対馬海峡旅行記

台風18号が釜山を直撃してもなお、釜山国際映画祭は根性で続行と聞いて、随分若い頃に書き飛ばした時代小説のことを思い出した。
江戸時代後期の釜山と対馬の話で、書いた当時は釜山にも対馬にも行ったことはなかった。
後に両方に行ったのであるが、釜山から対馬を眺め、対馬から釜山を眺めた印象では、おまえら近すぎ。
釜山の下町をふらふら歩いていると雑貨屋があって、いかにもデキストリンの歯みがき粉があり、買い求めて、持って帰って使い切った。ミスデンタルとハングルで書いてあった。
市内観光バスで乗り合わせたご婦人と少年少女連れの人たちに実に親切にしてもらった。蚕の蛹を炒ったスナックを少年がくれたし、ご婦人が地下鉄の駅まで道案内してくれた。
路線バスでは若い娘さんが、わたしは座っていて楽だからお荷物をわたしの膝に置きなさいよと言ってくれた。
釜山は結構いい街だった。
対馬ではツシマヤマネコに遭遇した。
あの猫は天然記念物で、怪我して保護されてさえ撮影を断念させる眼光鋭き迫力を持っていた。
対馬には当時友人が住んでいてとてもその友人はいい人なのでもてなしてくれた。
対馬の地元の食材づくしの料理を友人はご馳走してくれた。どれも美味しかった。
対馬もいいところであった。
聞いた話によると対馬と釜山には相互に交流があって、バトルをしつつ商売で往き来がある。
鎌倉時代には対馬にモンゴルとともに釜山の方から攻めてきたり、室町時代には釜山で対馬からきた人間たちが反乱を起こしたり、対馬の寺にあった仏像を奪いあったりしながら、昭和時代には対馬から船に乗って釜山に映画を観に行ったり、平成時代には釜山から船で対馬に観光しにきたり、という具合らしい。
歴史的なことに突っ込みを入れると双方の脛にいくつも傷があり、隣国の国境地帯は大体そんなものらしく、対馬にはきっちり自衛隊が駐留している。
そんなものである。
しかし釜山から対馬も目で直に見て取れ、対馬から釜山のビル街も直に見て取れる。おまえら近すぎ。
つまり釜山も対馬も人もいい人が居ていい印象を持っている。
ただ、釜山と対馬、おまえら近すぎ。