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新聞記者たちの後悔(下)異国で知った日常の価値

新聞記者といっても、いろいろな仕事があり、それぞれカラーもちがう。

職種のデパート

政治家にひっついて政局や政策を報道するのが政治記者だ。安倍政権の応援団を自任する田崎史郎氏、報道ステーションのコメンテーターだった後藤謙次氏などは有名。かれらはひごろから大物政治家と会食したりして、政治の先を読む術にたけている。特権的な立場にいるからか、なんとなく偉そうな雰囲気がある。

殺人事件や社会を揺るがす凶悪犯罪を追いかける社会部記者はどうだろう。安倍政権をするどく批判する青木理氏はオウム真理教事件で名をあげた。かつて地方紙の社会部記者だった江川紹子氏もそうだ。映画「新聞記者」のモデルになった東京新聞の望月衣塑子氏もここの育ち。どちらかというと、社会的に弱い立場のひとの視点にたち、権力者には厳しくあたる傾向がつよい。

一般のひとにはなじみがうすいかもしれないが、経済記者という仕事もある。企業や銀行などを取材し、合併・買収のニュースを追っかけたり、国家の税制がどうなるこうなるといったテーマが大好き。数字の分析も得意だ。どことなく冷徹で緻密なビジネスマンのにおいがする。筆者もかつてはこの畑が長かった(緻密さのかけらもないから脱落したのだが)。

このほか、コロナ禍で登場頻度が高まった科学記者、世界のニュースをあつかう国際記者、野球やサッカー、オリンピックなどを取材する運動記者と、幅広い。

日本でメジャーな社会部記者

このうち、日本でもっとも人口が多いのは事件や事故をおいかける社会部記者だ。

社会部記者の仕事というのは、ある意味、わかりやすい。

火事がおきれば、すぐさま現場にかけつけて遠慮なくシャッターをきる。殺人現場ではつぶさに聞き込みして犯人にせまる。企業の不祥事会見では正義感あらわに真っ向勝負で相手を糾弾する。

地震の被災地では、意を決して遺族の懐に飛びこみ、ときに涙をながしながら、故人をしのぶ情感あふれる記事にしあげる。

頭よりまず体。論理よりハート。がさつで、荒っぽいけど、憎めないところもある。よくもわるくも、体育会系のノリがはばをきかしている。

大の社会部嫌い

前置きが長くなった。

きょうの主人公、M記者は根っから、社会部記者が大嫌いだった。

東大法学部卒のM記者は、話しぶりも話題の選び方もエリート然としている。ひとにあたえる印象は冷たいというか、こわい。威圧感すらある。取材先の官僚を理詰めで説教しているシーンを実際に見たこともある。ただ、めっぽう頭はきれる。そんな彼いわく、社会部記者は「バカっぽい」そうだ。

火事だ、殺人だといって現場を走り回るような仕事なんてレベルがひくい、記者は肉体労働者ではなくて知的労働者のはずだ、情に流される不勉強な記事ばかり書きやがって、大事なのはロジックだエビデンスだ、というわけだろう。

だから、M記者はわざわざ事件・事故取材が手薄な新聞社を就職先にえらび、ずっと金融や経済政策を取材する畑をあゆんできた。まさに、経済記者の王道コースだ。

中国行き

そんなM記者、中堅の年次になったとき、国外留学する機会を得た。

中国だ。

記者の仕事はお休みして、北京でみっちり語学を学んだ。いずれ特派員として中国に駐在する前の下準備だ。たまの休日には、中国国内を歩き、見聞を広めたそうだ。

1年後、帰国した。

自己批判

さっそく有志で帰国祝いの宴を開いた。二次会は四谷のバーだった。

隣に座ったM記者がジントニックを口に運びながら「おい、オレ、中国に行って変わったんだ」と声をかけてきた。思わず「なんですか、それ」と聞き返した。

以下がM記者のことばだ。

「オレ、これまでずっと社会部の書く記事が嫌いでしょうがなかったんだ。事故で『誰それが死にました』とか、『我が子の命を奪った暴走トラック』とかなんとか。言っちゃわるいが、お涙ちょうだいの記事ばかりだろ?なかば本気で、そんな記事は世の中にいらないと思ってた。

それが、中国に行って180度考え方が変わったんだ。中国って、いろんなところで手抜き工事がはびこっているから、信じられないような大規模な事故がおこるんだ。この前も列車事故があった。でも、乗客がどんな死にざまだったとか、運良く生き残ったひとはどんな恐怖体験したかとか、遺族はどう思っているとか、鉄道会社の責任はどうかとか、そういう報道は一切ない。

そんな報道をすれば当局に潰されるから。当局の息のかかったメディアが死亡者数を発表するけど、それもウソだとみんな知っている。実際にはその何倍も死んでるんだ。ようするに、中国ではひとの死がなかったことになる。

こういう状態が当たり前になるとどうなると思う?市民が国のことをまったく信頼しなくなるんだ。なにをいっても『どうせウソだ』とおもうから、じぶんの身を守ることしか考えない。ひどいもんだ。中国の市民なんて、心のなかではだれも共産党のことを信頼してない。口にしないだけだ。

事故の被害者に関する報道や、事故責任を問う報道がまったくないから、同じような事故が何度もおこってしまう。世の中に反省とか教訓を生かすという文化がそもそもない。社会部の記事は事件や事故の再発防止につながるということを、中国で身をもって実感した。オレの考えは浅かった、間違ってたんだ」

H記者の”告白”を耳にしたとき、心にすーっと光がさした気がした。

明るい気分になった。

中国という大国の実情がリアリティーをもって理解できたという知的興奮が1つ。巨大事故の報道をめぐる中国共産党と市民との関係には、考えさせられた。

報道の意義も再認識した。目の前の事実をルーティンとしてたださばいていたわが身を恥じた。

そして、なにより、あれほどのエリート記者が、自説を素直にあらためたことに喝采を送りたかった。いい意味で、ひとは、いつでも、変われるのだ。

四谷のあの夜は、筆者にとっていい思い出になっている。



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