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夏への扉は、閉じられた。。。

今日はなんだか、心ぼそい雨がふっているね。

緊急事態宣言が解かれ、東京アラートが廃止され、新規感染者数が落ち着いてきて、ああ、これでコロナ禍も、終息に向かって行くのかな。。。夏にすこし期待できるのかな。。。

と思っていたら、まさかの都内290人越え。。。第二のピークが来たよね。。。そうして、もうすでに手の中からするりと抜け落ちてしまったように感じる、ことしの夏。。。

自分がもしSF作家だったら『閉じられた夏への扉』というエッセイを書くにちがいない。。。

まあ、コロナ鬱になるのは、しょうがないよね。雨もふってるしさ。。。

今日の聖書の言葉。

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 
マルコによる福音書 9:23 新共同訳

いまは、忍耐して、信じ続けることが、世界中のひとに求められているよね。「信じる者には何でもできる」というイエスの言葉を、握りしめて、信じよう。信じ続けよう。。。

今朝の『教会の祈り』(時課)の「読書」でよむことになっている詩編は、すごく悲しく、せつない詩編だった。

詩編第69編なんだけど、これは、イエス・キリストの十字架の苦しみを、預言的に叙述した詩編だとされている。だから、読んでいると、なんだか、ほんとに自分がイエスの心の内側に入り込んで、十字架で苦しみあえぐその感覚を、リアルに味わってる気持ちになるんだ。

イエスは、そういう苦しみを全身で受け止めながら、それでもなお、「信じる者には何でもできる」と信じつづけていたのかな。。。疑いに負けることは、なかったのかな。。。

だから今朝は、この詩編第69編のあいま、あいまに、YouVersionの今日の聖書の言葉を「答唱」として使ってみたんだ。。。答唱というのは、詩編をよむときに入れる合いの手、みたいなもの。

こんな感じになった。

~~~~~~~~~~

叫び疲れて のどはかれ
神を待ちわびて目は衰えた。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

神よ、救ってください。
水が わたしの首までとどいている。
わたしは泥の深みに はまり、
さかまく渦に足をとられた。
叫び疲れて のどはかれ、
神を待ちわびて目は衰えた。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

わたしは、あなたのために恥をしのび、
恥ずかしさのあまり顔をおおう。
兄弟から のけものにされ、
家族のものから じゃま者とみなされた。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

わたしを敵の手から助け、
どろ沼に沈まぬように、
水の底から救い出してください。
大水が わたしを飲み込み、
深いふち、水の底に わたしを閉じ込めないように。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

そしりは わたしの心を打ち、
わたしは痛みに耐えかねている。
いたわってくれる者を捜したが ひとりもなく、
慰めてくれる者を見つけることができなかった。
かれらは食べ物として苦いものを与え、
のどのかわいている わたしに、
酢を飲ませようとした。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

~~~~~~~~~~

この詩編に預言されているとおり、イエスは十字架の上で、海綿にふくませた酢を口にした。その直後、イエスは「完了した!」と宣言して、息をひきとった *。そして、墓におさめられ、三日目に復活したんだ。

絶望の深淵に下りて行きながら、信じ続けたイエスは、復活して、光に満ちた、ひらけた広い場所で、いま、わたしたちを待っている。

その、ひらけた場所に、わたしたちもかならず住みつくことが、できる、と約束されている。

なぜなら、詩編第69編の結びは、こうだから。

~~~~~~~~~~

子孫は それを受け継ぎ、
神の名を慕う人が そこに住みつく。
  「できれば」と言うか。
   信じる者には何でもできる。

~~~~~~~~~~

この詩編の言葉を、重ねて保証するかのように、イエスは、こう言ってる。

わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
ヨハネの福音書 14:2-3 新改訳2017

今年の夏への扉は、なんだか閉じられちゃった感じだけど。。。

でも、イエスが待っている、あの、光に満ちた、ひらけた広い場所は、わたしたちの目の前に、いまも、広がっている。

そこへの扉は、決して閉じられることがないんだ。なぜなら、復活したイエス自身が、その扉なんだから。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
ヨハネの福音書 14:6 新改訳2017

註)
* Cf. ヨハネ 19:20-30



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