見出し画像

本は、わたしの雑談と相談の相手なのかも

わたしには、心のうちを話せるような友達はいません。
気軽に話せるような人もあまりいないし、たまに誰かと話す機会があっても、自分の話題を聞いてもらうのが申し訳なくて、たいてい聞き役に回ります。

唯一こころのうちを話せるのは、夫です。
あと最近は中一の息子とも話が出来るようになってきました。
(ふたりとも、いつもわたしの話をきいてくれてありがとう!)

ただ、話したいテーマによっては夫や息子には話しづらいものもあるし、彼らにわたしの話に長時間つきあってもらうわけにもいきません。


そこで、どうするかというと、
わたしは本をよく手に取ります。

まるで、だれかに会いに行くように、図書館へ向かいます。



相談相手としての本

困ったことが生じたら、まず本を手に取るのがわたしの定石です。

これまでお世話になった本は数知れず。
ジャンルとしては、心理学系(アドラー心理学や子育てに関するもの)、片付けに関する本、ことばに関する本あたりが多いです。

一時期、図書館の心理学の棚(分類14番あたり)や日本語(分類81番あたり)の棚、あと子育てに関する本のコーナーはわたしの専属カウンセラーのようでした。

それらのコーナーで、そのとき気になる本を片っ端から手に取り、読んでいきます。

不思議なもので、響く本はたいていここぞ!というタイミングでわたしの手元にやってきます。また、タイミングが合わないときは、手に取ったとしても言葉が響いてきません。何度目かの遭遇で、突然文章がこころに響いてくる体験も、何度かありました。

本の中の言葉たちが深く深く刻まれて、わたしのなかに溶け込んでいきます。

(原田ひ香さんの古本食堂という本の中に、この出会う感じをうまく表現してくれているフレーズがあり、メモしてあります。
その文章をぜひここで紹介したいのですが、はたしてここに書いてしまっていいのかと躊躇する気持ちもあって。

それは、読むべきタイミングに本の中で出会うから心が揺さぶられるし、ストーリーの中で出会うからこそその揺れ幅が大きくなると思うから。

ですので、興味を持った方がいたら、ぜひ「古本食堂」を手に取ってみて欲しいです。)


雑談相手としての本

小説や雑誌を読むときの感覚は、雑談に近いかもしれません。
だれかの人生に思いを馳せたり、あたらしい知識を得られたり、あと、どんなことばが自分に響いてくるかで、自分の考えていることや興味のあることが明らかになる感じなどが、わたしにとっては雑談かもしれません。

いまよく読む作家さんは
小説だと 寺地はるなさん 原田ひ香さん、角田光代さんあたり。
先日は、宮島未奈さんの「成瀬は天下を取りにいく」を読みました。

・・・・・。
本が雑談の相手であること、うまく言葉にできないな。
どうしてだろう、なぜかな。

小説や雑誌を読むだけだとアウトプット出来ないから、自分から話す感覚が含まれていないからかな。

思い返してみると、アウトプットはモーニングページなどノートに書くことで外に出しています。「本を読む+ノートに書き出す」のセットで、わたしにとっては雑談してる感じなのかもしれません。

。。。。。。
ううむ、やっぱりうまくことばに出来ていない感覚があります。
言葉に出来たら、また記事にして投稿します。


おわりに


本はまず図書館で借りて読みますが、深い気づきのあった本は購入して手元に置くようにしています。今現在、本棚にはたくさんの本が並んでいます。たくさんの気づきをもらった証ですね。

身近にいて、わたしの相談相手になってくれたり、雑談の相手になってくれる本たちに感謝です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?