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大和魂が失われたとはどういうことか①

大和魂の定義①では、大和魂を仁義礼、慈悲、不殺生、博愛、無為自然などが根本にあり、それらの混合した何かに、大陸とは異なり真摯に向き合う状態、などと述べた。

大和魂の定義②で、ウィキペディアに書いてあった、本居宣長の言うような、漢心と和心を分断するようなことでは、日本人の精神性を説明しきれない、として、これを退け、漢心と和心(本居宣長の言う)を一体化したままでその概念を考えるべき、などと述べた。

伊藤貫セミナー⑤では、ただしかし大和魂が何かという厳密な議論は本当はどうでも良くて、問題は現代人が、そういった哲学に則った道徳律の下に考え行動せず、単なる集団主義の下、その集団が正義か悪かを判断せず、悪に容易に付き従うことだ、と述べた。

つまり伊藤貫セミナー⑤で述べた現代人の状態により、大和魂を形成していた哲学はみな失われてしまった、と言うことが出来るのだ。

こういった集団主義は元来日本人の精神性そのものだと思っている人間が少なくないだろう。

こういった集団主義が大和魂でないなら、『空気の研究』(山本七平著)で明らかなように、それは戦前からずっとそうだったのであり、戦前にすでに大和魂を形成する哲学がみな失われてしまっていたことにならないのか。

だとすると、大和魂の定義①で述べたような、神風特攻が般若心経によって実現された、というような、哲学に則った行動、つまり大和魂があることと矛盾しているのではなかろうか?

これは、戦時中と言うのは現代に至るまでの過渡期なのであり、ある部分では哲学が失われ、ある部分では残っていた、と考えるとよい。つまり富国強兵の始まりから、現代に至るまでに日本人の精神性は蝕まれ続けて来たのであるが、戦後のGHQによる愚民化政策でそれがいよいよ完成した、と私は見るのである。

それで、悪か正義かを判断しない集団主義は、そもそもニーチェとかオルテガが言っているように欧米のものなのであり、西欧化によってもたらされた日本人の思想の劣化が哲学を廃した結果、日本人にももたらされた、と考えられるのである。

例えば、天皇陛下万歳は日本の伝統的精神ではない。それは哲学が空っぽの愚民に対して大本営がファシズムで洗脳した状態、なのである。大和魂の定義①で述べたように、神道には哲学がない。取り決めは儀式の形態のみだ。道徳律に関することは本地垂迹説といって諸子百家や仏教から借りて来たものだ。それで大本営はユダヤ人と同じく民衆に一定の行動規範としての宗教、哲学を認めず自分たちの意のままに操りたかったはずで、古来の哲学を廃し、残った心理に「ありのままの素直な心」とかいう復古神道のあやふやな、どうとでも取れるようなものを持ってきて、上官の言う通りに、またラジオ、新聞の言う通りに考え、行動せよ、となったのである。

江戸期まではそうでなかったというのは、一揆などの反乱が多数起こっていたことからして、民衆の思想に自由があった、自律したものの考えというものがあった、と思われるのである。

それで、話を現代にしたいのであるが、現代、戦時中までに残っていた大和魂で、廃れて良かったものもある。

いきなり前言を覆すようで申し訳ないが、般若心経、「痛いの痛いの飛んでいけ」などの思想は迷信であり、非科学的であり、無くなって良かったものだ。ナーガールジュナの言うような、感覚と言うのは気がするだけで本当は存在しないなんていうのは、痛みによるショック死もあることが判明している現代において、間違いであることが分かっている。現象として存在しないように見えるが、神経信号として存在するのである。そういった存在の形態、種類の混同、皆一緒くたに決定するという雑な判断が、感覚なんて存在しないなんていうトンデモ論を生んだのである。

それから、間引きの概念がある。子供は風の子、というフレーズは、実は子供を7歳までなら殺しても良いという習慣のためにある。子供は7歳までは人間ではなく、存在がまだ神の属性(生まれる前の存在)であり、まだ生まれていない、という考えである。経済的事情、社会的事情そして性欲などのために不要な子供を殺すのである。そのため赤子をくびり殺したり、風に晒して、生き残った者だけを育てる、ということなのだ。これも非科学的なものであり、生の存在に著しい苦痛を与えるものであるから、無くして良かったものである。

それから、行き過ぎた礼によるマナーの細かさがある。昔の女性の年配の人がこれにうるさいのであるが、大和魂の定義①で述べたように、礼は仁の上に成り立ち、仁があれば細かいマナーは必要ないのである。要は仁の感覚が分からないような人間を縛るために礼のみでやろうとした結果、マナーが細かくなってしまったのではないか、と思われる。例えば、食事の時に茶碗は右に置きおかずは左に置くみたいなことだ。だいたいそういうルールは世界中にあるのであるが、皆違っており、普遍性がまるでない。守る意味も哲学もない。

それでいよいよ、大和魂というものがまるでなくなって、もはや日本人と呼べない、ゾンビになってしまった現代人の様態、そのもっとも核心部分を述べたいのであるが、いささか長い記事になってしまったので、次の機会に譲ろう。

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