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"名誉と財産を得た次に望むものは?"との質問に、ビートルズは「平和」と答えた

音楽文化論の聴講[第7回]
1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン

大学の音楽文化論の授業の7回目は、前回に引き続きイギリスのポピュラー音楽状況を振り返るもので、「1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン」でした。

「イギリスにおけるビート・ミュージックとビート・バンドの誕生とその展開について理解」し、「ブリティッシュ・インヴェイジョンが、アメリカのポピュラー音楽に与えた衝撃、そして「ロック」というジャンルの形成に果たした役割を理解」するというものです。

イギリスのスキッフル・ブームが、その後に多くのバンドを生み、彼らはビート・バンドと呼ばれたこと、そしてそこにはチャック・ベリーの影響が大きかったと述べられました。リバプール周辺から登場した複数のバンドが成功し、彼らの音楽がマージー・ビートと呼ばれたとして、ビートルズ、ジェリー&ザ・ペースメーカーズ、サーチャーズの映像を課題曲として視聴しました。その音楽においてコーラスが多用されること、服装に共通点があること、音楽の雰囲気が似ていることが指摘されました。

それまでロックンロールの流行がなかったロンドンにマージー・ビートが飛び火して、さらに多くのバンドが誕生します。そしてイギリス生まれのビート・バンドの音楽の総称として、ブリティッシュ・ビートの呼称が用いられます。その数例として、デイブ・クラーク・ファイブ、ローリング・ストーンズ、ハーマンズ・ハーミッツの映像を視聴しました。ブリティッシュ・ビートは、のちにイギリスのみならず、アメリカでも大活躍するアーチストやバンドを輩出したこと、そしてその音楽性には、ポップで甘いサウンドから、R&Bやブルースの影響の色濃いサウンドまで、様々であることを確認しました。

ついでビートルズの複数の映像を見ながら、彼らのその後の音楽の変遷を辿りました。ビートルズは、20世紀を代表する音楽グループであり、バディ・ホリー&ザ・クリケッツのバンド編成を受け継ぎつつ自作曲を演奏したこと、R&Bやロックンロールのカバー的なサウンドから始り、のちにフォーク、クラシック、前衛音楽、インド音楽などを取り込みながら、自身の音楽をロックへと革新していったことが教示されました。

ビートルズのメンバーのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンがアイルランド系のルーツを持っていること、そのことに彼らが自覚的であったこと、また下層中流階級に属しつつも、労働者階級からの文化的影響にも自覚的であったことが指摘されました。そしてイギリスにおいて差別を受けていた層から登場した若者たちであるビートルズが、世界中に影響を与えたのだとの見解が示されました。
ポール・マッカートニー Paul MacCartneyの"Mac"は「〜の息子」に相当する言葉であり、それ自身がアイルランド系であることを示す特徴的な名字であると付け加えられました。マクドナルド McDonald においても、おそらくアイルランド系の創業者がいたのだろうとのことでした。

そしてブリティッシュ・インヴェイジョンついての講義がありました。
1964年のビートルズの「アメリカ上陸」以降、続いて数々のバンドがアメリカに進出して成功を納めます。1960〜63年に米国チャートのトップ10に入ったイギリスのミュージシャンのレコードが10作だったのが、64〜67年には173作へと跳ね上がりました。65年5月の米国チャートのトップ10においては、イギリスのミュージシャンが9曲を独占するという事態も生まれました。「ブリティッシュ・インヴェイジョン」とは、イギリス勢の侵略のこと。これはアメリカのメディアが命名した用語だと添えられました。

ブリティッシュ・インヴェイジョンは、イギリス国内のみならず、アメリカにおいても多くの聴衆にブルースやR&Bなどの黒人音楽を再認識させ、また発見させることになったとの指摘がありました。これはアメリカ音楽の影響受けて誕生したブリティッシュ・ビートが、いまいちどアメリカに影響を与えたことに他ならず、文化とはこうして往復し影響し合うものとして記憶すべき事項と説明されました。

なお授業の過程で「ビートルズの名前を知っている人」の挙手が求められ、50人ほどの受講生の3分の1が手を挙げました。「彼らの音楽を聞いたことがある人」となると、その数がさらに減りました。音楽文化論を選択し聴講する大学生においてさえも、ビートルズと彼らの音楽の知名度はこの程度でした。多くはビートルズの4人の判別はつかず(先生からは「顔と名前の一致がテストの対象になる」との発言がありました)、ボクが小学生から中学生として生きた1960年代は、学生たちが生まれる数十年以上も前のことであり、"歴史"の一部なのかもしれないとの思いを持ちました。

帰宅後に、論点を整理してみました。

スキッフルは、ロックンロールの入門編。ロックンロールに、様々な音楽要素を持ち込み、飛躍的に表現を拡大させた進化型がロック。ビートルズは、そのようなロックの正真正銘の牽引者だった。明確な境目があるわけではないものの、1966年ごろから自らの音楽をロックンロールではなく、ロックと呼ぶミュージシャンが増えた。ブリティッシュ・インヴェイジョンが、アメリカ国内における黒人音楽の認識、あるいは発見につながった。ポピュラー音楽を介して、米英で文化の影響が往復した。

なおビートルズ、マージービート、ブリティシュ・ビートなどを、2時間の授業で簡潔にまとめることは難しく、見出し的というか、端的な要素だけが並んでしまうことになるのは、いたしかたないものと思います。ビートルズについては、様々な本も出版されていますし、今さらとも思いますが、こうして学びつつボクなりに改めて面白みやリアリティを感じたことを、最後に付記します。

レコード・デビュー直前にバンドを首になったドラマー、ピート・ベストは、ビートルズは言いたいことをみんなが言いあっていた民主的なバンドだったと証言しています(ビートルズ研究家の藤本国彦さんによれば、最後までビートルズは民主的なバンドだったとのことでした)。

ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインは、彼らが広く受け入れられるために、服装をレザーのジャケットから襟なしのスーツに変え、髪型をリーゼントからモップトップ(いわゆるマッシュルームカット)に変えました。この髪型は、フランスでは実存主義志向、ドイツでは反ナチの意味あいを含むものでした。

1964年のアメリカ初上陸の記者会見で彼らは黒人音楽へのリスペクトを表明し、この年の9月には観客の人種隔離を当然のこととしていたフロリダ州ジャクソンヴィルでの公演に際して、隔離を撤回させました。

1966年の来日公演の記者会見では、名誉と財産を得た次に望むものは?との質問に「平和」と答え、ベトナム戦争と原爆への反対を口にしました。

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