言葉という凶器。

ありふれた言葉で、安直なタイトルである。

ところでわたしは身長が低く太っている。
拒食症になったときですら50kgを切らなかった。
肉が固く、骨太なので、自分の中で1番ちょうどよかったと思うのは55〜60kgのときであり、今はその体重を目標にしている。
食生活が一変して半年で10kg落ちた。
嬉しいか嬉しくないかと言われれば嬉しいが、いい減り方ではなかった。
そこからさらに1kg以上落ちた。
20代の頃、拒食から過食に走ったせいでMAX80kgを超えたときにはさすがにヤバイと感じた。Mサイズから急にXLサイズ以上にになると本当に着る服がなく、仕方なくニッセンで服を買い足した。
人間はこんなにも急激に太れるのかと落ち込みはしたが、そこから5kgは食事を減らしただけですぐに落ちた。そこからはなかなか落ちなかったが、7kg落としてきれいにリバウンドをした。

私のダイエット記録はどうでもいいのだが、つまりは拒食症も過食症も経験しているので、いつまたどちらに転ぶかわからないということだ。
同居家族にデリカシーがなく、たびたびおやつを控えろと言う。せっかく体重が落ちたならキーブしたほうがいいぞと笑いながら言うのだ。
そんなことはわかっているし既に実行している。だが仕事から帰ってきてストレスを少しでも発散したいときにちょっと食べるおやつにまでそういうことを言われるのでうんざりしていた。やめてほしいとも告げていたがやめてくれなかった。
私には必要なものだが家族は自分の価値観を押し付けてくる。この時間に食べるならまだいいけどなど、本当に大きなお世話だ。
そして先日、最大地雷を踏んづけていった。
夕食を終えて、ごちそうさまと告げるかもう少し食べるか悩んでいたら急に「おやつ食べるくらいなら飯を食え」と言われたのである。
それまでの話の流れでおやつのことなど一切出てこず、夕食時にまでこんなことを言ってくるのかと思ったら怒りが込み上げて爆発した。体重なら毎日測っているし、順調すぎるほど減っている。一気に落とさない方がいいと薬剤師さんにまで言われているのに。
私の健康を気遣っているというフォローも嫌味にしか聞こえない。

もう何も食べるなということなのだろうか。
何も食べなければこの人は満足なのだろうか。
私が餓死してもこの人は何も思わないのだろうか。

体重とお金の話はしたくない。
だからといって仕事の愚痴を少し零せば正論で殴ってくる。
趣味の話をしたところでとなると会話の糸口はない。
段々と何も食べたくなくなってきて、冷蔵庫を開けても何が食べたいのかわからない。
元々満腹中枢は麻痺しているのでよけいに混乱する。
元々食事が億劫なので、だんだんとどうでも良くなってくる。お腹が空いたと鳴っても、しばらくすると忘れる。
そんな人間に、食べるなというのか。
じゃあ食事もしなくていいのか。それだと楽だ。
仕事があるので朝は食べて、それで終わり。おかずに何を作ろうか悩まなくて済む。
簡単な話だ。

もうその話はしないと言ったが、私がやめてほしいと何度も言ったのに聞き入れず、酒が入ったらまた忘れて同じことを言われる未来が見える。
それなら私が何かを食べる姿を見せなければいいのではないか。

生きるのが面倒だから早く死にたい。
もう少し終活をしたら、この苦しい世界を終わらせたい。

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