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6月18日(金)の演奏会、この日、一体何が起きたのか・・精霊が来てくれた?

見出し写真が、また横長になってしまいました、新野君、すみません。この写真は、新野君が妹さんのいるマダガスカルに行った時のものです。新野君の肩に手をかけているのは、ベローシファカ、マダガスカルの固有種です。このサル君、完全にカメラ目線ですね(笑)。

新野将之君と藤澤仁奈さんの、パーカッション&マリンバ・デュオCD発売記念コンサート。今や日本を代表する打楽器奏者となった二人の、新しい門出です。そして光栄なことに、二人は私の曲「マダガシカーラ」を、このコンサートの中で、2台のマリンバで演奏してくれました。

そしてこの日、2021年6月18日は特別な日となりました。忘れることのできない感動の日、そしておそらく、この感動は2度と体験できないであろうと思われ、私にとって、かけがえのない日になりました。この日の演奏会に関わってくれた全ての人たちに感謝したい気持ちです。

一体何をそんなに感動しているのかというと、あの日、杉並公会堂小ホールのステージで起きた現象は2度と再現できないだろうと思われるからです。その現象とは、私の曲「マダガシカーラ」の時の「響き」です。2台のマリンバが近接して起こした「共鳴」です。凄い「響き」だったんです!

「響き」など、同じ曲を同じ配置でもう一回やれば得られるだろう、と言われそうです。でも違うんです。「響き」は、ほんのわずかな差異で大きく変わる、極めてデリケートな現象なのです。私は、共鳴を起こしやすいよう、2台のマリンバを可能な限り近接して配置するよう、お願いしていました。

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二人は、私のお願いした通りにマリンバを配置してくれました。それまで、標準的なハの字配置だった2台のマリンバを、この曲のために近接並行配置に変更し、演奏してくれたのです。確かに作曲前から、2台マリンバによる共鳴の効果は期待していました。しかし成功するかは判りませんでした。

生楽器による共鳴効果は、楽器以外の諸条件に大きく左右されるものです。ステージ上の位置が、3センチほどずれただけでも、出てくる音は大きく変わってしまいます。背後や天井の音響反射板との距離や角度、ステージ上の他の楽器からの反射音、それらが最上の配置でリハーサルができても、

本番のステージでそれを完全に再現するこてはできません。何故なら、本番では客席にお客さんが入り、リハの時とは音響特性が変わってしまうからです。本番とは本当に、のるかそるかの一発勝負なのです。ドキドキでした。演奏は、この二人なら申し分ないに決まっています。しかし・・・

実はその週の月曜日、6月14日、新野君が我が家に、出来立てのCDを持ってきてくれました。全曲を聴いてみて、ある劣等感に苛まれていました。他の作曲家の作品の印象は、どれも、なんというか、明るく前向き、自分の外に向かって、ほとばしる情熱と積極性に溢れて素晴らしかったのです。

それに対して私の作品は、内向的。自分の外に向かわず、心の奥深く、どこまでも暗い縦穴に沈んでいくような・・・月曜から毎日CDを聴き、その思いがいよいよ頂点に達しようとしている時、コンサートの日が来てしまいました。ドキドキしながら、マダガシカーラの番を待ちました。

最初の1音が出た途端、鳥肌でした。素晴らしい共鳴効果!2台マリンバの低音同志が共鳴だけでなく増幅しあっているように聴こえました。第一段落が終わるまで、鳥肌が収まりませんでした。曲の中盤も極めて心地よい響きで進行し、そして最後の4連のウインドチャイムが鳴った時・・・

ウインドチャイムは照明が落ちてもなお鳴り続け、再び鳥肌。その響きが完全に収まっても、客席は凍り付いたような静寂のままでした。そして一呼吸してから、大きな拍手をいただけたのです。この5分半ほどの時間、杉並公会堂は、完全に異界と化していました。作曲家にとって最高の瞬間でした。

CDを聴いたときの、他の作曲家への劣等感は消えていました。他の作曲家の作品も素晴らしいけれど、私の作品は、しっかりと異彩を放っていたように思えてきて、嬉しかったです。こんな素晴らしい5分半を体験しましたが、さらに嬉しかったのは、帰りがけの出来事です。

コロナ感染対策で、終演後のロビー挨拶がなかったため、足早に会場を去ろうとすると、ある若い女性に呼び止められました。マリンバを勉強されている音楽学生さんでした。「風間先生の曲が、一番いいと思いました!」そう言ってもらえたことは、本当に作曲家冥利に尽きます。

もう一つあります。翌朝、新野君からの電話で、昨夜のことをいろいろ話した時「マダガシカーラの最後でウインドチャイムが鳴っている時、夜空に星がキラキラ瞬いているような感じでした!」と言ってくれた人がいたそうな。なので私はこの演奏会に関わったすべての人に感謝したいのです。

演奏の二人は、もちろん最上の演奏とステージ配置を、行ってくれました。しかし最上の音響効果が得られたのは、意図的な努力だけでは得られない、幸運な偶然が、いくつも重なっていたようにも思います。そういえば私はCD の解説文にこう書いていました。

マダガスカルの精霊たちは、きっとこの曲を喜んでくれるだろう・・・と。きっとこの日、この時間この場所に、マダガスカルの精霊たちが力を貸しに来てくれていたような気がします。どんな精霊が来てくれたんでしょうか。ひょっとして、こんな感じの・・・

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