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後ニケーア古代教父・資料

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記事一覧

『教会史』第3巻 第11章 シメオンがエルサレム教会をヤコブの後に統治したこと



ヤコブの殉教と、それに直ちに続いたエルサレムの征服の後で、まだ生きていた使徒たちと主の弟子たちは全ての方角から、肉において主の親族である者たち(まだ彼らの大部分も生きていた)と共に集まり来て、ヤコブを継承するに相応しい者が誰かについて合議した。



彼ら全ては一致を以て、シメオン、クロパの息子なる者(彼[クロパ?]についてはかの福音[書]も言及を為している)をその[エルサレム]管区の監督

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『教会史』第3巻 第5章 キリストの後の最後のユダヤ人包囲

第5章 キリストの後の最後のユダヤ人包囲

1節

ネロが十三年間の権力を保持した後で、そしてガルバ[Galba]とオト[Otho]が一年と六月間 統治した後で、ウェスパシアヌス、ユダヤ人たちに対する戦役において際立った者となった者が、ユダヤにおける主権を宣言され、そこの諸々の軍から皇帝の称号を受けた。それゆえ彼は直ちにローマへと出立し、ユダヤ人たちに対する戦争の指揮権を彼の息子ティトゥスに託した

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『弁明』(アクイレイアのルフィヌス)

アクイレイアのルフィヌスは、オリゲネスなどの著作の翻訳でしられる5世紀の著述家である。異端視されたオリゲネスの思想を紹介したことなどから異端の嫌疑がかけられることがあった。以下はローマ教皇アナスタシウス(在 AD 498-503)へ宛てたルフィヌスの弁明。

…以下、英訳からの重訳…

(1)

私の知るところとなったことによると、聖下が信仰に関する議題やその他の諸々の点において起こしてきた一連の

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『ナザレ人福音書』 断片

より。英語訳からの重訳。

正典に収められず失われた福音書型文書がいくつか存在する。その一つに、紀元2世紀から4世紀までの頃、主にシリア・パレスチナやエジプトの、ユダヤ人を多く含むキリスト教セクトにおいて重視されていた福音書(Jewish-Christian Gospel(s))があり、教会教父らの著作に断片的な引用が残っている。教父たちは明確な分類をしていないが、現代はこのユダヤ人の福音書を以下

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『ヘブライ人福音書』断片

:::::以下訳文:::::

ヘブライ人の福音書のうちにはこう書かれている。
「キリストが地に臨んで人々のところに来たいと望んだ時、善き父は天における力強い権能を呼び出した。それはミカエルと呼ばれた。そして[父は]その保護のもとにキリストを託した。そしてその権能は世界のうちに来て、マリアと呼ばれた。そしてキリストは彼女の胎内に七ヶ月あった。」
(エルサレムのキュリロス Discourse on

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『エビオン派福音書』断片

より。英語訳からの重訳。

紀元2世紀から4世紀ころまで教父たちが言及しているパレスチナの派閥であるエビオン派は、独自の福音書を持っていたと言われ、サラミスのエピファニオスによって数節の引用が残されている。

エビオン派は菜食主義であったため、洗礼者ヨハネがいなごを食べていたという記述を改変したとされる。

また、処女懐胎を否定するため、該当箇所が無く、洗礼者ヨハネの活動から始まっている。

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旧新約リスト 第三カルタゴ教会会議(AD 397)

http://www.bible-researcher.com/carthage.html

より。英訳からの重訳。

北アフリカのカルタゴでは教会史の初期から記録に残った多くの教会会議がもたれている。第三カルタゴ教会会議(AD 397)について明示的に確認された正典のリストが残っている。当時の西方教会を代表する見解であると思われる。(同じ北アフリカでも、アレクサンドリアはギリシア語圏であり、より

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エチミアジン写本229におけるマルコ16章エピローグへの付記

上記リンク先の22番目の画像がエチミアジン写本229(Matenadaran 2374)のファクシミリである。

アルメニア語聖書は始めシリア語聖書から訳されたが、5世紀前半にコンスタンティノープルから得たギリシア語写本をもとに改訂が行われた。

エチミアジン写本229(Matenadaran 2374)は989年に、5世紀の写本から写されたと考えられている。

そのマルコの福音書16章8節と9節

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『教会史』第3巻 第7章 キリストの諸予言

http://www.newadvent.org/fathers/250103.htm

第7章 キリストの諸予言

1節

これらの諸報告に、我らの救助者の真実なる予言を加えることは適切なことであろう。そこにおいて彼はまさにこれらの出来事を予告したのである。

2節

彼の諸々の言葉は以下のようである。…子どもと共にいる者たち、そしてそれらの日々に[乳]を吸わせている者たちに災いがある。しかしあ

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『教会史』第3巻 第6章 ユダヤ人たちを抑圧した飢饉について

第6章 ユダヤ人たちを抑圧した飢饉について

1節

ヨセフスの『歴史[ユダヤ戦記]』の第五書を再び手に取って、それから起こった諸々の悲劇的出来事について[話を]進めよう。

2節

彼が言うには、裕福な者たちにとって、留まることは同等に危険なことであったが、彼らは荒野に行くと見せかけて、自分たちの富のために死ぬことになったのである。暴動の狂気は飢饉に伴って増し、両方の惨劇が日に日に更に燃え上がっ

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マルコの福音書16章に関する古代教父の引用

マルコによる福音書の最終章16章は、バチカン写本(B, AD 4c)、シナイ写本(ℵ, AD 4c)、写本304(AD 12c)の三つのギリシア語写本において16章8節で終わっている。バチカン写本とシナイ写本は今日の聖書本文批評において極めて高い評価を得ているため、これら二つの証言を他の1600以上の写本よりも重視し、「マルコによる福音書16章9−20節はマルコによる福音書原本には含まれない、後世

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『教会史』第3巻 第4章 使徒たちの第一の継承者たち

第4章 使徒たちの第一の継承者たち

1節

パウロが異邦人たちへと宣教し、エルサレムからイリュリクムに至るまでも巡って諸教会の基礎を据えたということは、彼の言葉[ローマ 15:19]とルカが[使徒]行伝において為した報告の両方から明らかである。

2節

そしてどれだけ多くの地域でペテロがキリストを宣べ伝え、割礼している者たちに新しい契約の教義を教えたかは、既に異論なきものとして言及された彼の書

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『教会史』第3巻 第3章 使徒たちの諸々の書簡(エウセビオス)

第3章 使徒たちの諸々の書簡

1節

一[書]のペテロの書簡、すなわち第一と呼ばれるものは、真正なものと認められている。そしてこれを古代の長老たちは自由に彼ら自身の著作において異論なき[真正な]著作として用いている。しかし彼の残りの第二の書簡は正典に属さないということを我々は学んできた。それでも、それは多くの者たちに有益であるようであったので、他の諸々の聖書と共に用いられてきた。

2節

しか

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