【田舎ヤンキー論】思い通りになっているのは気のせい。そう見えているだけ

僕は地方出身だ。15歳から18歳まで田舎の片隅でヤンキーをしていた。

中学生1年生で酒とタバコを覚え、中学2年生で初体験を済ませた。中3で原付に乗り、高1で単車に乗った。

周りから馬鹿だと一蹴されるようなことばかりして、数え切れない人たちを不幸にした。感情のままに行動し、後先考えずに喧嘩をする日々。多くの人を入院させ、なんども入院させられた。

頑張って思い返してみても、その時の経験が生きていることはほとんどない。人生の中でもっとも無駄な時間だった。

ただ一つだけ、ヤンキーをしていたことで学んだことがある。


それは、「人生において自分の思い通りになることはない」ということ。

ここで少し昔話に付き合ってほしい。

当時所属していたヤンキーグループのなかで、僕はそれなりに中心にいた。だからグループ内の意思決定にはそれなりに関わっていたし、思う通りに人を動かすことができた。

ただ中心にいられた理由は、頭がいいからというわけではなく、もちろん人徳があったからでもない。理由はもっとシンプルだ。

それは、喧嘩がそれなりに強くて残虐的でいられたから。

僕たちの地域では、いかに残虐的(アウトロー)かどうかで評価されていた。

学校の窓に石を投げられるやつよりも、警察署の壁に落書きができるやつ、単車を盗むよりも家に火をつけられるやつ、万引きするやつよりも、タイマンが強いやつが評価された。

相手が泣いて謝るまで許さないやつよりも、相手が血まみれで意識を失っても、殴り続けられるやつがエラく、かっこよかった。

こうして書いてみると、改めて文化圏の人間のやることじゃないなあと思う。そんな暴力がものをいう世界で、僕はというと、少し違うことを考えて過ごしていた。

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僕の家は貧乏だった。だから当時(高校生)の僕は、いかにしてお金を稼ぐのか常に考えていた。その点においては狡猾だったと思う。

そんな僕が喧嘩よりも注力していたのは、タバコやプリペイド携帯、単車を安く仕入れて転売すること。特にプリペイド携帯は飛ぶように売れた。

僕が高校生の頃は、今のように携帯電話が普及していなかったから、中高生はなんとか携帯電話を手に入れようとこぞって僕のところへやってきた。

笑いが止まらないとは、まさにその時の状況を指すのだと思う。仕入れだけしておけば飛ぶように売れたから。仕入れ値の倍くらいだったかな、、、?ウハウハだった。金のない奴には分割払いや、財布や単車、時計を質にいれさせた。

僕は若干、高校3年生でランクルをキャッシュで買い、単車とビックス(ビッグスクーターをそう呼んでた)を買えるくらいの収入を得ていたのだ。

なんでも思い通りになると思った。お金さえあれば、大人も僕に一目置いてくれる。

少し尖ったお金を持っているやつ。そういうブランドを確立させた僕は街でも有名な可愛い女の子たちと付き合い、贅沢の限りを尽くした。

毎日のように女の子と居酒屋にいき、そのあとはラブホテルへ通う。家には2ヶ月帰らないことなんてざら。高三なのディスニーランドのホテルに月に一度は通い、いろんな県の女の子と遊んだ。


でも誰かが儲かると誰かが損をする。それはどんな場所でも同じだ。


そんな生活を続け、高校を卒業する1ヶ月前。僕は、一番信頼していた友人Aに「すぐきてほしい」と呼び出された。

ちょうど今くらいの時期だったと思う。

深夜を少し回ったころに、町外れの大きな公園に単車で向かったことを覚えている。急いで向かったため薄着でかなり寒かった。


すると、公園には単車が数台とミニバンが数台と待っていた。

直感的に「これはやばい」と思った。そのメンツの中に、僕が得していたことで明らかに損していた先輩や後輩、同期の姿があったから。

Aは開口一番にこう言った。「みんながお前に言いたいことがあるらしい。お前の言い分もあるだろうが、最後までは一旦聞いてほしい」

そのあとは、みんながそれぞれ目を伏せながら、僕に対する不満を述べた。

どれもこれも「おっしゃる通り」という内容だった。

僕から課せられるノルマがキツい。配当金の割合に不満がある。意味もなく殴られたり、使い捨ての駒感覚で使われたりするのが嫌だ、などなど。

全くその通りなので何も言い返せなかったし、本当に申し訳なかったな、と思った。


いままで自分の思い通りにことを運ぶためにいろんな人の感情や、世間の道理を捻じ曲げてきた。自分だけの利益を考えることは人から何かを奪い、不幸にすることに近いのだなと思った。

そのあとは、全員から寄ってたかってボコボコにされ、血まみれで当時付き合っていた彼女の家に行った。慰めて欲しかったから。


彼女に事情を話すと「なんでみんな集まらないと不満をいえないのか。男ならタイマンはれよ」と僕を擁護し、Aに電話しようとしてくれた。でも僕は、その言葉を聞いて「こいつと別れよう」と思った。いや嬉しかった。そうやって味方してくれる人がいたことは純粋に嬉しかった。でも無性に別れたくなった。

今回僕がボコボコにされたのは、自分も同じようなことをたくさんの人にたのだから、当然の結果だと自覚していた。


今思い返してみれば、「世間の道理を曲げて生きるヤンキー」という生き方に疲れたんだと思う。


ヤンキーは誰かの権利を踏みにじり、自分たちを美化することで自分の流儀を通す。多分この一件で、そういった生き方に限界を感じたんだろう。

だから彼女の「ヤンキーの流儀、常識」からでた意見に嫌気がさした。つくづく自分勝手だと思う。


そのあとは仲間とつるむのをやめて、家にこもり勉強に打ち込みながら一年中バイトに明け暮れた。自分から見ても、人はここまで変われるのかと思うくらい変わったと思う。


この事件があったから、今も僕は一般人として企業に勤め、嫁がいる家に帰ることができる。

さらに、「自分の思い通りにならないことが当たり前」という社会を生きていく上で最も大切な教訓まで得ることができた。世間知らずで頑固だった自分がこの教訓を得るためには、アレが必要不可欠だったと思う。

この前、自分が元ヤンだったことを久しぶりに人に伝えることがあったので、ここに当時のことを書きたくなった。駄文ですみません。

繰り返しになるが、よくある元ヤン自慢をしたいわけでも、美談にしたいわけではないことだけは念を押しておきたい。


ちなみに風の噂によると、Aは今、反社会組織に入っているらしい。

僕に変わるきっかけをくれた彼が、今も変わらずにあの頃を生きてると思うと、やるせない気持ちになる。



















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