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選択

埼玉県春日部市はとても住みやすい町でした。
東京のベッドタウンとして移入者を受け入れ続けてきた歴史からでしょうか?よそ者を嫌わず、普通にご近所付き合いができるのは若い家庭持ちには本当にありがたい事でした。
お隣の壮年の庭師さんご夫婦もお向かいの地主さんのおばあちゃんも本当に親切に接していただいて、私たちはどれだけ恵まれていたでしょうか。

まぁこんな感じです。春日部市小渕。


「頭金50万円からのマイホーム」謳い文句に「騙されてるに違いないわよ」妻のママ友が警告してくれましたが杞憂でした。100平米の土地に小ぢんまりと4LDK、車庫と猫の額程の小さな庭。用水路に面しているので市役所と交渉して小さな橋を渡して出入り出来るように改修しました。
長女が3歳次女が1歳。私が1ヶ月半に及ぶ超ハード(今ならブラックと呼ぶ)な海外出張から帰って来ると「父たんだ、わーい」と走り出てきた娘が私を見るなりビーーーーーッと泣き出しました。

抱っこどころじゃなかった

いや、そんな、泣かんでも・・・
お土産を広げて妻と笑い合って次女を抱っこしているうちのなんとか思い出してくれたみたいですが、いやはや何とも。「会社じゃ体壊したのは自己責任って言われるし家に帰れば子供に泣かれるし海外出張なんてロクなもんじゃないな・・・」
独身の頃の憧れとチャレンジの気持ちはバブルの波に乗ってやりたい放題羽ばたきました。しかしバブルが崩壊して妙な人事制度を強制され「働くだけ損」みたいな風潮になった会社は何だかつまらない場所になっていました。
夏休みに妻の両親と弟達と川のあるキャンプ場に遊びに行きました。

AIさん、娘はもっと楽しそうだったし魚は水の中です

私が生まれ育ったのは三方が険しい山で一方が深い入江になった「陸の孤島」と呼ばれた所で、それ故にロケット基地などが出来て日本初の人工衛星を打ち上げたりした町です。子供の頃は山と川と海で遊びました。妻の実家は転勤族でしたが外遊びが好きで、海で貝を取ったりウニを捕まえて食べたりしたと言います。
娘が綺麗な渓流でメダカを追いかけてはしゃぐ姿を見ながら「こんな所で子育てがしたい」と思いました。
埼玉県春日部市は本当に住みやすい素晴らしい町です。一軒家も建てたし、でも・・・
埼玉には海が無い。(表題写真の方のセリフです)
春日部には山も無い。景色を眺められるのはロビンソンの屋上だけです。
川はあるけど澱んでる。あそこで釣った魚を食べて大丈夫か?
キャンプから帰って妻の実家でゴロゴロしていると新聞広告に中途採用募集の文字、しかも地元放送局。
夏休みが終わって会社で苛立つ日々に戻った時、私はその放送局に連絡しました。
東京支社に面接に来てほしいとの事。
銀座の一等地にその支社はありました。人事担当者と話をして、簡単な作文をして、後日連絡があり鹿児島市にある本社で心理テスト、デモテープ披露、役員面接。
「あなたはそんなに活躍しているのなら会社から引き留められませんか?」
「引き留められると思います」
「辞められますか?」
「自分の人生ですから」
その後、採用の内定通知があり、いつ来れるのかと盛んに電話が来ました。
妻と話し合い「今年は体壊してまで頑張ったから会社の言う事が本当ならボーナスの額が上がるはず。それ次第で決めよう」となりました。
12月。ボーナスはショボかった。てか3年前より減っていました。
「背中を押してもらった気分だ」
直筆の退職願を出したら、事務が「ワードで打って下さい」そんな事も知らんのか、教養の無い・・・いやいや12年間お世話になった会社です。ありがとうございました、深く御礼申し上げます。

世紀末も押し迫った1999年4月、私は人生3つ目の会社に転職しました。
でも転職っていうのかな?仕事は最初からずーっと一緒だけど?

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