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3月11日になるまえに・・・

2011年3月11日。自分が中学1年のときに悲劇は起きた。あの時はその深刻さを全くわかっていなかった。

テレビはニュースしかやってなく、CMも同じ、コンビニやスーパーからは物が消える。それでもハッキリとは分かっていなかった。知ろうともあまり思ってなかった。

でももう分かる。分かる人間に今はなれた。

影響があまりなかった人たち。
あの時はまだ小さかった子供。

色んな人々がまだ分かってない、知ろうとしてないのかもしれない。

それじゃだめだ、知るべきだ。

まだ自分の知らない事はたくさんある。全てを知った訳ではない。そんな奴が何言ってんだと思われたりもするかもしれない、それくらいシビアな出来事だから。

でも自分はこの約9年間で色々と考えさせられ、自分なりの色々な思いや考えがうまれた。

別にこのnoteは募金や寄付などを呼びかけてるわけじゃない、感じて、考えて、学ぶのが大事なことだと気づいて書いた。

途中で読むのをやめてくれても構わない。
震災について少しでも考えたり思い返したりしてくれれば。



奇跡の一本松 福島県陸前高田市

前に奇跡の一本松を訪れた。どういった場所かは調べてほしい。

今日はその感想だけ書く。

そこには何もなかった。普段なにも意識しなくてもはいってくる情報は一切なかった。
建物や木、明るい看板、

そこで見たのは広くなにもない土地。

台風がきてた影響かもしれないがきれい!といったものではなく何か恐ろしさを秘めた孤独なあれた海。

ほぼ全壊している建物が1棟。

そして大きな松の木1本。それだけ。

ここ立ったとき、自分は小さくちっぽけだと感覚的に感じた。

まだ以前のこの場所がどんな姿をしていた知る前だった。

そして知った。

ここには約7万本の松原があったこと。綺麗な浜辺があったこと。

そして津波は一本の松を残しすべてをのみこんだこと。

驚き恐ろしいと感じた。

3.11という大きな出来事を肌で感じた。そんな時間だった。

最後に伝えたいこと

もうすぐあれから9年がたつ。その事もあり自分の中にとどめていたこの経験から感じた思い。

人は忘れる生き物だから、

忘れていいこと、いけないことを判断して生きていかなきゃいけない。

その中で東日本大地震というできごとは絶対に忘れてはいけない。

あのできごとから何かを感じて、考えて、学ぶべきだと思う。それは人それぞれ色んな考えや形がある。

それでいいと思う。重要なのは内容じゃない。思うことだ。

それが自分の思い。考え。

#エッセイ #日記 #東日本大地震 #3月11日







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