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永遠の目標である「敵」をめざして

自分にやさしくしてくれる人に、やさしくする。

これは、簡単だよね。

なんだか知らないけど、つっかかってくる人、攻撃してくる人、あからさまに意地悪してくる人、権利を侵害してくる人。

こういう人に、やさしくできるか、というと。。。無理です。。。ごめんなさい。。。

今日の聖書の言葉。

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ルカによる福音書 6:35 新共同訳

人類に、聖書の言葉が与えられて、数千年が経過した。

聖書に書かれていることのある部分は、人類の歩みが、ようやく追いついて来ている感じがする。

キリストにあって自由人も奴隷も無い、という聖書の言葉 *。これは、長い時間を経て、国際法や各国法による、身分制度の廃止・奴隷制の禁止というかたちで実現してきている。もちろん、法の抜け穴をかいくぐった、奴隷という名前を使わない奴隷制が、世界にはまだ存在しているから、聖書に追いつくための歩みは、これからも続いていく必要がある。

じゃあ、キリストにあって男も女も無い、という聖書の言葉は、どうだろう? **。これまた、長い時間を経て、だいぶ前進してきているように見えるけれど、世界を見ても、自分の国を見ても、ぜんぜん十分ではないと思う。

「敵を愛しなさい」という聖書の言葉については?

これ、ほんと、実現は難しいと思う。

冒頭、無理です、って言ってしまったけれど、敵対して来る人に親切にするのは、個人レベルでも難しいし、ましてや、国レベルでいったら、もっと難しい。

そういう意味では、永遠の目標、と言ったらいいのだろうか。そこを目指して、永遠に旅を続けて行く、みたいな。。。

しかし、聖書は、神の言葉だから、そこに書かれていることは、ひとつとして地に落ちることはない、と自分は信じている。

今日は無理に見えることでも、いつか必ず実現すると信じて、いま、この瞬間、努力することが大切なんだと思う。あきらめてはいけないんだ。

自分の「敵」に、今日なにかひとつ、善いことをしてあげられるとしたら、それは、何だろう。。。

すべてを気前よく与えてくださる父なる神のように、自分がなることは、到底不可能だけど、でも、自分がほんの少しでも、父なる神のように「気前の良い心」を実践できるとしたら、それはいったい、何だろう。。。

考えながら、祈り、何ができるかを、祈る。

註)
*  Cf. コロサイ 3:11
**  Cf. ガラテヤ 3:28

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