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警告!この記事を読んではいけない 8アニメ主題歌歌手の質の低下を嘆く 2

この記事は、今まで投降した記事の中でおそらく最も「読んではいけない」です。私は特定の誰かを非難したり中傷したりしません。少なくともこのnoteでは。しかし特定の誰かでなくとも、夢と希望をもって一生懸命頑張っている誰かを、再起不能になるまで傷付ける恐れがあります。

夢と希望をもって一生懸命頑張っている誰かに対して、その人の能力、素質の低さを、徹底的に自覚させることになるかもしれません。もっともそれが教育というものだと私は思いますけどね。しかし「教わる子を傷つけてはいけない」などと言う人もいる世の中です。「褒めて伸ばす教育」などという

信じられない教育方法を唱える人もいる世の中です。アニメ主題歌歌手の質の低下も、そういう世の中の風潮が、後押ししているのでしょう。私の方法は世の中の流れには逆行します。自分が正しいと思う方法をとるだけです。私はそのような教育を受けてきた人間なので。

この記事がどれほど危険かお判りいただけたと思います。ここまで読んでしまって、傷つきたくない人は、是非、読むのをやめてください。ただ傷つくだけぢゃなくて、本当に、立ち直れなくなる恐れが多分にありますからね。私がこれから書くことは、持って生まれた素質についてだからです。

素質って言葉、聞いたことありませよね?これが、本当に恐ろしい言葉だということを、まず知っていただきたいです。素質と言うのは、持って生まれてくるものです。つまり努力や工夫ではどうにもならない領域のことです。才能と言う言葉もあります。才能と素質、同じ意味で使う人もいます。

その二つ、共通項も多くありますが、私は区別しています。才能は、脳内の感受性を指すことが多いと思います。素質は、脳内の事も言い表すでしょうが、主に物理的、肉体的なものを言い表すことが多いようです。もって生まれる物理的、肉体的な「素質」の判りやすく代表的な例を挙げましょう。

「声を持っている」「声を持っていない」音楽を専門に勉強した人たちは、このように表現します。これ、文章で表現するのは難しいのですが、うんと簡単に言えば「声が美しい」「声が美しくない」となりましょうか。肉体的に「美しい声をもって生まれてきた」人と、そうでない人、

確実にこの差はあります。残念と言うより残酷な現実。これはもう生まれた時に決定されてしまっていて、生まれたあとでどうこうできる問題ではないのです。私は以前の記事で「<君は声を持っていないから、歌手になるのは厳しいよ>という本当の事を、何故誰も言ってあげなかったのだろう」

と書きました。歌手になりたくて頑張っている子がいたのでしょう。頑張るその子にそんなこと言えますか?多くの場合は言えないのかもしれません。私は言えますよ。ていうか、たくさんたくさん、実際に言ってきました。そしてたくさんの子を、絶望のどん底に突き落とし、泣かせてきました。

そりゃあ泣きますね。夢と希望をもって毎日頑張って、努力を積み上げてきたんです。その積み上げた努力の塔を、一瞬で「パンッ!」と崩されちゃうんです。これ本当に「積み木崩し」ですね。あ、「積み木崩し」って言葉、知ってます?ひところ流行った言葉です。調べてみてください(笑)。

持って生まれるべき素質に恵まれなかったのだから、もう何をどうやっても、その素質を手に入れることができないと知らされるんです。それを抵抗なく、さらっと言えるのが、教育者です。本人の素質がない場合には、少しでも早くあきらめさせて、少しでも早く別の道を探させる。

それが教育者の使命だと思います。それができない人は、本当は教育者になるべきでないと思います。(でもそれができない教育者の方がずっと多いんですけどね)絶望した子供が、泣こうがわめこうが、平然としていられるのが、真の教育者だと私は思います。教育は、お遊びぢゃないんですから。

「声を持っている」「声を持っていない」の話に戻りますね。私の歌の先生「金子ツネ子先生(かつて天才少年と謳われた金子一雄先生の奥様)」は、言っておられました。「私は声を持っていないから苦労したのよ」と。「ええっっ??」と思いました。金子先生の声は素晴らしく美しかったです。

そんな先生がご自分の事を「声を持っていない」と言ったのです。当時は意味がよく判りませんでした。声をもってない人でも、努力次第でここまでになれるのかな?とも思いましたが、今はそんな事は起きないと知ってます。金子先生は謙遜して言われたのです。ご苦労なさったのは本当でしょう。

金子先生は素晴らしく美しい声の持ち主でしたが、きっとご自身は「もっと美しい声に生まれたかった」と言いたかったんだと思います。だって、芸大時代は「鮫島有美子さん(我が国最高と言われたソプラノ歌手)」より優秀と言われていた金子先生です。声を持ってない、はずがありません。

それだけ、持って生まれる「声の素質」は重要で残酷、と言う事でしょう。そしてさらに恐ろしいことは「声をもって生まれる」のは、歌手になるための必要条件ではあっても、充分条件ではないということです。美しい声をもって生まれる。その上に「音楽的才能」が加わらねばならないのです。

そしてこの「音楽的才能」も、持って生まれてくるものであって、生まれたあとにどうこうできる問題ではないです。脳の感受性の問題です。生後直後に脳の神経回路は大方完成してしまうそうですが「才能」というのは、どうもそれ以前の脳の状態の事のようです。後天的なものではないようです。

現在のアニメ主題歌歌手の9割ほどが、「耳腐る」レベルの歌しか歌えていないのは、「声を持っていない」そして「音楽的才能が不足」しているせいです。もっと端的に言えば、これ、私でさえ言うの躊躇うほどスゴイ表現になっちゃうんですが・・・・多くの歌手は「音楽に向いていない」のです。

ああ~~ッッ!!、言っちゃった言っちゃった、本当の事!           今日はここまでにします。この記事を読んでしまって、深く深く傷ついて、立ち直れなくなりそうになった人、是非、次の記事は読まないようにしてください。自殺されちゃったら困りますから。

歌手って、憧れの存在ですよね。カッコいいです。誰しも一度は歌手になりたいっ!って思いますよね。それは私だって判ります。そして憧れの存在だからこそ、歌手はアイドルとの区別がしにくくなっています。でも、歌手って、誰でもなれるような簡単な職種ではないと思います。

最も気が付くべきは、それは努力や工夫の前に、持って持って生まれた素質と才能が必要だという事なんです。素質と才能を持って生まれた人が、努力して工夫してやっとなれる。これが本当の歌手だと私は思います。次の記事では、歌手に必要なこと、もっと過酷な現実をお話ししたいと思います。

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