和泉国六十二座

房之助 歴史学者。
みどり 歴史学者。房之助の妻。
章太郎 内職業経営。
あずみ 内職業の夫章太郎を手伝う。
茅淳海 元十両。ちぬかつらぎのちぬ
のぞみ バツ三。スーパーで働いている。
葛城山 元十両。ちぬかつらぎのかつらぎ
はるか バツ一。スーパーで働いている。
女主人 昭和の頃からコーヒー屋を営む。
運転手 内職部材を運ぶトラックの運転手
女店員 携帯ショップの店員
男店員 コンビニの店員
劉哲也 澳門の旅行ガイド
中年女 カジノリスボアに居た女
老年男 房之助とカジノリスボアに居た男
裕次郎 房之助の病院友達

     令和二年十二月
     和泉丘駅北口バス乗り場
     房之助とみどりが雪模様の中バスを
    待つ。
     二人は雀のように身体を丸めて降り
    しきる雪を眺めていた。
     バスが来た。
     二人はバスに乗り込み、入口後ろの
    二人掛けに座った。
     バスが発車した。

みどり 夕焼け綺麗やで。
房之助 おお。綺麗やな。

     車窓の外は夕焼けが紅く光り、建物
    の黒い影と空の紅が際立ってコントラ
    ストを描いていた。雪の光も反射して
    煌めきを帯びた中をバスは低い発動音
    で進んで行った。

     隣ノ丘駅前にバスは着いた。
     房之助とみどりがバスを降りると茅
     淳海と葛城山がバス降り場で二人を
     待っていた。

茅淳海 お久しぶりです。
葛城山 お久しぶりです。
房之助 お久しぶり。
みどり お久しぶり。元気やったか?
茅淳海 まあなんとか。
葛城山 元気っす。
房之助 そらあええ。

     房之助はそう言って目を細めた。
     雪が降りしきっていたので四人は駅
    前の大阪玉将に入った。

房之助 寒気団が下りてきてすっかり雪やの。
茅淳海 明日くらいまで雪って言ってますね。
みどり そうらしいな。

     注文取りが来て房之助が手短かに餃
    子九人前と大ライス二つ、中ライス二
    つを頼んだ。

茅淳海 俺、結婚するんす。
みどり そうなん!おめでとう。
茅淳海 のぞみって言うんす。
葛城山 新幹線みたいな人ですよ。
みどり のぞみちゃん名前通りやん。
葛城山 俺も実は結婚するんす。
みどり ええ!そうなんや。おめでとう。
葛城山 はるかって言うんす。
茅淳海 空港特急みたいな人ですよ。
房之助 それも名前通りやん、はるかちゃん。

     餃子九人前とライスが運ばれてき
    た。
     無心に餃子とライスを咀嚼する音が
    店の八十年代BGMに紛れて行った。

     堺東駅西口
     章太郎とあずみはのぞみとはるかと
    合流して信号を渡り銀座通の大阪玉将
    に入って行った。

章太郎 のぞみちゃん結婚するんやってな。
のぞみ そうなんす。茅淳海さんって言うの。
あずみ お相撲さん?
のぞみ 芸人です。
はるか 私も結婚するんす。
章太郎 そうなんや。
はるか 葛城山さんって言うんす。
章太郎 お相撲さん?
はるか 芸人です。茅淳海さんとコンビ組んで
   るんす。
あずみ コンビ名あるん?
のぞみ ちぬかつらぎって言うんす。
あずみ 磯釣り人みたいやん。
はるか どっちもいかつくてごついっす。

     ちぬかつらぎが漫才をしている模様
    がテレビに映っている。

茅淳海 もうね。街のあちこちで撮影されちゃ
   ってますやんか。
葛城山 監視社会ってやつやね。
茅淳海 昭和には盗んだバイクで走り出せたす
   んけどね。
葛城山 いまもう令和やん。捕まるわ。
茅淳海 トカレフとマカロフの違いも分かれへ
   んと令和になってもうたわ。
葛城山 普通分かれへんわそんなん。
茅淳海 可愛い娘やったらシュマイザー持って
   もサマになるねんけどな。
葛城山 ゲームやんそれ。
茅淳海 もう家でレイブでもしてよか。
葛城山 家ならええやろ大抵のことしても。え
   えんちゃうか。
茅淳海 ミラーボールをアマゾンで買うてん
   な。
葛城山 それ動画にしてネットに上げるんか。
茅淳海 焚き火を動画で上げるねん。
葛城山 癒されるう。て、ちゃうやろ。

     のぞみとはるかがのぞみの部屋で酒
    を飲みながら、 地味な目をしてちぬか
    つらぎの漫才をテレビで見ていた。

のぞみ ちぬかつらぎって昭和ネタ多いやん。
はるか そうやな。
のぞみ 早まったやろか私ら。
はるか 私は別にちぬかつらぎしてようがラー
   メン作ってようがそんなん別にどっちで
   もええけどな。
のぞみ はるか、あんた結構肝座っとるな。
はるか そうか?のぞみも割と思い切りええや
   ん。
のぞみ アルマンサラクルーやったかな。
はるか 誰それ?
のぞみ 判断力が欠如すると結婚する。
はるか ほんまあ。そうかもな。
のぞみ 忍耐力が欠如すると離婚すんねんで。
はるか わたしらスピード離婚とちゃうん。
のぞみ 記憶力が欠如すると再婚するねんて。
はるか バツ三とかだいぶん忘れっぽいやん。
   あんたバツ三やろ。
のぞみ そういうあんたもバツ一やんか。程よ
   く忘れっぽいやろ。
はるか そういやそれ、言うた?
のぞみ 言うてない。あんたは言うた?
はるか 言うてない。
のぞみ 私ら初婚の初々しいのんて思われとん
   かな。
はるか わたしら二人とも式はいらんて言うた
   やん。披露宴もいらんて。
のぞみ そうやったな。
はるか ちぬかつらぎ、二人ともそうかそれな
   らそれでええわって言うたな。
のぞみ 言うたなそういえば。

     某関西地上波テレビ局ちぬかつらぎ
    楽屋。ちぬかつらぎが反省会をしてい
    る。

茅淳海 反社ネタってあかんのかな、みんな。
葛城山 そうやなあ。
茅淳海 せやけど、こうしゃべくりでまくし立
   ててむちゃくちゃ言うからええんやん
   か。
葛城山 そうやな。
茅淳海 立ち位置反対にして歌ったろか。
葛城山 そうやなあ。
茅淳海 のぞみちゃんもはるかちゃんも式も披
   露宴もいらんて言うとるやろ。
葛城山 そうやな。
茅淳海 二人とも初婚とちゃうんちゃうか。
葛城山 そうやろ。
     (間)
茅淳海 知っとったんか。
葛城山 知らんかったんか。
茅淳海 誰から聞いたんそれ。
葛城山 誰からも聞いてへんよ。そういうの佇
   まいに出るねんで。
茅淳海 わしらも力士廃業して大阪帰って来た
   って言うたか?
葛城山 言うてへんよ。茅淳海は言うたか?
茅淳海 言うてへんよ。

     マイナス十八度の寒気団が大阪まで
    南下してきたクリスマスイブの夜。南
    からの湿気を含む風が大気を不安定に
    して雨を降らせていた。夜更け過ぎに
    寒気団に凍らされた雨が雪へと変わ
    り、和泉丘町は雪景色となった。
     章太郎とあずみはレストランでチキ
    ン南蛮を食べていた。大勢の会食でも
    ない限り二人は酒を飲まない。
     房之助とみどりはレストランでチキ
    ンローストとパンと赤ワインの晩餐で
    あった。
     茅淳海とのぞみは茅淳海の部屋で、
    パンと茹でたフランクフルトとチーズ
    を食べていた。
     葛城山とはるかははるかの部屋で味
    噌ラーメンを食べていた。

のぞみ 山下達郎の歌みたいな夜やな。雨が夜
   更け過ぎに雪に変わったで。
茅淳海 きみは来ないもか?
のぞみ 金持ちのとこにはサンタは今年も来と
   るし、その後は北極上空を飛んでるって
   言うで。
茅淳海 うちには来年はくるやろかサンタ。
のぞみ けえへんやろな。
茅淳海 そうか。

葛城山 サンタってよ。北極上空を飛んでるら
   しいで。
はるか わたしには見えるんや。きっとサンタ
   はな、みんなの心にずっと住んでるね
   ん。
葛城山 おるなそういえば。あのじじい、俺の
   心にも。
はるか やろ?

     日本で丑年生まれは三番目に多い。
    年が明けて牛柄が溢れかえっている。
     辛丑の年は結構えげつない年だと言
    われており、その辛丑が六十年ぶりに
    周ってきた。

章太郎 式も披露宴もせえへんって言うとる
   な。
あずみ のぞみちゃんとはるかちゃん?
章太郎 ああ。
あずみ そういうの本人たちがそれでええって
   言うたらそれでええんとちゃうん。

房之助 式も披露宴もせえへんって言うけど。
   ええんかな。
みどり 茅淳海と葛城山?
房之助 ああ。
みどり やりたくなったらそん時にやったらえ
   えやん。

     茅淳海と葛城山、難波から電車に乗
   っている。スマホをそれぞれいじくって
   いた。

葛城山 茅淳海はどの辺に住むん。
茅淳海 のぞみんとこに住む。葛城山は?
葛城山 俺のところにはるかと住む。
茅淳海 新婚旅行くらい連れて行ってやりたい
   よなあ。
葛城山 そうやな。
茅淳海 出てみるかM1。
葛城山 まじかよ。
茅淳海 それかな。仕事入れまくったろか今
   年。
葛城山 それやったら、犬鳴温泉とかでもええ
   んとちゃうん。新婚旅行。
茅淳海 でもよ。
葛城山 おお。
茅淳海 わたしとは片道切符でもいいかって言
   われたんよ。のぞみちゃんに。
葛城山 彗星ハネムーンかい。
茅淳海 ええよって言うしかないやん。それ以
   外のどんな答えあるん。
葛城山 実はな。俺もそれ言われてん。
     (間)
茅淳海 はるかちゃんものぞみちゃんも特急電
   車やからな二人とも。片道切符でもっ
   て、ほんまに特急電車は。
葛城山 どうせ一本道やで。後戻りしてもしゃ
   あないやろ。
茅淳海 そらあな。
葛城山 ただな。はるかちゃんはこうも言うて
   ん。
茅淳海 なんて?
葛城山 わたしは別にあんたが漫才やろうとラ
   ーメン作ろうとそれはどっちでもええ。
   要はわたしはあんたとおるって決めたん
   や。
茅淳海 のぞみちゃんはそういうことは言わん
   かったけど、一緒におろかって言うたわ
   な。
葛城山 まあ二人とも匕首抜いて喉元にがっと
   間合い詰めてくるところあるからな。

     爆弾低気圧がやってきて吹雪になっ
    た。風が囂々と鳴り、雪が流れていっ
    た。部屋は寒く凍えながら茅淳海との
    ぞみは味噌煮込みうどんを食べてい
    た。丼から立ち上る湯気と吐く息が白
    くたなびいた。
     二人は交わす言葉もなく黙って食べ
    ていた。
     味噌煮込みうどんを食べ終わると二
    人は布団にくるまり、じっとしてい
    た。
     部屋は凍えるように寒かった。
     窓の外では雪が飛んでいた。

のぞみ 凍死って。
茅淳海 ああ。
のぞみ 気持ちええらしいよ。
茅淳海 気持ちようなってきたら死ぬんか。
のぞみ そうらしいで。西成でよく凍死者出る
   けど、気持ちよさそうな顔してるんやっ
   て死んだ人。

     葛城山とはるかは布団にくるまって
    静かにしていた。
     はるかが葛城山の胸を触っていた。
     葛城山もはるかの胸を触っていた。
     窓ががたがたと鳴って、外は風が鳴
    っていた。
     黙って二人はお互いを触っていた。

はるか 片道切符でええやろ?
葛城山 ええよ。
はるか どこまで行けるやろう。
葛城山 ゆっくり行けば遠くに行けるで。
はるか そうやね。

     房之助はPCで作業用BGMを流し
    ながら論文を書いていた。如何にもオ
    タクがやりそうなスタイルでないと作
    業がはかどらないということを特に房
    之助は気にする様子もなくひたすらキ
    ーボートを打っていた。
     部屋にはキーボードの打鍵音が響
    き、音からキーボードは緑軸だとわか
    る。
     固関と疫病の関係を調べていく内に
    房之助はどうやら戦争すら終わる疫病
    流行の時には戦争より最悪の世相だっ
    たことが分かってきたのでそれを論文
    に書いている。令和二年に活性化した
    疫病は年が明けても蔓延して、その渦
    中にいる自分にしかこういう論文は書
    けない、それが書く動機の全部だっ
    た。
     みどりは静かに自分の部屋で過ごし
    ていた。みどりの部屋からは青軸キー
    ボードの打鍵音が響いていた。
     窓の外は吹雪で風が鳴っていた。ラ
    ニーニャの冬は厳しい。どことなく寒
    いという心地で房之助もみどりもキー
    ボードを打鍵していた。その緑軸と青
    軸の軽やかな打鍵音はまるでそれだけ
    で歌っているようだった。時折音が止
    まり、また打鍵音がする。
     どちらからともなく打鍵音が終わ
    り、房之助は部屋から出てきてリビン
    グの冷蔵庫までやってきた。
     冷蔵庫を開けて房之助はプリンを出
    してきた。みどりが部屋から出てきて
    房之助の後に冷蔵庫の前に立ち、プリ
    ンを出してきた。二人は黙ってテーブ
    ルに座ってプリンを食べ始めた。

みどり だいぶんはかどったみたいやね。
房之助 ん?ああ。そっちも割とはかどったみ
   たいやん。
みどり まあね。固関と疫病って今しか論文書
   くチャンスないかもしれないね。
房之助 タイミングってものもあるしな。そっ
   ちは古代マレー人やろ?
みどり まあ、与太話と区別して論証となると
   また太平洋にフィールドかなあ。
房之助 ハワイ?
みどり エロマンガ島。静岡はもう去年行った
   しね。
房之助 日本人は四系統の人間たちの混ざった
   っての、どうしてそう思ったん。
みどり 海路がね、四つなのよ。それは恩師も
   言っているの。
房之助 道が四つなら人間たちも四系統か。
みどり 見事に古事記では消去よそれ。
房之助 出雲の話が結構あるやん。古事記。
みどり 出雲は四つの道の一つが来ているとこ
   ろなん。対馬海流に乗ると出雲に来る。
   美保関の漁港にハングルブイごろごろ転
   がっているのよ。くにびき神話もあるし
   な。
房之助 我々は分からないことを調べてゆっく
   り考えてそれを言葉にするやん。
みどり うん。
房之助 青い鳥やったかな、世界の秘密を全部
   知る必要はないと描いているのは。
みどり そうね。
房之助 どうしても疑問に思い知ろうとして科
   学は進歩してきたけど、それって呪術で
   信じられてきたことから科学で信じられ
   ることに鞍替えしてるだけなんやないか
   な。疫病ってなんで定期的に流行するん
   やろうな。数値にすっかり支配されても
   うてな。
みどり 富岳で計算して数値出すんやもん。支
   配力凄いやろね。
房之助 まあでも飛行艇はインスピレーション
   で飛ばせたのにね。
みどり 飛ぶのは本能やもん。インスピレーシ
   ョン大事やん。
房之助 サヘルローズは数値に支配されないで
   ってしごく当たり前のこと言うてるのに
   ね。
みどり 数値にするとお金が動くならなあ。
房之助 経済かって本来は倫理もなしにはあか
   んのにね。
みどり 人が幸せに暮らすためのものやったは
   ずやねん経済。数値に支配されたら幸せ
   逃げるで。青い鳥やろ幸せを求めて旅を
   するって。
    追いかけんと家に帰ってきたらおるや
   ん青い鳥。ほんで飛んでいってもうても
   別にええやんまた捕まえるてなるやん。
房之助 亀甲萬醤油はポン酢醤油って言うてる
   で幸せって。

     みどりは一瞬、房之助をじっと見
    て、そして笑った。みどりはリビン
    グのPCでナユタン星人の歌を流し
    た。

みどり 踊ろうか。
房之助 そうやな。

     房之助とみどりは彗星ハネムーン
    でダンサブルに踊り出した。
    
     二組の夫婦が二軒のアパートで冷
    たくなっていた。ちぬかつらぎとそ
    の妻二人であった。
     茅淳海とのぞみも葛城山とはるか
    も穏やかで気持ちよさそうな寝顔を
    していて、警官たちが二組の夫婦を
    検死し荼毘に付した。

     多治速比古神社に参詣した房之助
    とみどりと章太郎とあずみは柏手を
    打ち静かに合掌した。

あずみ 四人とも本当に特急電車。
みどり 新幹線に空港特急やもんなあ。
房之助 大阪湾に和泉山地でなあ。
章太郎 特急電車かな。

     内職工場
     章太郎とあずみと社員二人が携帯
    の取説を検品している。ラジカセか
    らホルストの木星が流れている。
     章太郎は検品の済んだ取説を梱包
    して、リフトパレットに積んでい
    く。
     あずみがハンドリフトで積み上が
    った箱を移動させていく。
     トラックの発動音がした。
     リフトで運転手が箱パレットをト
    ラックに積んでいった。

章太郎 納期は明後日でしたね。
運転手 ええ。
章太郎 まあ、間に合いますよ。あと二十パ
   レットなんで。
運転手 わかりました。お願いします。
章太郎 はい。

     トラックが去っていった。

あずみ あの四人のアパート二軒。
章太郎 え?
あずみ 事故物件情報サイトに載ってるで。
章太郎 不都合でも事実やしなあ。
あずみ お祓いでもして住んだらええねん。
章太郎 水道管の圧力バランスでいきなり水
   吹いたら幽霊やんかって騒ぐやろ。
あずみ それはそうやけど。ほんまにのぞみ
   ちゃんとかやったらそれくらいやりそ
   うやもんなあ。
章太郎 ほんで長いこと空き部屋とかになっ
   てある日借りられる、それでええや
   ろ。
あずみ ラニーニャの冬を越せたらええねん
   けどな。
章太郎 そらあな。
あずみ 住み着く時に念書取られるで。
章太郎 そんなんなんぼでも書いたらええや
   ん。
あずみ 気にする人向きとはちゃう物件や
   ん。
章太郎 賃料は安うなるで。
あずみ そういうので勘のええ人は気い付く
   ねん。
章太郎 そらあな。一区切りついたし大阪玉
   将いこか。
あずみ そやな。

     大阪玉将
     章太郎とあずみ、天津炒飯を食べ
    ている。

章太郎 茅淳海が言うとったな。
あずみ 何て?
章太郎 房之助さんとみどりさんはイスペラ
   ント星人。
あずみ 何やそれ。
章太郎 話題の半分ぐらいがイスペラント語
   みたいで、さっぱりわからんて。
あずみ そういやあ。学者って何語で話すん
   かって思った。
章太郎 固関とか古代マレー人とか、何のこ
   とやと思う?
あずみ わからんかったらわからんことの箱
   の中に入れといたらええねん。私は頭
   の中にそういう箱あるで。
章太郎 世界の秘密を全部知る必要はあれへ
   んか。
あずみ 何やそれ。
章太郎 青い鳥やって。

     房之助とみどりの家

房之助 長徳元年の大般若経転読の年に関白
   二人が相次いで薨去。固関の記録な
   し。疫病の時はやっぱり固関してな
   い。
みどり スペイン風邪の流行の時は第一次世
   界大戦終わるねんな。
房之助 そうやねん。令和二年の時も戦争は
   どこもしてへん。疫病流行の時は戦争
   どころやないねんで。
みどり 固関って壬申の乱以降の軍事的理由
   で何度か行われるねんな。安和の変と
   か将門の乱とか。
房之助 令和二年はアフガン戦争が終わって
   ん。

     房之助とみどりが人からイスペラ
    ント星人と呼ばれていると本人たち
    は知らない。

みどり 幸せって何やろうね。
房之助 自分で決めるものやと思うけど、何
   やろうねほんま。
みどり 青い鳥を探し回って家に帰るとおる
   ねんな。ほんで飛んでいってしまうけ
   ど、チルチルはまたつかまえたらええ
   ねんてな。
房之助 ポジティブやよな。
みどり ほんまにな。
房之助 プリン食べるか?
みどり うん。

     二人はテーブルでプリンを食べて
    いた。
     PCからは惑星ループが流れてい
    た。

房之助 音楽って感電するやんな。
みどり 人間も電気で動いてるもん。
房之助 ピカチュウと大差ない生き物か人
   間。
みどり そうやな。

     天保山市営渡船場
     渡船に章太郎とあずみが乗ってい
    る。
     船は発動音を上げて岸を離れ対岸
    のUSJ側に向かった。
     
     JR桜島駅
     西九条へ向かう桜島線に乗った章
    太郎とあずみは黙って車窓の外を眺
    めていた。
     電車の駆動音が低い振動とともに
    響いた。
     安治川口を過ぎ西九条へと電車は
    着いた。
     降車客に混ざり章太郎とあずみは
    環状線に乗り換えた。

章太郎 電車もさほど暖かくないな。
あずみ 密閉対策やもん。
章太郎 冬はどうしてもそうなるな。
あずみ 冷たい世界やよ。
章太郎 あったこうしてるか。
あずみ うん。あんたもな。
章太郎 ああ。

     昭和の頃から営まれているコーヒ
    ー屋があり、章太郎とあずみは店内
    に入った。
     快活な女主人が居た。
     何てことのないブレンドコーヒー
    だが、女主人の淹れるコーヒーは旨
    い。香りが店内に拡がった。

女主人 久しぶりやね。近所に用事?
章太郎 散歩。
あずみ お久しぶりです。
女主人 元気してた?
あずみ ええ。
章太郎 この店は時短関係ないもんな。
女主人 四時で閉店やからな。
あずみ 茅淳海と葛城山っておったやん。
女主人 ちぬかつらぎか?
あずみ 二人とも奥さんと一緒にアパートで
   冷とうなってん。
女主人 そうなん。
章太郎 検死とかのあと火葬やったから骨引
   き取って多治速比古神社に預けたん
   よ。
女主人 そうなんか。
章太郎 西成で真冬に冷とうなる人時々おる
   けど、ちぬかつらぎの夫妻四人、穏や
   かな顔で寝てるみたいやってんて。
女主人 凍死か。
あずみ メジロも道ばたで丸うなって寝とる
   やん。
章太郎 越冬て言うはずやわな。
女主人 そうやで。あったこうしいや。
あずみ ありがとう。ママもな。
章太郎 和泉国六十二座って言うねんて。
女主人 神社か?
章太郎 古い記録に祀られている神さんの名
   前書いてあるのんあるねんて。
あずみ 延喜式やから式内社って言うねん
   て。
章太郎 筆頭は大鳥神社やねんて。
あずみ この冬はほんまに寒い。
女主人 寒いな。ほんま。
     
     隣ノ丘駅前大阪玉将
     房之助とみどりと章太郎とあずみ
    が餃子とご飯を食べている。

房之助 論文書きあがったんやよ。
章太郎 おお。よかったやん。
房之助 固関と疫病ということを突っ込んで
   やっていくうちに、本当に固関という
   儀式は軍事的理由で行われてきたこと
   があってな。
章太郎 そうなん。
みどり スペイン風邪の時にはもう日本では
   固関はやってなかってん。明治二年に
   全国の関所が廃止になるから。
章太郎 そうなん。
あずみ スペイン風邪って沢山死んであれも
   パンデミックやってんてな。
みどり そう。
あずみ みどりさんの方はなんやったっけ。
みどり 古代マレー人。オーストラリアにエ
   ロマンガってとこあるんやけど、太平洋
   にエロマンガ島ってあってね。古代マ
   レー人が名前付けたんとちゃうかな。
   マレー語でマンガって青いっていうん
   よ。オーストラリアのエロマンガの辺
   りまで海やったらしいねん。そこから
   エロマンガって広くて青いとちゃうか
   なって 推定しとんよ。
あずみ そうなん。
章太郎 ふーん。
あずみ 二人とも学究の徒やね。
房之助 そうかなあ。碩学だらけやから、い
   つも恐縮するねんな。
みどり そうやよな。碩学だらけやわ。
章太郎 そうなん。
あずみ この間、大阪市営渡船って乗ったん
   よ。
房之助 大正区を中心に今でも市道の接続で
   あるあれ?
あずみ そうなんかな。天保山からUSJ側
   に渡ったんよ。
みどり あの渡船、緩くてええよね。
章太郎 地下鉄で大阪港まで行って天保山か
   ら渡船に乗って桜島からJRという散
   歩道やってん。
みどり ええやん。
房之助 茅淳海と葛城山と三人で乗ったこと
   あるわ。
あずみ わたしはのぞみとはるかと三人で乗
   ったことある。
章太郎 ほんのちょっとやけど海に出るから
   潮風が薫るねん。
みどり そうやんな。
あずみ チャオプラヤ川の渡船って乗った時
   に海軍さんも乗ってて、タイで渡船に
   乗るってお寺に行くのにそのルートや
   ってんな。
みどり ワットアルンやったっけ。
あずみ ワットアルンかワットポーかは忘れ
   たけどそういうのやったわ。
房之助 天保山渡船って自転車も乗れるから
   自転車の人だらけやんなあれ。
みどり 小鳴門海峡渡船も自転車乗れたな
   あ、そういや。あれも市営渡船やから
   無料やってん。自転車でよく海峡渡っ
   たわ。
房之助 車を持ってへんかってんな。
あずみ 鳴門みたいな町で車なしで暮らしと
   ったん?
みどり 自転車あったら十分いけるで。そん
   な大きな町とちゃうし。
房之助 松江でも自転車で間に合った時期が
   あったよな。
みどり まあ、車を結局持ったけどな松江で
   は。
あずみ そうなん。
みどり ガーナ人の友達出来てんな渡船場
   で。自転車で渡船に乗って買い物行く
   ねんけど、三十分に一本やから船。そ
   んで待合いで渡船の船員さんと世間話
   するん。船に自転車起きっぱなしでも
   誰も盗めへん。
章太郎 のんびりしとるなあ、鳴門って。
みどり 船員さんが今日は何買うてきてんっ
   て聞くねん。そっから話始まるん。三
   十分なんかすぐ経つで。
あずみ 乗ってみたいわ。小鳴門渡船。
みどり 冬は結構な行やで。
あずみ そうなんや。

     和泉丘駅前のスーパー
     店内を房之助とみどりがカートを
    押して回っている。

房之助 豚肉の安い日は豚肉があっという間
   に狩られてなくなり、うどん玉が見事
   にない時はうどん玉が安い。
みどり 今日は何が安いかをみんなよう知っ
   とるんよ。
房之助 今日は鶏ももと合挽ミンチが安い
   で。見事にあれへん。
みどり そこを我々は狩りに出て他の目を付
   けられてないものをゲットするんや。
   メンマと大豆水煮が割と品数ある。
房之助 麻婆豆腐の素が割と残っとるで。
みどり 中辛は品薄やな。豆腐が激安やから
   な、このスーパー。

     みどりは激安豆腐を四パックカー
    トに入れた。

     和泉丘駅前携帯電話ショップ
     あずみと章太郎が席に座ってい
    る。女店員が応接に出てきた。

あずみ スマホの充電ソケット壊れたんやと
   思います。充電できへんのです。
女店員 チェックしますね。ああ。本体のソ
   ケット壊れてますね。
あずみ そうですか。
女店員 修理か機種変更ですが、お客様の型
   式だとアプリのアップデートでもう負
   荷が高いので修理より機種変更の方が
   いいと思います。
あずみ そうですか。
女店員 このメーカーのサンプルをお持ちし
   ます。手に持ってみて下さい。
あずみ ああ。軽い。これにします。
女店員 そのメーカーのこの型式は分割で頭
   金が一万四千円になります。
あずみ 頭金〇円の機種ってありますか?
女店員 それだとこのメーカーのこういう機
   種になります。
あずみ それでお願いします。
女店員 コーティングとかされますか?され
   るのなら三千八百四十円です。
あずみ その支払いはいつのタイミングです
   か?
女店員 お買い上げの時です。
あずみ 支払い方法ってどんなものが?
女店員 現金とカードとキャリア決済です。
   キャリア決済アプリ登録してからな
   ら、機種変更の積み立てポイントが支
   払いに使えますよ。
あずみ ではキャリア決済してポイントで支
   払います。
女店員 わかりました。

     携帯電話ショップをあずみと章太
    郎は機種変更したスマホをあずみが
    下げて出て、カフェに入った。

あずみ 今回も〇円でゲットしたった。
章太郎 ほんまにあんたはピカチュウみたい
   な人やな。

     あずみはにやっと笑ってスマホの
   初期セッティングをしていった。

     章太郎とあずみは女主人の営むコ
    ーヒー屋を訪れた。

女主人 どないしたん、近くに用事か?
章太郎 商談。済んだからコーヒー飲みに来
   た。ホット二つ。

     女主人は手早くコーヒーを淹れ始
    めた。コーヒーの薫りが店内に拡が
    った。

女主人 今年は大阪でも雪やな。隣ノ丘も雪
   とちゃうん。
あずみ 一回積もったよ。
女主人 気温もこの辺とちゃうやろ。寒いん
   とちゃうん。
章太郎 四度は違うな。山手やから。
女主人 やっぱりな。
章太郎 せやけど今日はちとこの辺も冷える
   な。
女主人 夜更け過ぎから雪やねんて。
あずみ そうなん。
女主人 そういえばな。

     女主人はキッチンに引っ込んでし
    ばらくしてよもぎ餅を出してきた。

女主人 もらいもんやねんけど。
章太郎 ああ。ありがとう。
あずみ ありがとう。

     三人は黙々とよもぎ餅を食べた。

女主人 このよもぎの薫りがするのがええや
   んな。
章太郎 そうやな。
あずみ ほんま。よもぎの薫りやわ。
女主人 そうやろ。わたしの田舎では子ども
   の頃によう食べたよ。
章太郎 そうなん。岡山の山の方やったな。
女主人 そうやねん。
あずみ まったりするわ。
女主人 そやね。

     ひとしきりして章太郎とあずみは
    コーヒー屋を立った。

女主人 ありがとうね。
章太郎 ありがとう。
あずみ ありがとうございます。

     房之助はコンビニにコンテンツプ
    リントに行った。
     複合機がプリント途中で止まり従
    業員コールを画面が告げた。

房之助 すいません。プリンタ詰まったんで
   す。
男店員 そうですか。少しお待ち下さい。

     男店員が複合機を開けて復旧作業
    をした。電話で応援を頼み電話の指
    示でどうにか復旧が出来た。
     房之助はコンテンツを取り出して
    言った。

房之助 復旧出来てるよ。ありがとう。
男店員 そうですか。お騒がせしました。

     家に帰ってきた房之助はコンテン
    ツを手に持っていた。

みどり コンビニプリント?
房之助 そう。紙詰まりしてねプリント。
みどり まじ?どうしたん。
房之助 店員を呼んで復旧して貰った。あれ
   って誰でも復旧できるように機械がな
   ってて、技術の進歩と人間のスキルを
   不要にする社会の現実というものを観
   察させてもらった。興味深かった。
みどり そうなんや。
房之助 お金も無駄にしないし、ミスプリン
   トを排除すると改めてプリントして製
   品をちゃんと排出するんやよ。
みどり そこまでなってたら本当に壊れた時
   以外は店員が復旧出来るやん。
房之助 そうやねんな。
みどり で、何をプリントしたん。
房之助 それは内緒。

     房之助はそう言ってアニメキャラ
    のブロマイドを宝箱に仕舞い込ん
    だ。

     あずみは大阪駅のストリートピア
    ノに座っていた。
     米津玄師のカナリヤをあずみは奏
    で始めた。
     まばらだった人影が徐々に足を止
    めてきた。
     静かに奏でられていた旋律が力を
    帯びて音が響いた。
     サビの旋律をあずみは一心に奏で
    た。
     ふいに曲は終わった。
     足を止めていた人々が拍手を贈っ
    た。

あずみ ありがとうございます。

     あずみはそう言ってストリートピ
    アノから立ち上がり駅頭に消えて行
    った。

     平成四年三月澳門
     香港からのジェットフォイルが港
    に着いて、房之助は港に上陸した。
     桟橋を歩いていると鋭い目つきの
    老爺が房之助を見ていた。
     房之助が左に寄ると老爺も左に寄
    り、右に寄ると右に寄った。

劉哲也 房之助さまですか。
房之助 そうです。
劉哲也 ガイドの劉哲也です。お迎えに上り
   ました。

     劉哲也は房之助を連れて澳門市内
    をバスで巡った。
     ホテルに着いて房之助に劉哲也は
    言った。

劉哲也 夜は街に出ない方がいいです。命の
   保障が出来ないです。

     房之助はホテルの部屋で一晩を過
    ごした。
     翌日、劉哲也は房之助を伴ってカ
    ジノリスボアに行った。
     房之助は大小で有り金を使い果た
    し、同行の老年男と合流すると後ろ
    に中年女が立っていた。

老年男 うわ、尻触られた。
房之助 あなた、なんですか?
中年女 …。

     中年女は去って行った。
     劉哲也と合流してその顛末を話す
    と劉哲也は笑い出した。

劉哲也 そりゃあ惜しいことをした。私のル
   ーム貸してあげたのに。
老年男 そこまでせんでもええです。
房之助 あれって…。
劉哲也 売り物は何でも売る。そういうもん
   です。

     令和三年二月隣ノ丘駅前大阪玉将
     房之助とみどりは章太郎とあずみ
    に呼ばれて食事に出てきた。
     章太郎が餃子六人前と鶏の唐揚げ
    二人前、ご飯を注文した。
     程なく料理が運ばれてきて四人は
    食べ始めた。

みどり 菅原道真は梅が好きやったらしい
   ね。
あずみ そうらしいね。
みどり 京都北野に雷神の祠ってのがもとも
   とあったんよ。天満宮が出来る前に。
   雷がいまでもあの界隈は時々落ちるね
   ん。
あずみ そうなん。
みどり 菅原道真が太宰府で亡くなった後に
   京都で雷が落ちると菅原道真の祟りや
   って怖がられて、そんで北野天満宮に
   雷神と一緒に祀られるん。
あずみ 雷神なん。菅原道真。
みどり そういうことになっとる。菅原道真
   は梅が好きやったから京都では梅の咲
   く頃にちょっと梅見と称して北野天満
   宮に参詣というのがあったらしい。
房之助 習合やわな。神仏だけでなく、権現
   習合ってのもあったよ。徳川家康とか
   も。
章太郎 生きてた人間を神社に祀るってのは
   ようあるよな。
房之助 本地垂迹でいえば本地仏に垂迹神や
   けどな。
みどり 天照大神も実際に生きていた女性の
   誰かのことやと思うんや。神仏習合で
   大日如来と習合してもうたけど。
あずみ そうなんや。
みどり 明治の神仏分離と廃仏毀釈で天照大
   神だけで祀られていくけど、皇祖神や
   からね。
房之助 皇室典範の男系男子っての、皇祖神
   が女性なんやからその子孫なら大元は
   女系やんなって思うん。
章太郎 そうなん。
あずみ 男系男子って父の息子のことやん
   な。
みどり 古事記に書いてあることだけでも天
   照大神の孫、瓊瓊杵尊の男系男子が皇
   室になるとなってて、天照大神の女系
   から始まる。
章太郎 そうなんや。

     章太郎とあずみは房之助とみどり
    と食事をして別れて、電車に乗っ
    た。

章太郎 やっぱりあの二人、イスペラント星
   人やわ。
あずみ わからんことはわからんことの箱作
   って入れるんやで。
章太郎 本地垂迹ってその箱の中やわ。
あずみ そうやな。

     あずみは薄く笑った。

あずみ 私は時々気晴らしにピアノ弾くから
   ええわそれで。
章太郎 この前、大阪駅のストリートピアノ
   で米津玄師のカナリヤを見事に弾いて
   去って行った女がおったって言われと
   る。
あずみ そうなん。
章太郎 みんな動画撮り損ねて、幻のピアニ
   ストって言われとるらしいで。
あずみ そうなん。

     あずみは薄く笑った。

房之助 どこもかしこもマスクだらけやな。
みどり そやね。
房之助 世の中なんてあっという間に変わ
   る。
みどり ヨーロッパ人もマスクしてるもん
   な。
房之助 マスク生活の以前にはもう戻られへ
   んな。
みどり 毎日の累積と言えばナウル島みたい
   にアホウドリがせっせと島を作ったみ
   たいなことなんかな。
房之助 塵も積もるやな。
みどり 多分ワクチン打ってもマスクはすぐ
   外すってなれへんし、一年もマスク生
   活やったら慣れてまうんや。
房之助 ナウル島がそうやけどアホウドリが
   残していった糞が燐鉱石になって掘り
   尽くす手前くらいまで掘ってナウル人
   食べさせたやん。
房之助 慣れてくるとマスクない方が落ち着
   かなくなってくるんやよ。パンツみた
   いになってきてな。
みどり ランジェリーやもんマスク。かわい
   いもんとか着けたくなるやろ。
房之助 布製マスクを毎日洗う日々とか我々
   全然平気やもんな。
みどり あんなもん洗剤で洗って干しとくだ
   けで乾くやん一晩で。手洗いでええし

     カーテンレールには房之助のマス
    クとみどりのマスクが干されてあっ
    た。

章太郎 手洗いと手指消毒とマスクで見事に
   コロナ以外の感染症は流行ってへん。
   コロナかって見事にこの程度や。
あずみ マスメディアがなんでコロナ禍のこ
   とを声高に言うのかとかワクチンにネ
   ガキャンするのかって、影響を及ぼせ
   た状況が都合良かってんてな。精神科
   医が言うてる。
章太郎 最近ニュースを見ないねんな。必要
   なことを伝えず、自分たちのためのこ
   とをさも人類のためのように言うから
   な。
あずみ 本筋から言えば、そんな連中が高給
   取りって状況に腹立ててる人間多いん
   とちゃうん。
章太郎 メディアや政治家や高級官僚の連中
   は上級国民やと本気で自分たちのこと
   を思ってるよ。作家でそう言うてる人
   おるやん。
あずみ くだらなくて情けないことよ。ピア
   ノ弾いてたり文章書いているだけでえ
   えのにね。
章太郎 政治をしていないと死んでしまう芸
   術家ってのもおる。
あずみ まだタロット占い師の真面目な人の
   方がマネジメントが真摯で信用できる
   骨太なことを言うてるよ。
章太郎 西洋文明の闇と紹介されたんやって
   よ。最初タロットって。
あずみ イスペラント星人たちはタロットを
   必ずしも排除してないよ。叡智の一つ
   っていう感じ。
章太郎 感染症で人類が死滅しかけて抗体を
   持っている新種と持っていない原種と
   がいる世界を描いた戯曲あるやん。あ
   の戯曲の通りの世界に本当になってま
   うって思ってたか?
あずみ 太陽?
章太郎 あれ見た時に空恐ろしい恐怖を覚え
   たけど、今のコロナってあの世界の感
   染症より人は死なないけど、ワクチン
   を打った人間と打っていない人間と
   で、新種と原種になるんとちゃうん。
あずみ バイデンが新種でトランプが原種
   か。そういうのをサイバーパンクで描
   いた漫画が三十年くらい前にあったや
   ん。新種が作った原種保護法っていう
   法律出てくるで。
章太郎 フィクションは未来のために描くも
   のやと思うんや。新種と原種がともに
   おってそういう世界で生きていくんと
   ちゃうんか。
あずみ タロットカードの贋作ってのあって
   な。贋作で未来を占ったら本当に不都
   合なのかってことがあるんよ。
章太郎 贋作で占ったものは似非の未来やか
   ら不都合やろ。タロット占い師で贋作
   を知らんと入手して占ってもうて占い
   動画非公開にして問題に対処と謝罪を
   動画で言うた人おるで。
あずみ その占い師はこうも言うてるで。贋
   作で占ったとはいえその贋作のカード
   たちも毎日の営みをともに過ごしてき
   たものたちで、弁護士は廃棄証明を取
   って廃棄しろとは言うてるけどそんな
   簡単に美術出版品やからって、真贋の
   区別を付けて切って捨てるって、断腸
   の思いやろうと思うわ。辛い経験や
   で。贋作かてこの世に生まれたものた
   ちやで。贋作も生きてるからそれを手
   に入れてまう人間ってのがおる。和菓
   子屋の喫茶室の壁に掛かってる版画の
   贋作ってのもおるで。
章太郎 確率でものを言うたらウイルスに感
   染するのはその確率がどれくらいの割
   合かやけど、確率で人生を語るっての
   はギャンブルやわな。
あずみ 昔の香港映画に人生はギャンブルだ
   って言うて終わる映画あるで。ミスタ
   ーブーやったと思う。人生自体もとも
   とギャンブルやろ。
章太郎 ワクチン打ってもギャンブルやし、
   打たんでもギャンブルやもんな。
あずみ 手洗い手指消毒とマスクで防ぐ方法
   も決して無効な手立てやないのは、日
   本人が実施して結果出しとる。自衛隊
   メソッドやんか。ダイヤモンドプリン
   セス号に入った自衛隊がそうやったや
   ん。
章太郎 複数の医者が言うとる。この冬は見
   事にインフルエンザが流行してへんっ
   て。手洗い手指消毒とマスクでそんだ
   け防げるねん。ウイルスの人体への感
   染経路はコロナもインフルエンザも一
   緒やぞ。歯磨きして防ぐという方法も
   インフルエンザにはあるで。
あずみ それをなんでもっと啓発せえへんの
   やろう。
章太郎 ワクチン推進派とコロナ禍の方が都
   合がいいメディアの利害の一致やろ
   な。そういう基本的な方策で予防出来
   るんやったら皆怖がれへん。
   知らないし知ろうとせえへんから怖が
   るんや。知りたくなくて怖いって言う
   んや。
あずみ 正確に知れば怖くないやん。
章太郎 せやからワクチンは最近なんて言う
   かって言うとな、防戦一方やったコロ
   ナとの戦いで攻めに出る方策やって言
   うてる。共存する気持ちの人間は戦っ
   たりせえへん。
あずみ せやけど、数十年営んでた近所の外
   食や弁当屋が次々潰れていくのは辛い
   な。
章太郎 世の中が変わる時は老人から死んで
   いく。老舗でいくつも潰れたところあ
   るのって、そういう寿命なんやろか。
あずみ 風の時代に時代が変わったっていう
   ねんけど、変化した世界では変化に適
   応した生き物しか生き延びられへん。
   老舗でも変化に適応してたら生き延び
   るで。
章太郎 悪貨は良貨を駆逐するって言うてな。
   あの近所の町中華、旨かったのにな。
あずみ わたしらも食べに行く頻度減ったや
   ん。外食自体が減ったで。そらあ町中
   華は居なくなるで。
章太郎 テイクアウトを運んで貰う商売が伸
   びているのって時代に対応した商売や
   ねんな。
あずみ 他の店で居なくなったら困る店は盛
   り立てなあかんよな。
章太郎 そうやな。
あずみ 大阪玉将行こか。
章太郎 おお。

     房之助が病院に行くと入口で拳銃
    型非接触体温計を構えた看護士が立
    っていた。
     検温されて房之助が病院の中に入
    ると病院友達の裕次郎が居た。

房之助 入口の検温も慣れるもんやね。
裕次郎 ああ。あれか。
房之助 どうもあれは形がええことない。以
   前、銃突きつけられてると勘違いして
   パニック起こしたアフリカ人とかおっ
   た。
裕次郎 手に持ってかざすとなったらああい
   う形になるねんな。
房之助 どうにかならんやろかあれ。
裕次郎 そうやな。

     数ヶ月して房之助が病院に行くと
    画面式非接触体温計が立てられてい
    て、顔を近付けると体温が表示され
    て緑色に光った。

房之助 さすがにこれになったか。
裕次郎 あれ三十七度以上やったら赤になる
   ねんで。
房之助 アラート基準体温が三十七度やから
   ね。
裕次郎 夏とかすぐ三十七度越えるで。
房之助 一端顔を冷やしたら三十七度下回る
   よ。普通の体温計でもそうやん。
裕次郎 そうなんや。
房之助 そうでなかったらほんまに熱あるね
   んで。そういう時は中に入られへん
   で。
裕次郎 そうやねんな。
房之助 でもほんまのところはPCR検査せ
   なわかれへんよ。PCR検査でもわか
   らんときあるねんで。
裕次郎 味がわからんとかなったらコロナな
   んやろ。
房之助 後遺症で残ることもあるでそれは。
裕次郎 まだ今飲んでる缶コーヒー味がする
   からわし大丈夫やなまだ。
房之助 そうやな。

     裕次郎は缶コーヒーを飲み干し
    た。

     大阪駅前のストリートピアノ
     あずみが座っている。
     それを遠巻きに章太郎と房之助と
    みどりが見ている。章太郎はスマホ
    の動画を回している。
     あずみがおもむろに米津玄師の感
    電を奏でだした。
     リズミカルでハスキーなメロディ
    が響き道行く人が足を止め始めた。
     感電の旋律が響いて、終わると間
    髪を入れずカナリヤが響いた。
     切々と響くピアノ旋律で更に人が
    集まってきた。
     あずみは一心不乱に奏でた。
     そしてふいに曲は終わった。
     居合わせた人々の拍手が響いた。

あずみ つたないわたしのピアノを聴いて下
   さってありがとうございます。

     あずみはそう言ってストリートピ
    アノを立って章太郎や房之助、みど
    りと一緒に駅頭に去って行った。

参考楽曲 
彗星ハネムーン ナユタン星人 2018年
感電 米津玄師 2020年
カナリヤ 米津玄師 2020年
作者註
作中の多治速比古神社のモデルは堺市南区の延喜式式内社、多治速比売神社です。