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母がうつになりまして~学生時代②~

お疲れ様です。
こねずみです。

中学1年生の夏のある日、母が急におかしくなりました。
母の幼少期の記憶がフラッシュバックするらしく、急に子供の言葉を発したり支離滅裂な話をし始めたり、遠くを見つめるようになりました。

日中は少しまともに話せることもあるんですが、夜になると目がうつろになりました。
当然おかしいと思った祖母は、母を実家に連れ戻し
祖父母、母、私という4人暮らしが始まりました。

妻が急にいなくなった父はどうしてるんだと気になった中学1年生の私は、両親が住んでいた家に行きました。

正直具合が悪くなるほどの状況で、ほぼ、ごみ屋敷でした。部屋は汚いし、物は整理されずあふれかえってました。壁には罵声の文字が書かれていて、夫婦喧嘩が絶えなかったことがすぐ分かりました。

小学生のころから、両親の仲に違和感は覚えていたので、正直あまりショックではなかったです。その時に両親へ抱えていた感情は”失望”という言葉が近いかもしれません。

そんな夫婦仲なので、妻が実家に引き取られても、迎えにくるそぶりはない父。ただ様子ぐらいはという感じで、たまに来ていました。

既にちょっと普通ではない母が来て、4人分のご飯を作らないといけない祖母は大変だったと思います。

母を含めた4人暮らしの年越しが終わり、正月も過ぎた頃です。
その頃、母は体調がいいときは父祖父の看病をしに行っていました。
とはいえ、母ひとりに看病をさせる父に不信をもった母祖母は、父にマンションの様子を見に行かせました。かなり強い口調で言っていたと思います。(普通の夫婦であれば、実の親のことを妻任せっきりにするものか。実際、私の父も祖父と確執があったように思います。会話しているのを見たことがありませんでした。)義理の母に言われないと、様子を見に行かないものおかしいですね。

事態が急変したのは、この日でした。
父祖父は亡くなっていました。

描写は伝えられませんが、これを見た父は腰を抜かしたそうです。

警察を呼び、私も事実確認されました。
家での母の様子や家族関係を聞かれました。要するに父祖父が亡くなっていたことに母が疑われたわけですね。

亡くなっていたころを調べるとおよそ、半年前の夏頃とのことで
死因も衰弱だったそうです。
母の様子がおかしくなった日は、まさに祖父が亡くなった日なんだと思います。

母は精神的な疾患を抱えていると判断され、事件として扱われることはありませんでした。
結果として祖母が様子を見に行けと強く父にいったおかげで、発見がされ、きっと母も安堵したことと思います。

「自分が看病する配偶者の親の死を伝えない」
普通に考えたら、ありえないですが、両親の夫婦仲がこじれていたことを考えると、母は父に言えなかったのかもしれません。

義理の父の死を知っているのは、自分だけ。
すでに夫婦仲は崩壊しているにも関わらず、体裁を考えて、死のことを誰にも言えなかった状況が、結果母をうつにさせました。




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