私の価値観について~3.11の原発事故がきっかけになった話~

はじめに、本記事では2011年3月11日東日本大震災の時に起こった東電の福島第一原子力発電所の原発事故について触れているので、人によっては気分を害するかもしれません。
私は被災していないけれど、原発事故の影響を考えて、東京から避難しました。
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先日この対談を聞いて、久しぶりに、3.11当時の気持ちをリアルに思い出した。


実は、対談をされていたイラストレーターの高田ゲンキさんとデザイナーのよしだすすむさん、お二人とも東日本大震災をきっかけに移住されていたのだ。
この対談自体は、3.11に関する内容ではない。
しかし、お二人の考え方や生き方にすごく共感する部分が多く、心が震える体験をした。

だから、この機会に、私の価値観や住む場所を変えるきっかけになった3.11当時のことを振り返ってみようと、この記事を書くことにした。

2011年3月11日

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当時派遣OLをしつつ、自宅で細々とアロマセラピーサロンを運営していた。

3月11日は、自宅から自転車で10分弱のオフィスでいつものように仕事。

東京は震度5強の地震。今まで経験したことのないような大きな揺れに、恐怖しか感じなかった。

避難場所へ移動しつつ、家族や友人などの安否確認の連絡をする状況が続いた。

自宅に帰り、テレビをつけると、目を覆いたくなるような被害状況が延々と流れている。心が痛んで、苦しくて、でも、何もできなかった。
ちょうど週末だったけれど、とにかく何もできなかった。

そんな中、当時付き合っていたフランス人の彼(現在の夫)は、かなり早い段階から、東電の原発事故の状況を心配していた。

ヨーロッパでは、1986年にチェルノブイリの原発事故があったからか、原発事故に対する反応は大きいし、原発の怖さを皆当たり前に知っているように感じた。

私は・・・ただただ、自分の無知さを恥じていた。ニュースを見ても、ネットで調べても、難しい専門用語が並んでいるし、まず原発というものの全体像を把握するのに時間がかかった。

電源喪失?炉心溶融?ちょっと待って!メルトダウンって何!!!

パニックになりそうなのを必死に抑えて、原発の仕組みから、今何が起きているのか、想定されることを寝る間も惜しんでとにかく調べた。

彼の元には、電話がひっきりなしにかかってきた。皆、心配しているのは原発事故のこと。
フランス大使館は日本にいるフランス人に対して、避難することをすごく呼びかけていたし、実際フランス行きのチャーター便も飛ばしていた。

そして、「早く準備して。今すぐ東京を出よう。最低でも大阪、できればもっと西へ・・・」と彼に急かされ、別々に住んでいた家族にも事情を話して説得し、避難することを決意した。

大阪への一時避難

3月14日に東京を離れ、大阪に1週間ほど避難していた。
その間に4号機の水素爆発が起こったのだ。
残りの原子炉もいつ爆発を起こすのではないか?と気が気ではない日々が続いた。

その間、友人や知人に連絡を取り、原発の話をしてみたけれど、理解してもらえることはほとんどなく。
なんなら、「頭おかしいんじゃないか?風評被害を広げるな!」と距離を置かれたこともある。

平常性バイアスの怖さ

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地震や津波で被災した人達がいる中で、自粛ムードは続き、原発事故のことはタブー視され続けた。

「知ったところでどうしようもない」と思考停止し、また日常生活に戻っていく。

正常性バイアスは怖いのだ。

正常性バイアスとは、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。
<Wikipediaより一部引用>

私はどう転んだって、思考停止したくなかったし、今までと同じ日常を送ることは出来ないと思った。

なぜ?何も変わっていない、何も終わっていない状況で、なぜ普通の生活に戻れるの?

何をすればいい?どうすれば世論が変わる?私にできることは・・・?

自分の頭で考えるのは疲れる。本当に疲れる。答えがすぐに出る問題ではないし、答えは多分一つじゃない。それでも、考え続けた。

環境とか政治とかエネルギー問題とか、大きな視点で普段物事を考えてこなかったことをすごく後悔した。まったくもって、何をすればいいか分からないからだ。

分からないから、声を上げている人達に会ってみたり、原発反対のデモに参加してみたり。とにかく国内外の情報を、それこそ寝る間も惜しんで必死に集める日々が続いた。

でも、1ヶ月経っても、2か月経っても、状況は何も変わらなかった。
そして段々疲れてきた。というより、疲れ果ててボロボロになりそうだった。とうとう、私も「正常性バイアス」にかかってしまうのか・・・?

大阪への移住を決意

生まれ育った東京。大好きだった東京。世界で一番だと誇らしく思っていた。

しかし、3.11後は、さも原発事故がなかったかのように平常運転している東京での生活に違和感しか感じられず、結局2011年8月には大阪へ移住した。

東京を離れた選択を、一度も間違いだと思ったことはないし、後悔もしていない。

誰も知り合いがいない中、仕事も一から探して、生計や生活を立て直すのは大変だったけれど、もがいていれば、人生どうにかなるもの。

「自分だけ良ければいいのか?」そんな言葉を投げかけられることもあったけれど、自分がハッピーでなければ他の人のために何もできないと思っている。

だから、それが「逃げ」だと言われても、私は気にしなかった。

震災とフランス人パートナーとの関係

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今の私がいるのは、私の後を追うように東京→大阪へ移住したフランス人のパートナーのおかげだ。
そして、私達の関係性を支えていたのは、常に話し合いをしていたことだと思う。

私はフランス語が分からないし、彼の日本語はまだまだ。
二人の共通言語は英語。だけど、母国語ではないから誤解も生じやすい。
だから、とにかく話した。分からないことはそのままにせず、徹底的に話した。

家族・仕事・友人・生い立ち・趣味・宗教・戦争・歴史・政治・お金

険悪なムードになったり、言い合いになることはあったけれど、二人の間にタブーはなかった。
価値観を共有するために、とにかく色んな事柄に対して、意見を言い合った。

「何でも面倒くさがらずに話を聞いてくれたり、話し合いができる」

(これは、私がのちに結婚を決めるにあたって、大きなポイントになったのだ)

震災をきっかけに、私達の関係性は一歩コマを進めることになった。

そばに一人でも味方がいるというのは、本当に心強いのだということを改めて思い知った。

原発事故から学んだこと

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3.11の原発事故から学んだこと。

それは、社会というのは一人一人の日々の選択から作られているということ。

長年の間、原子力発電の負の部分に向き合わなかった結果、そしてリスクに対する考え方が甘かった結果が、この原発事故の要因の一つ。
知らない、知ろうとしないことは、罪深いとも言えるのだ。

ただ、過去を変えることはできないから、それなら「今」を変えていこう。
「今」の行動が未来につながるし、未来は変えられるかもしれない。

普段の買い物一つをとっても、その商品を選んで買うこと=その商品を作っている企業に投票しているということを知った。

一回一回の個人の行動はとてつもなく小さいものかもしれないけれど、その行動が積み上がって、選ばれた商品や企業が残っていくのだ。

直接的に声を上げていなくても、消費行動というのは、選挙の投票と同じ。

どんな商品が好き?どんな商品を選ぶ?なぜ?その企業は信頼できる?その選択に心から満足している?他の選択肢はない?

原発事故で放射性物質の影響を気にして、食品なら原材料や産地、製造所などすごく気にしてみるようにしていた。それは本当に骨の折れる作業であり、煩わしいものだった。それでも、毎日繰り返しチェックしていると、それは習慣となり、生活の一部となった。

特定の企業や誰かを否定するわけではない。
しかし、自分の選択には責任を持ちたいと思うようになった。
応援したい企業の商品を買うことは、その企業に投票するということ。
その一つ一つの選択が、社会を作っている。

思い描く未来があるのならば、その未来を実現させてくれるような選択をしよう。

小さい日々の選択が、大きな未来を作っている。

あなたの理想はどんな世界ですか?

今の子供達にどんな未来を残してあげられますか?

私は、日々の選択を大事にしていくと決めた。
それがどんなに小さくても、応援を積み重ねて、素敵な未来に繋げていきたいな。


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