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時が止まったままの押入の中

さて、前回投稿から9日が経った。“日替り茶房”と銘打ってはみたものの、変化の乏しい日々からネタを無理矢理搾り出したとて、それはそれで「自身で決めたからとりあえず続けてる」的な、言わば惰性の感が否めなく、またその思いが文章に滲み出てしまうかなとも思い至る。やはり自分自身が心地良く綴る事が一番だなと自己完結している自分が居るが、こういう緩さこそがワタシの悪いところなのである……。

少し前置きが長くなったが、今回は以前自室だった部屋の押入の中にあるものの話をしてみたい。

先ず、前述したワタシの“自室“について説明ついでに少し綴っておくと、有り難いことに、ワタシには自身の部屋がある。居を構えた時には、まさか自分の自由になる部屋など充てがってもらえるなどとは微塵も思ってはいなかったが、その理由は至極シンプルで、就寝時のワタシのイビキがとても酷いためであった。

夫婦の寝室として使用する予定の8畳の部屋が、件のイビキのせいで私の部屋となったのだ。
自身の安眠を得るために、そこそこの広さのある部屋での生活を諦めさせてしまった妻には本当に申し訳ない思いをさせてしまった……。
そんな8畳の部屋を、その後10数年に渡りワタシが寝室兼仕事部屋として使用するのだが、昨年、年頃になった娘の使う5.4畳の部屋が手狭になった事を理由に、ワタシの部屋と入れ替えを行うことに……。
移った当初は寝るための布団を敷くと少し狭さを感じたものの、二三日もすれば、その狭さに心地よさを感じるのだから不思議なものだ。

お互いの部屋にあった飾り棚や机等の移動はそそくさと済ませたが、押し入れの中の荷物は、お互いそれなりの量があった。そんな状況の中、「押入れの中の物は移動せず、そのままでいいでしょ」との提案を娘から受ける。要らない荷物でぐちゃぐちゃになった半ばゴミ箱と化した押し入れの中から一度物を出して入れ替えるのが面倒だった事は容易に想像できたが、私自身も入れ替えは面倒だったので、その提案を受けることに。自分の荷物の出し入れでお互いの部屋を出入りすることは、何ら支障もないので、今も押入の扱いは移転当時のまま変わってはいない。

そんなワタシの押し入れの中には、前置きで述べたワタシの性格を如実に表した物が今も眠っている。その物は、押入の天袋の最奥に静かに眠っているのである。
さて、その眠っている物は何なのか……。

ワタシの少年時代、あるロボットのアニメが大流行した。もうここまで書けば賢明な読者諸兄は恐らくはご察しの事と思う。


そう、その名は「機動戦士ガンダム」。

そのガンダムの模型である「ガンプラ」が、かれこれ20数年間、静かに眠っているのである。
アムロが搭乗した初代ガンダムを始め、ズゴックやザク、少し目新しいSEEDのストライクガンダムやセイバーなど、自身で購入したもの、戴き物を含めて7、8個を保管している。
ガンダム以外には、バイクのプラモデルも幾つかあり、こちらは1980年代のキットだ。

最近のプラモデルは、接着剤を使う必要がなく、部品の合わせ面も目立たないものとなっていることをつい最近知ったのだか、ワタシが所有しているキッドは、接着剤を用いて組み立てるものである。
ランナーからニッパを使って部品を切り取り、切り取った部品のバリをクラフトナイフを使って丁寧に削り取る。そしてそれらにヤスリを掛け、部品どうしを接着剤で接合し、組み上がったパーツを再びヤスリ掛けして、マスキングをしてから塗装……。少年時代は気の遠くなる手間と時間を掛けて作ったものだか、今の私が当時と同じ工程を踏むとなると、些か許される時間が無さすぎるのだ。模型を製作するにあたっての技術はもとより、ツール(道具)に費やす費用についても、少年時代とは比べ物にならないほどのパワーはある。それ故に完成後のクオリティーを意識し、いざ本気で作り出したならば、それこそ向う何ヶ月間の余暇は完全に模型に費やされてしまうことは想像に難くない。とても残念だか今のワタシにはそこまでの時間も気力も無い……。
この先、余暇という時間を贅沢に使える日が来るかは今のワタシには想像すら出来ないが、時間の進み方が今よりもゆっくり感じられる様になるまで、そんな日が来るまで、彼等にはもう少し押入の隅で眠ってもらおうと思う。


最後に、プラモデルマニアの知り合いにこの話をしたところ、当時のキットはそれなりの値段で売れるかもしれないと言っていた(当のご本人は譲って欲しいというオーラを出しでいた(笑))。売るつもりも譲るつもりも毛頭ないのだが、どのくらいの値が付くのかという助平心が湧いてくるのはご愛嬌。

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