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4月の夜、孤独に埋もれそうなあなたに捧ぐ

ちょっと恥ずかしいくらいに
ポエミーなタイトルだけど、
今ネガティブな孤独感に苛まれるひとに
この文章が届いて、少しでも心を和らげられたらいいなと思う。

私もまた生来のネガティブ思考ゆえ
頭の中がネガティブな言葉で埋め尽くされてしまう日が、ある。結構な頻度である。

一度そうなってしまうと、それまでの活動的なエネルギーの供給が一気に止まり「もうなにもできない」というくらいの状態になってしまう。
なにもしたくなくなって、バイトも休んだりひどいとそのタイミングで辞めてしまって、映画を見る気力もゲームをやる元気もなく、一日中無意味にSNSを眺めて過ごすようになる。

私なんかどうせ何もできない。
明日が怖くて、世間が怖い。

そんなネガティブ思考から抜け出すきっかけはいつもわからないのだが、突然曇り空に光がさして一気に晴れに変わるかのように霧散する。
だからいつか止む思考とわかっていて、私にとってそれは天気と同じようなものだけど、やはり辛い時は辛いししんどくてたまらない。

雨はいつか止む。
夜はいつか明ける。

そのいつかを待ちきれない。
だいたい「いつか」ってなんだ。
その「いつか」までが今の自分には長すぎる。

もう23歳。休んでいる暇なんかない。
休んでいる暇があったら勉強なり鍛錬なり積まねばならない。そうでなければわたしの夢は叶わない。
消えたくなっている場合ではない。
ないけど、そういう時は体が動かなくて、惨めで悲しくて泣きたくなるのだ。

そうやって自分の心に鞭打って動き続けるのは
私の昔からの癖なのだが、このせいで
大学三年のとき鬱になった。
(今もまだやっているのだから懲りないものであるけれど)
不幸中の幸いに、当時はコロナ禍でオンライン授業だったから家でパソコンを起動するだけで授業に出られて問題なく卒業できた。
だがあの頃対面授業で登校しなければならない状況だったら間違いなく私は大学を中退していただろう。

就活をして、失敗した。

大学三年のとき、養成所に行って役者になりたかったことから、「その続きを頑張ってみよう」と芸能の道に行ってみて、最近ようやく少しは仕事になるようになってきたけどやはり厳しい道である。

だけど最近はある言葉を杖に手に入れて
少しだけ立っているのが楽になった。

だからこれを皆に共有しようと思う。

以前出演した舞台の演出家が、
本番前に役者たちに言った。

「あなたたちは必要とされてここにいる」

芝居の歴が長かろうと、短かろうと。
チケットが売れようと、売れまいと。
オーディションなりオファーなり、とにかくこの舞台に必要な人間だから選ばれてここにいる。だから思い切りやればいい。
それでいい、と。

どこの世界でもきっとそう。
あなたは必要とされたから、そこにいるのだ。
会社でも、家でも。

ご両親から生まれて、
周りの人たちに「大きくなってね」と望まれながら成長して、「ぜひうちに」と言われてその職場で働いている。
それは立派なあなたが必要とされてきた経歴だ。

ある禅僧の言葉がある。
人間には4つ究極の幸せがあるというものだ。

愛されること。褒められること。
人の役に立つこと。必要とされること。

そのうち愛以外の3つは働くことで叶えられる……とかなんとか。
「必要とされる」っていうのはこの4つ究極の幸せなんていう大層なもののうちの一つなんだから、そりゃあもうあの言葉は力強く響いた。

思い返せば私は I NEED YOU中毒なのだ。
そんなひと、多いんじゃないだろうか。
でも多くを求めなければすぐそばにある。

あなたがそこに在るということは、
誰かに必要とされてきた証なのだ。

死にたくて消えたいくらいの夜のなかにいる誰かへ、
そしてそのうちまたそんな夜に取り込まれる日もあるだろう自分に向けて、
この言葉を。

あなたは必要とされてそこにいる。
だから大丈夫。

そんなことない、と思わないでほしい。
少なくともこの文章を読んでくれる人たちは私がいま必要としているから。

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