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イラストレーター/デザイナー/フォーク音楽家 イサジツトムに会った _ 2

 ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。
 第一回には、イサジツトムさんに登場していただきました。

 イサジツトム〜その1 絵のことばかりを考えていた に続いて、
 イサジツトム〜その2 自分の中に生き続けるものがある
をお楽しみください。

 イサジツトム〜その3 進まなきゃいけない、進みたいという想い
も、公開しました。

イサジツトム〜その2 自分の中に生き続けるものがある

喜んでもらえるのが、好きなんだよ

イサジ  オレをかってくれたテレビの構成作家の方から、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の土曜日深夜の番組「独占!おとなの時間」のタイトルバックの絵を描く仕事をもらった。ちゃんとギャラをもらったよ。それが大学4年の時のこと。その作家の方から「お前、どうしてる?」って、たまたま連絡があった。卒業制作の作品を持って、「使ってもらえませんか?」って出版社やデザイン事務所に飛び込みで廻っているけど、どこもダメだっていう話をしたら、「ヨーロッパの街々のことをテーマに、レギュラー・コラムを書いているエロ本がある。そこにカットを描かないか」って言ってくれた。「やるに決まってますよ」って答えたよ。ポルトガルの地図を書き写して、そこにファドを歌う女性を描き込む。そんなカットを各号に2枚。2点で1万円だった。それが嬉しくてね。大亜出版っていうところの雑誌だったんだけれど、ああいうところの編集長って、エロ本やりたくてやってるわけじゃないからね。その編集長が、いろんな仕事を作ってくれた。「女子プロゴルファーのローラ・ボーが、やらしく見える絵を書け」って言われて(笑)、「え〜、なんですかそれ〜。そんなのオレ、描けねえよ〜(笑)。とにかくオレの感覚で描くから、ダメだったらダメって言ってください」って答えて、ローラ・ボーが縛られている絵を描いた。「あ、これは、これでいいかぁ」って編集長が言って、見開きで掲載された(笑)。そんな絵も描いたけど、3回で嫌になっちゃった。
 でね、その大亜出版が、"くるまにあ"っていう雑誌を作った。その表紙の仕事をもらった。月に6万円。ほかにエロ・カットもあるからね、これで家賃も払えて、飯も食えるようになった。ホッとした。食肉センターの方にも片足を突っ込んでいたんだけど、アルバイトを辞めることができるからね。
 ”くるまにあ"の表紙の仕事は、創刊から2年くらいやったかな。オレの絵はね、見ればすぐわかる。車のデッサンが正確じゃないから。ミニクーパーを描けって言われたら、木の枝からミニクーパーがぶら下がっているような、そんな絵ばっかり描いていた。しばらくして、このイラストレーターの車の絵は、車軸の位置が違うとか、そういうクレームが来ちゃってさ。それで嫌になっちゃった。
大江田   「絵の書き方を変えろ」とは言われなかったの?
イサジ    それは言われなかった。「ちょっとイラストレーターを変えるから」って言われた(笑)。それをOKできたのは、同じ大亜出版から"ゲームボーイ"って雑誌が創刊されて、そっちの仕事をもらったから。その方がオレの肌に合ってたからね。
 たださ、ギャラを現金で払ってくれないんだよ。手形だったんだ。やだなあと思った。そのうちに大きな会社と付き合い始めると、ちゃんとしているし明朗会計だし。ああ、やっぱ違うんだなあって思った。確かに恩はあるんだけど、オレに色々と仕事をくれた編集長も退社しちゃって、潮時かなって。
大江田  食肉センター時代には、働いているおばちゃんたちの似顔絵を、描いてたんだってね。
イサジ  うん。マンガ風に描いていたのね。そしたら「私も描いて」、「私も描いて」って、ものすごく人気が出ちゃって。
大江田  依頼者を喜ばせるっていう才能を、先天的に持っていたのかな?
イサジ  喜んでもらえるのが、好きなんだよね。たぶん小学校の時から、そうだったんだよ。ものすごく嬉しいんだよ(笑)。
 吉祥寺に"のろ" っていうライヴハウスがあったでしょ?オレの高校の同級生が働いていたんだ。懐かしいからよく会いに行ってた。その"のろ"によく来ていた男が、大学を出てから就職して、リュウ・ブックスっていう新書シリーズの担当になった。「イサジ、うちでも描かない?」って言ってくれた。"こうしたらあなたは100を切れる"といったゴルフの本が多かったな。柔らかい絵が欲しいって言うから、表紙の絵を描いていたら、"週刊ゴルフダイジェスト"からも「カット描いてくれない?」って、声がかかった。そうするうちに、仕事が広がった。

初の個展@神保町悠久堂1990年頃
左から⇒ あまね君/高田漣君/今井忍君

今が勝負だなと思った


大江田  絵を納めるスケジュールの調整も、自分でやらなきゃいけないんだよね。
イサジ  うん。それが大変。電話の時代だしねえ。
 その頃は西荻窪に住んでた。花田テラスハウスっていう、若乃花が経営しているアパート。一階は生活ゾーン、二階が仕事場。この西荻窪時代が、長かった。風呂付きで8万だったかな。昭島のハウスのものすごい燃費の悪いガス湯沸かし器を使い、タイル張りで寒くてしょうがない風呂に入ってたことと比べたら、天と地ほどの差だったよ。高くはないよね。駅から遠いし、線路のすぐ横だったし。
 同じ頃ですね、岡本綾子さんが賞金女王になった1987年のお祝いのゴルフボールのイラストを描いたのも。岡本さんに数回ほど会ったよ。事務所の忘年会とかね、必ず呼ばれた。岡本さん、ワールドクラスの人だから、会った瞬間にもう違った。広島弁で「実家のみかんじゃけ」とか言って、くれるんだよ。オーラもだけど、目が違う。オレが嘘ついたとしたら、全部、見抜かれちゃいそうでさ(笑)。だから、目を合わせられないのね。
 ゴルフボールに印刷されたのは、"週刊ゴルフダイジェスト"に書いた似顔絵だった。それを事務所が買い取ったわけ。

岡本綾子プロ似顔絵入りボール


大江田  小学館の仕事もその縁で?
イサジ  "週刊ゴルフダイジェスト"をやっていた編集プロダクションが、小学館の仕事を紹介してくれた。「イサジの描いたイラストは、すべて通す。どんな絵でもいい」って言ってくれる人がいて、ものすごく嬉しかったよ(笑)。内野さんっていう方なんだけど。もう一生、頭が上がんないね。
大江田  イサジの書く絵のどこを評価してくれたんだろう?
イサジ  オレの描くイラストを「いい」って言ってくれて、「曲げるな」って言われた。「どんな絵を書いても、オレが通すからいいんだ」って。でね、実際のところ通るような仕事を持ってきてくれた。色々と考えてくれていたんだろうな。
 "ポプコム"っていう小学館が創刊した雑誌のシンボルマークを書いた。それから、例えば倉庫番っていうゲームの紹介イラストや、ゲームが展開していく画面をイラスト化したりした。そのころは新しいゲームが毎月毎月いっぱい発売されていてね、そういう仕事を沢山した。でもね、面白いことにその編集長がゲームを嫌いなの。もともと児童文学の人なのね。「トーマス・マンの『詐欺師フェリクス・クルルの告白』っていうすごくいい小説があるから、それを読みなさい」なんて言われた。それで「詐欺師フェリクス・クルルの告白」を「なんだぁ、これ」って言いながら読んだ。超博学な人が自慢話みたいにして書いている、すごーく長い小説なんだけど、それが面白いんだな。あれも言ってみればダークサイド・ファンタジーだね。
大江田  イサジの絵は、人間のダークサイドを表現する絵ではないよね。
イサジ  そう、違う。
大江田  いつか自分の絵を描きたいという想いが、ふつふつとあったの?
イサジ  そういう気持ちはあった。今でもホントーは、自分の絵を描きたいと思っている。今は、静かで湿気のある世界を描きたい。
大江田  依頼がなくても描いていたりしたの?
イサジ  うん。そうそう思いだした。
 "夕刊フジ"で、スポーツのコラムがあった。西武の清原やジャンボ尾崎についての原稿があって、そこにカットを書く仕事ね。原稿を読んで読んで読み砕いて、スポーツの場面説明ではなくて、オレは原稿に書かれていない世界を描く。それを許してもらった。これも内野さんが持ってきてくれた仕事だった。それで目覚めた。その頃には食えるようになっていたし、酒も飲めるようになっていたし、今が勝負だなと思った。

カバーイラスト(原画:行方不明)

日本式ポップアート”ニギニギシズム”


大江田  幾つの時なの?
イサジ  26か27歳くらいの時。
大江田  早いね。もっと時間がかかっている人、いっぱいいるよ。
イサジ  うん。オレは早かったよね。30歳までにモノにならなかったら、絵を止めようと思っていたんだ。言われた通りにする仕事が嫌になってきていたので、"イサジの絵でいいから使いたいという依頼があったら、お願いします"って言ったら、仕事がパッタリと無くなった(笑)。それが28から29歳くらいかな。
 でも内野さんだけは、"週刊ゴルフダイジェスト"の仕事をつないでくれた。「いいよ、イサジは好きなものを描いていいよ」って言ってくれた。だったら自分の作品を作ろうと思った。いくらオレの好きな仕事をくれって口で言ったって、オレの絵がないとわかってもらえないもんね。業界の人に見てもらって、こういう絵だったら発注しようって思ってもらえればいい。そもそもオレはこういう絵を描くオトコである、なかなかなもんであると伝えたくて、作品を描き始めた。それが最初かな。

カット:過冷却と突沸


 コンセプトは「日本式ポップアート”ニギニギシズム”」。「嬉しい 楽しい ほほえましい のんびり ホガラカ ばかばかしい 寄せて集めてニギニギしい ニギニギシズムで 地球は丸くなる」ってね。
 小さい絵が嫌になっちゃっていたので、知り合いの大工さんに1mX1mくらいの木製のパネルを作ってもらって、それに大きな絵を描いた。神保町の悠久堂っていう大きな古本屋さんの2階にギャラリーがあって、そこで第一回目の個展をやった。それが1990年ごろかな。35歳の頃だね。
大江田  業界の人は、見にきてくれたの?
イサジ  ほぼ来なかったな。岡本綾子さんの事務所スタッフ、ミズノスポーツのデザイン部、週刊ゴルフダイジェストの編集者、徳間書店の編集者、そして内野さんは、来てくれた。

絵も音楽のように"PLAY"したいのだ


大江田  雑誌の編集者って、自分にとって必要なイラストを発注しているのであって、イサジのクリエイティブが欲しいわけではなかったのかな。
イサジ  うん、それがはっきりした。
大江田  徒労感が残った?
イサジ  残らなかった。「なんで絵に値段を付けないんだ。値段が付いてないと買いにくいだろう」って言う人がいて、「ええ、そうなんですか」って言いながら値段を付けたら、半分くらい売れたの。まあ、仲間や知り合いが買ってくれたんだけどね。岡本綾子事務所からも、お買い上げがあって。これはこれでいいなって思った。
大江田  その後も、イラストの仕事は取り戻していったの?
イサジ  取り戻した。自分で売り込んだという記憶がないので、たぶんまた別の方面から依頼が来たんだと思う。
大江田  なぜイサジにオーダーが来るんだろう。どこがいいんだろう。本人は、どう自覚しているの?
イサジ  「イサジの絵は楽しいだけじゃなくて、上手い。だから頼みやすい」って、角川書店の編集者に言われた。他にも「アイデアが楽しいのがいいね」、「面白い」、「行間をよく絵にしてくれた」などと、言ってくれる人がいた。こういうことをわかってくれる編集者が、仕事をくれるようになった。
 イメージと戯れ、イメージを解放する「制約の無い」絵を描きたかったんだな。ピカソもダリも、"描く=遊ぶ"だなと感じたから。絵も音楽のように"PLAY"したいのだ、ってね。上手いだけの人だったら、いっぱいいるんだよ。

「招福猫の微笑」「メリーゴーラウンド」2008年頃のオリジナル作品(個人蔵)


大江田  それはイサジ独自のクリエイティヴだね。文章を読む力があることも認められたんだな。階段をひとつ上がったんだ。
イサジ  以前には「埋め草を書いといて」って、言われたんだよ。"埋め草"って、文字原稿の都合で、空白になっちゃたスペースを埋める絵のことなんだけど、失礼な言葉だよね。そういう仕事は、無くなった。今度は、そうなってくると、"埋め草"でもいいかなって思うようになったよ(笑)。また食肉センターでバイトするくらいだったら、"埋め草"でもいいか、絵に関わる仕事だったらいいのかなあって(笑)。
大江田  その頃はまだ一人者で、結婚なんて考えてなかったのかな。
イサジ  そう。いつも性欲と闘ってた(笑)。

「Midnight at the OASIS」2010年頃オリジナル作品(本人蔵)

オレよりも面白い考えを持っている名もない絵師が、いっぱいいる


大江田  そういえば、このインタビューの件が持ち上がった時に、門前仲町の深川えんま堂の話をしてたよね。
イサジ  最近になって、どこのお寺だったか覚えていないんだけど、地獄絵をみる機会があって、ものすごく面白いと思ったのね。深川えんま堂の地下にも、地獄絵があるんですよ。これからもこういう絵を見ていこうって思った。

カバーのためのカット


大江田  ということは、60代になってもかつてボッシュを好きだった頃と変わらず、胸に生き続けているものがある。なんだ、変わってないじゃないかって思ったのかな。
イサジ  そうなんだよ、ぜんぜん変わっていない(笑)。
大江田  どうして地獄を見たいの?
イサジ  地獄を見たいわけじゃない。
大江田  地獄絵は、"善行をしないと人はこういう場所に送り込まれるんだよ"ということを、教えているんだよね。いわばお寺さんが伝えている教訓でしょ。
イサジ  そうそう。でもオレは、そういうことはどうでもいいの。描いている絵師たちが、乗って楽しく描いていることがわかっちゃうんだ。こうしたら、もっと痛く見えるだろうな、とかさ。手にとるようにわかる。
大江田  ということは、地獄を見たいわけではない、ダークサイドを見たいわけでもない。作家と呼ばれるまでもない絵師たちが描いている絵に、興味があるってこと?
イサジ  そう、あるの。上手い、下手とか、関係ない。北斎の異常に上手い北斎漫画の絵手本も好きだし、どうにもならないヘタクソなんだけど、愛らしい江戸時代の戯画も好きなんだ。
 地獄絵には、人を釜茹でしている場面とか、気持ち悪いテーマが多いのね。それをちゃんとイメージしたら「うわっ」て思うかもしれないけれど、オレはそういう目では見ない。人がお湯で炊かれたらどうなるのかっていうことを、この絵師はどういうふうに表現しているんだろう、オレだったらこう描くなぁって思いながら眺める。でね、地獄絵を見ているとね、オレよりも面白い考えを持っている名もない絵師が、いっぱいいることに気づいたんだよ。ああ、面白いなって思う。地獄にはなんの興味もない。
大江田  作家的な共感っていうことかな。
イサジ  そうだね。
大江田  ボッシュにも同じような気持ちを持つの?
イサジ  ああ、そう。
大江田  ダリはどう?
 イサジがさっき言っていたことを簡単にまとめてしまうと、"ダリは芸術家という称号を手に入れたビジネスマン”。その技の巧みさを見せつけられ、"まったく、こいつめ"と思いながら見てしまう。一方で、まれにダリが純真に描いた絵があると、それを“惚れ惚れしながら見てしまう"。こういうことかな?
イサジ  そうねえ。たぶん写し鏡のようにして、オレの正体を見せられている気がするんだよ。嘘つきも、何もかも。
大江田  イサジは嘘つきなの?
イサジ  けっこう嘘つきでしょうね。普段の生活において、いままで随分と嘘をついてきたなって思うよ。ああ、今日は嘘はついていないよ(笑)。
大江田  どういう時に嘘をついてきたの?
イサジ  それはオンナ。お金に困っていても、困っていないフリをしたり。困ってないくせに、困ってるフリをしたり。
大江田  それって生活の知恵の誇張みたいなもんじゃないの?
イサジ  まあ、保身というか、身を守るための方便というか。
大江田  あんまり後ろめたくないでしょ。
イサジ  全くない(笑)。
大江田  嘘つきという言葉にあたる内容ではない気がするけどな。そこにはね、イサジ的ユーモアがいつも裏側に張り付いているもん。簡単に言うとさ、「ああ、なに嘘ついてるんだよ、コラッ」って思いながら、聞いている(笑)。言っているイサジも、「嘘だからさ、バレちゃうよなあ」って思いながら、言っている(笑)。それって洒落っ気というかさ。そういうセンスが垣間見えるカタチでイサジの口から出てくるから、許されるんじゃないんですか?
イサジ  それは、オレにはわかんない。
大江田  ボクの目からは、そう見えるけどね。つまりさ、イサジは善人なんだよ。
イサジ  それはね、オレ、いちばん恥ずかしい。オレの商売を邪魔すんなよ、みたいな感じだな(笑)。
大江田  (笑)さて、そろそろ音楽の話をしましょうか。

イサジツトム〜その3 進まなきゃいけない、進みたいという想い に続きます。




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