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【写真人】平賀淳さん👀瞳の中の瞳の物語

こんなところにギャラリーがあるの?と感じて知らなければ入ることが出来ないだろう隠れ家ギャラリー『ギャラリーヨクト Gallery Yocto』。ここで平賀淳さんにお会いした。

入った瞬間。ビビリの私は、「わぁ〜」と悲鳴に近い声で、平賀さんを困らせた。

経験値と言えば、怒られるかもしれない。私にとって、DMと同じこの写真だけで、どのような写真が並んでいるのか想像ができる。

なにせ、一緒に暮らしているのだから。

しかし、ギャラリーに足を踏み込んだ瞬間。のけぞった。

またしても、私はここで大事なことを感じたのである。

【ちょうどいい】の極地

ギャラリーのサイズは四畳半程度。この中で、並べられている写真のサイズと写真の数が絶妙すぎる。

インターネットは、所詮、箱の中のまやかし。本物の10分の1も伝わらない。まさに、写真だけの勝負である。しかし、個展となれば、他の不確定要素も作品になる。

まさに、こここそが戦場なのだと強く感じた。

その中で、平賀さんのチョイスはちょうどいいのだ。すべでが。本人に怒られるかもしれないが、平賀さんの人柄さえもちょうどよく見える。だからこそ、ちょうどいい。

その中であえて、突きたい。もちろん。そこ?と言われそうな重箱のスミのような話である。

スタジオで撮影しているのだから、当たり前なのもしれないが、ポートレイトの彼女の瞳の中に、平賀さんが写り込んでいる。

瞳にストロボ光源が2つ、四角写り込んでいるから気になってしまった。

もしかしたら、ここは重要なシグナルかもしれない。なぜなら。

宇宙人体質の私はもちろん、現実と向かい合うのに不器用すぎる彼女たちと、平賀さんがどのように繋がり、ここまで素顔を見せれるまでの関係をどのように構築したのか。その気苦労がどれほどのものだったのか。

そこが、瞳の中に記録されている。

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多くの人は、仮面をかぶって生きている。平賀さんは、仮面を被れない彼女たちにカメラを向けている。それは、なぜだろう。

きっと、その答えはだれでもが感じるものと一緒だと思う。

なんと独りよがりな文章だと笑われるでしょう。でも、それが私です。ほかの歩き方はできません。面白い人間だと思ったかた、是非、ご支援ください。