大量破壊兵器の無差別攻撃で通過する生き死にとはどういうことか

イランイラク戦争中、アメリカの支援を受けたイラク軍が、クルド人をサリンやマスタードガスなどの化学兵器で虐殺しました。

クルド人地域の都市、ハラブジャへの攻撃では5000人以上が亡くなったといわれています。

イギリス在住のクルド系の詩人で画家で社会学者のChoman Hardiは、イラク軍によるクルド人虐殺から生き延びた人に戦争体験を聞いています。その体験は英語で読んでもつらくて、被爆者の話を伺っているようです。

おそらくその聞き書きをもとに、Hardiさんはガス攻撃の詩を書いています。

エピソードからガス攻撃で死ぬことや生きることがどんなことかを、つたえる最終連は人にとって感情や感傷が切り離せないことを教えてくれます。

人名の正しい読み方は在日クルド人協会などに確認中なのですが試訳を貼ります


http://www.chomanhardi.com


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毒ガス攻撃 Choman Hardi

 

 Babria Saeed Khidir とAyshe Maghdid  Mahmudに
   

 

 

爆弾はいつどこにでも落ちてきそうだった。
わたしたちもこの邪魔者に慣れてしまった。もう掘ってある
防空壕に入ってしまえば安全に思えた、忘れやしないあの
 
冬のたそがれの 音のない爆発が
わたしたちを騙すまで。外に出たわたしたちは爆弾から助かったと思った
ただチョークのような黄色い粉がしっかりと
 
肌につき、甘いりんごのような香りにもすぐ気づいたけど、
息をしても大丈夫そうだった。人々は狂ったように
笑いだし、ひざを震わせ、身をよじり、走りだし
 
水のある場所をもとめ、目が見えなくなり、木にぶつかった。
地域の村人が助けに来てくれた。彼らが言う
私の息子がおかしいと。まるで瞳から色がこぼれ
 
おちたようだ、顔が黒く膨れてあがっていると。息子はうめいた
ナイフを目にした子牛のようだった。私の目が見えないうちに
息子は死んだ、息子が見えなかった、さよならも言えなかった。


(初出: Ploughshare 2015 Spring)