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生きるのが怖い。でもそれでも生きる。

生きるのが怖い。無職で職歴がない統合失調症患者である私は、毎日そう考えている。

大学院卒であるのに、もう頭はポンコツになってしまい、そこらへんの小中学生の方が頭がいいという現状である。

文章見る限り頭悪そうに見えないと言われるが、それは誤解だ。確かに私は文章は書ける。大した文章ではないが、この文章を書く能力だけは神様が残してくれた。でもそれ以外の能力は全然だめだ。一般人より劣っている。

記憶力、思考力、理解力、コミュニケーション力、さまざまな能力が私には欠けている。ついこの間一週間前に勉強したことをもうすっかり忘れている。例えば、HTMLとCSSというホームページを作る言語を勉強したのだが、HTMLにおいてclassで指定したものは、CSSでは先頭に.(ドット)をつけることをもう忘れていた。わからない人にはわからないが、要は初歩的なことを1週間で忘れてしまったということだ。

こんな私だから生きるのが怖い。常識を忘れてしまい(正確には思い出すことができず)、まるで幼稚園児のような振舞いしかできないのだ。もう26歳。世間では幼稚園児の親になっている人もいるくらいの年齢だ。なのに私はまだ幼稚園児のレベルを抜け出せない。これでは先が不安にならないわけがない。

怖い。生きるのが怖い。でも死にたくない。自殺未遂もした。それも失敗した。親を悲しませるからもう死なないことにした。じゃあどうするか。どう生きればいいのか。

私は答えを探した。自分の理想的な生き方を求めて。そして決めた。私は「生きる」ために生きようと。この世界に生存することが私の唯一の生きる目的・目標であることにした。

生きるために生きる。現代では、特に日本ではまず生存に困ることは無い。多くの人が、「生存する」というレベルは簡単にクリアできる。「生存」を通り越して、「成功」とか「貢献」とかそういうレベルを目指している。そんな中私は「生存」に固執することになる。

「生存」つまり、最低限食べて寝ることができる生活を確保することを第一優先に考える。仕事も大きな仕事じゃなくていい。最低限生きていけるほどの稼ぎの仕事をしようと思う。恋愛も娯楽も諦めた。毎日、生きることができればそれでいい。仕事で失敗しようが、誰かに笑われようが、今日一日生きていればそれでいい。

今は親に頼って生きているけど、いずれ親も亡くなる。その時に餓死せず、生きていけるように、少しずつできることをやっていこうと思う。

生きるために生きる。

以上。

追記。なんとなく今日YouTubeでYOASOBIさんの「アンコール」という曲を聴いたら、素敵なメロディに思わず泣いてしまった。


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