってきているという事実を前にして、その努力を褒めるのではなく数字をこねくり回してあーだこーだと難癖をつけられるので、途中からは閉店ガラガラとばかりに心にシャッターを下ろし、ムーディー勝山ばりに右から左へ受け流していた。
まぁこういった受け流す技術が身についただけ成長したのか退行したのか、ともかく気に病んでも仕方がないことについては選択的に耳がふさがるようになったのはいいことだと思うわけです。

以前一緒に働いていた当時の上司が、今は同じ系列の別の事業所の事業部長として一緒に働いていて、今日の会議にも参加していたのだけれど、看護部の残業についてネチネチ言われたことに腹を立てていた。会議の後二人で話している時に、反論してやろうかと思ったけど私が何も言わないので黙っていたというようなことを言っていたので、どうしてそんなに腹を立てているのか不思議に思いつつも、一言「沈黙は金!」と言い放ったら、そりゃそうだけどと言って笑っていた。

昔は私が理不尽な要求に対し彼女より先に腹を立て、なんで反論しないんですか!?部長が行かないなら私が言いに行きますよ!などと鼻の穴を膨らませて息巻いていたのだから、立場が変わったというかなんというか、不思議な逆転現象である。当時は私がぷりぷり怒っていると、まぁまぁ物事はそう理想通りには進まないものだしグレーはグレーのままにしておいたほうがいい時もあるんだからなどとなだめられていたわけなのに、今では私の方が黙っていたほうがいいこともあるという意味のことを返しているのだから、まったく面白い。一方で、自分の中に現状を変えようという昔のようなモチベーションがなくなってしまったことに対して、一抹の寂しさを感じたりもしたりなんかして。

還暦を過ぎ何回目かの誕生日が巡ってきたところの当時の上司は今の同僚となり、この組織に入職して半年が経過したばかり。入職して2年が経ちすでに絶望している私と違い、まだまだフレッシュでやる気に満ち溢れている。パワフルに思考し動き回るところは10年前に比して全く衰えておらず、尊敬に値する。すごい。マジですごい。

しかしながら、休みだろうが早朝だろうが夜中だろうが構わずやるべきことを長文でLINEしてくる情熱に、今の私はなかなか応えられないでいる。この感じは何かに似てるなと考えていて思い出したのは、すでに気持ちが離れてしまった男から、次の休みは何をしようとかどこへ行こうとか大好きだよとか愛してるよとかしつこく絡まれている時のしらけ具合にソックリだと思いついた。こういう時、別れ話を切り出したほうがいいのか、向こうが諦めて離れてくれるのを待ったほうがいいのか、悩ましいところだなぁと思ったりしている。ああ、念のために言っておくけど、これはあくまで気持ちの話であって、私がその同僚を嫌っているわけではないので、誤解なきよう。

いずれにせよ今の私にとっては、飛び交う火の粉をやり過ごしながら向こう岸まで生きて辿り着くことが最重要課題なので、しばらくはのらりくらりヘラヘラと、無駄なストレスを溜めないように沈黙は金なりを貫き通そうと考えている。


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