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最悪じゃん!? いや、気分を変えてこ。

在宅勤務がつづき、しばらく電車に乗ってない。乗れないことで、よかったのは、駅の改札にあるサイネージに表示されてる、今日の星占いを見なくてもすむことだ。

そんなの、見なけれりゃいいじゃん、と思うかもしれない。けど、ちょうど、階段を下りていった先に位置しているもんだから、見ないようにするには、目線をそらして下りなきゃいけない。これが、ひやひやするほど危険を感じるので、しっかり階段を下りるとなると、目に入ってしまうんだ。

星占いというと、いまでこそ、気休め、趣味、ひまつぶし、の類になっているけど、大昔は、国家の祭祀と政治の遂行の上で、重要決定は、星占いで行っていた時代があったんだ。当時の人にとっての星占いは、今のわれわれの「科学」みたいなもの、だと思う。。。ってことは、今のわれわれが思っている科学は、千年後の未来人には「占い」の類になっているのかもしれないねー。わからんけど。

新約聖書が書かれた背景にある、古代ローマ社会では、あらゆる人が、あらゆることを、星占いで決めようとしていた。なんでかというと、天体の運行が、エーテルという目に見えない力を媒介して、人間の体内の粘液のめぐりに影響することにより、人間の思考と行動が動かされているので、天体の運行を正確に観測し分析できれば、個人の運命・社会のこの先・世界史の展開を、ぜーんぶ予測できる、という世界観を、古代人は抱いていたんだ。

こういう世界観にたつと、人生における吉凶は、天体の運行、惑星の配置、月の満ち欠けで、すべて決まってしまう、ということになる。

だから、当時の人々は、みんな、いつも、天体の動きを気にしていたんだ。

それをねー。。。古代世界において、ひっくりかえした、革命的な宣言が、今日の聖句だ。

今日の聖書の言葉。

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
ヤコブの手紙 1:17 新共同訳

今日の星占いが最悪だったって? あわてないで、落ち着いて、だいじょうぶ、なーんも心配ないから、ということ。

あなたの人生で、すべての良いものは、ただひとりの良いお方から、来ているんだよ。その良いお方というのは、創造主だ。

だから、いろんなこと気にしないで、創造主だけ見てればいいんだよ。しかも、その、見るっていうのは、神の顔色を心配しながら見る、ってことではない。なぜって、天体は、動いたり、満ち欠けがあったり、常に流転し、変化し、変化にきりがないけど、神には、変化が一切ないんだから。

神は、永遠のむかしから、永遠の未来にいたるまで、ずーっと変わらず、あなたを愛し続けている。その愛は、かげったり、くもったり、目減りしたり、水増ししたり、しない。無限の愛だから、どこまで行っても変わらず、いっさいの増減なく、無限の愛だ。

神の愛は、永遠に変わらない。その神が、あなたを愛している。神はあなたに、すべての良いものを与えてくれる。だから、天体の動きなんて忘れて、神だけを見て、人生をエンジョイすればいいんだよ、ということ。

神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します
ヨハネの手紙一 4:16-18 新改訳2017

なので、駅の改札で、あれを目にしたとき、オレはつぶやくんだ。愛だよな、愛、って。


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