見出し画像

『タシちゃんと僧侶』上映&ダイアログ(GRID CINEMA)感想戦

11月19日開催の『タシちゃんと僧侶』上映&ダイアログの”感想戦”をしました。映画自体は39分の作品。宮坂さんと一緒に振り返り、深めていったところ、1時間近く語ってしまいました。

※宮坂舞花さん:北海道教育大学在学中。性教育学生団体”Palette” を運営。

図1

▼自己犠牲と人助けは両立する?

今回のGRID CINEMAのダイアログで中心となったワードが「自己犠牲」でした。

・自己犠牲の上で人を助けることは、望ましくないのでは?
・自己犠牲では、長続きしないのではないか?
・映画に出てくる僧侶や孤児院のスタッフは、そもそも自己犠牲的に働いているのだろうか?

宮坂:自己犠牲は望ましくないと思います。息切れしちゃいますので。

浦野:頭ではわかります。ただ、この映画を観て感じさせられたのは「命がけでも助けなければならない人が、この世界にいるんだ」という事実でした。極度に苦しい境遇にいて誰かの助けが必要な人たちがいる。そこに命がけで、犠牲を払ってでも助ける人が必要だということ。親から見捨てられる子どもたちの姿から、そのことを痛感しました。

宮坂:そうですね。絶対悪ではないと思います。私も自己犠牲でやってしまうことがあります。一度だけならば自己犠牲で何とかなるかもしれない。単発的にはアリです。でも長期的には続かないし、人に心配や迷惑をかけることも考えると、できるだけ避けたほうがいいのかなと思いました。

浦野:実際、主人公の僧侶からは「自己犠牲」を感じませんよね。彼自身も得るものがあるというか、彼自身が自分の子ども時代をやり直しているとも言っています。

宮坂:ダイアログで話題になったのは、孤児院のスタッフたちでした。あの人たちはどうなんだろう?っていう。それから、あの僧侶のように孤児院を立てる「次の人」が出てくるかどうか。そこに自己犠牲があったら、次が出てこないか、出てきても長続きしないよね、というお話です。

図2

浦野:自己犠牲の上にある人助けって、何がいけないんでしょうね?

宮坂:一つは、その人自身が追い詰められてしまうこと。パフォーマンスが下がったり、言動がきつくなったりして助ける相手にも影響してしまいますよね。もう一つは、助ける側の関係性もあります。あの人は頼まれたことを断らずに引き受ける人だという場合に、どのくらい抱え込んでいるのかな?など心配してしまいます。そのせいで頼みにくくなったりもします。

浦野:そう考えると、何でも引き受けるタイプの人は、次第に「頼まれなく」なって「頼られなくなる」っていうことかもしれませんね。何でも引き受けたいという本人の意思にとっても、望ましくないことです。

宮坂:自己犠牲か、そうでないか。根本的には本人の問題のように思います。やりがいや達成感があれば、周りにどう思われたとしても自己犠牲とはいえません。

浦野:そうですよね。かなり無理をしたとしても、それで大きな心の充足が得られたら自己犠牲ではありません。自己犠牲的なケースって、断れないとか、義務感とか、要請を迫られて、とか。そういうケースでしょうね。

宮坂:今、話をしていて考えたことがあります。人はどういう時に「自己犠牲」を超えられるのか、ということです。

浦野:自分の意志かどうか。これは大きいと思います。人の指示だから、与えられた役割だから、というのでなく、自分の意志で、主体的にやること。その場合は自己犠牲を感じないのではないでしょうか?

▼自分と対話をする時間

宮坂:自分の満足ってとても大事だと思うのです。今の若い人たちには、自分の満足って何だろう?と考える人が少ないと感じています。そのための時間がないんです。常にSNSで連絡を取り続けている人が多くて、自分との対話をする時間がないんです。私はその状態が好きではないので、そうしていないのですが。

浦野:そのお話にはハッとしてしまいました。大学時代って、時間が膨大にあるもので、その時間をずっとSNSに使っちゃっているって、すごく深刻に思います。僕自身、高校・大学時代に無限の時間を要して考え抜いたことが、今の自分に宿っているんです。自分について、人生について、世界についてなど。今はそんなことを思い悩む時間はありません。

宮坂:大学時代に挫折を経験している人は、その時間の大切さに気が付いているように思います。

浦野:なるほど。逆に挫折などなくスムーズに生きていると、オフラインに自分を置くことがないんですね。それは大変ですね。自分の意志をもってスマホを遠くに置いたり、電源を切ったりしないとオフラインにできないわけですよね。

宮坂:はい、そういう世代なんです。すぐに返事をしないと仲間外れになったり、コミュニティによってはあるみたいですよ。難しい世代ですよね。周りに流される日々を送った人たちが、もっと年齢を重ねて、30代、40代になってから影響があるんじゃないかと思いますね。

▼多様性のこと

浦野:もう一つ話したいのが、孤児院から一般社会へ出ていくところです。映画の中で、大学へ進む女の子がこれから出ていく先の「世の中」を怖がっているシーンでした。

宮坂:印象的でしたね。心配にもなりました。社会は冷たいところがありますから。

浦野:これからあの子は色々ときつい思いをするんじゃないかなと僕も思いました。

社会は冷たいということですが、どんなことが待っているんでしょう?

宮坂:孤児院は、無償の愛に根ざしていて、温かい空間だと思うのです。でも世の中はもっと冷たいですから。無償の愛でなく条件付きの愛だとか。自分のことしか考えない人が沢山います。

浦野:親がいないことに劣等感を抱くでしょうね。差別をされることがあるかもしれません。

宮坂:世の中には自分のことしか考えない人や、攻撃的な人がいますからね。

浦野:あの女の子は、会ったことのない人がいっぱいいるでしょうね。同じ境遇の子どもたちとだけ、一緒に生きてきたわけで、とても多様性のない環境です。

図3

宮坂:私は今大学生ですが、高校、大学、と進学するたびに出会う人のタイプの幅がどんどん広がったんですよ。高校の時にこの人とは合わないなと思っていた人をはるかに上回る変わった人が現れるんです。考え方がアクロバティックだったりとか、全く話が通じないとかいうレベルで。

浦野:自分は逆だと今、気づきました。中学まで地元の公立で、高校は進学校で男子校で一気に多様性がなくなりました。さらに大学は理工学部の情報通信の学科で趣味趣向まで似ている。130人の学科で女子が2名でした。会社でも製造業の分野だからなのか、職場や顧客には中年の男性が多くて。地元のほうが多様性が豊かです。歩んでいる技術系のキャリアのせいかもしれません。

宮坂:失敗を許さない社会って、多様性のなさにつながるように思います。一度レールを外れると過ちのように感じてしまう。ギャップイヤーが認められない風土にもつながります。

浦野:浪人にしても、休学や留年にしても、減点ですからね。

宮坂:失敗できないというプレッシャーにもなります。そういう意味でも、多様性って大事だと思います。どんな人がいてもいいんだ、という考え方がいいな、と。

浦野:39分の短い映画ですが、人間について、社会について、話はいろいろ広がりますね。

宮坂:短い映画だからこそ、かもしれません。何か問題が解決した感じもないですし、実際にあの孤児院は今でも続いているんでしょうし。

浦野:映画の長さよりも話し合ってしまいましたね。

宮坂:まだ別の視点でも話せることがありそうです。

浦野:そうですね、長くなるので今日は引っ込めておきますが、子どもを育てられないという親の責任について。また、その原因の地域特有の貧しさについても、この映画からは考えさせられました。今度改めて話しましょう。ありがとうございました。

宮坂:ありがとうございました。

※ZOOMにて ~茨城県つくば市と北海道東川町をつないで~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?