伏せ字だらけのBOY MEETS GIRL
1
「まこと君は歌がうまいわね」
そう言われたのが始まりだった。
という話をすると、「まあ、それがきっかけで音楽を?」って言われることが多いけれど、ボクは逆に歌えなくなる。
クラスの皆が適当にやり過ごしている音楽の授業で、一瞬でも目立ってしまった自分が恥ずかしかった。
普段はほとんど喋れないクセに……。
心ない冷やかしも、やはり発生した。
「おーい、『ソプラノ』! 歌ってみろよ!」
その時からボクについたアダ名は「ソプラノ」で、高い声を出したことから「女みてーな奴」とからかわれることもあった。
陰気なボクがさらに陰鬱になったのは当然で、落書きされた鞄や教科書で毎日、涙で歪む顔を隠した。
死んでしまいたいと思った。
でも、死ぬ勇気なんて毛頭なくて、ベランダから身を乗り出してもヒヤリとするし、包丁なんて持っただけでもゾワゾワするし、少なくとも死ぬ才能は自分にないと悟った。
音楽の授業で歌を褒められたことなど、もうとっくに記憶の彼方だ。
何もない。そう思っていた――彼女に会うまでは。
2
屋上で、彼女はじっと外を見つめていた。
空でもない、地上でもない、――何かを。
歌声を知ったのは、何度か見かけるようになってからで、ボクは教室の喧騒から逃れるために、彼女は何かを見つけるためにそこに居た。
おそらくは自分自身と――多分、『音』。
そして探るように一音一音、紡ぎ出されたその声は、ボクの心を酷く動揺させた。
誰にも聴かせてはいけない歌だと思った。だってそれはまるで、ボク自身の声だったから。
3
「ねえ、キミっていつも屋上に来てるね」
声をかけられたその時、それが彼女と同一人物だとは思わずに、一瞬脳内がフリーズした。
「私、学校って嫌いなの」「そうですね」「やっぱりキミも?」「はい」
そうだよね、退屈だよね、と彼女は笑って、ボクは彼女がそんな風に笑うヒトだと思わなかったから、おそらくギクシャクしてしまったのだと思う。
「学校が嫌いだと、歌うしかないよね」「そう、ですか?」「歌わないヒト?」「はい」
寂しいのか安堵したのか分からないけど、薄く笑った彼女は、それ以上は言葉を続けなかった。
でも、足元はボクを向いたままでいる。
「私の歌、どう思う?」「え?」「意味のあることかな?」「意味ですか」
歌ってどうして歌うんだろう、歌う意味って何だろう、好きだから歌うんじゃないのかな、本当は誰かに聴かせたいのかな……そんなことを考えているウチに、彼女はついっと背を向けた。
「あっ、ちょっと」「ん?」「ちょっと……待って下さい」
震える足元に力を込めて、ここはきっと本音をぶつけるところなのだと拳を握った。
「ボクは好きです」「え」「ボクは好きです、アナタの歌――だから」
前を見なければと思った。ちゃんと目を見なくちゃ。そう思ったのに、
「歌うのを……止めないで下さい」
そう告げた時の、彼女の表情は謎のままだ。つまり、ボクは思い切り下を向いてしまったのだ。
「……ありがとう」
そう告げて、彼女はふわりと手を上げた。
それが、彼女との別れ。
とある事情で転校したと、聞いたのは後のことだ。
一つ学年が上の、少し有名な先輩だった。
4
一年後、とあるミュージックが、SNSでわずかに拡散された。
その音源を気まぐれに開いた時、ボクの鼓動は盛大に脈打つ。
「××××レコード」……まさかと思った。
そのレコード会社は、なんていうか……衝撃的だったから。
5
……わからない。
正直そう思った。
本能のままに打ち鳴らされた音楽は、まるで暗号のようだ。
あれほど身近に感じた彼女の歌が、今度はまったくわからなかった。
独特なアイコン、独特な戦略。
そのレコード会社で彼女は「〇〇〇」と名乗り、悪魔的なソングを量産していた。
だが、声は――あの声だ。ボクが、学校で唯一生きがいを感じた、魂を揺さぶる歌声。
6
ボクは、彼女の歌を聴きあさり、なんとか理解しようと躍起になった。
けど、わからなかった。わかるならどんな経験だってするのに、わからなかった。
その時だった――再び、音楽の授業があったのは。
ボクは自分の歌のことなどすっかり忘れ、彼女のことで頭が一杯だった。
だからテストの出番が来ても、うろ覚えの歌詞をテキトーに流した。
喝采が起こったのは、自分が天井を見ているのに気付いた頃だった。
「すごいわね、まこと君はやっぱり歌がうまいわね」「え?」
少し大人になったクラスメイトは、ただただ、静かに見つめている。
もう誰もボクを冷やかさなかった。
「音楽の道に進んでみたら?」「何でですか?」「可能性があるわよ」
ボクは黙り込んでしまい、だがその瞬間、ある思考回路が弾けた。
そうだ、「××××レコード」に応募しよう。そうすれば彼女に会える。
それが、浅はかな考えであることは、わりとすぐに判明することになる。
7
「つまんないね」「えっ」「つまんないね。キミの声。キミの歌。キミのルックス。どれを取ってもつまんないよ」「はあ……」「こりゃ無駄足だな」
ですよね、とボクは苦笑いをして、この日の為に買ったギターを引きずりながら背を向けた。
「でもさあ、別のレコード会社なら紹介出来るよ」「え?」「なんとかかんとかって言ってさあ、名前も覚えられないようなつまんないトコがあるんだけど」「なんとかかんとかって……」「なんとかかんとかは、なんとかかんとかだよ」「はあ」「大体、『〇〇〇』を狙って入るのが丸わかりなんだよね、どいつもこいつも」「えっ」「残念だけど、〇〇〇はもうウチに居ないよ。辞めたからね。所属してるのは、今はこの……」
そう言って、大きなポスターを取り出そうとしている面接官をよそに、ボクはオーディション会場を後にした。
視界の端で、チラリとポスターの女性がこちらを見ている気がした。
8
辞めた? 辞めただって? あれから数週間も経ってないのに?
ぐるぐる回る思考に眩暈まで起こりそうになって、ボクは歩調を止めた。
そして、彼女の姿が映るワケもない、街中の大型ビジョンを見上げる。
「!!」
ショックのせいか、テンションがおかしくなっていたのかもしれない。
けど、ビジョンの中の歌手に確かに何かが重なった気がした。
もしもボクが有名になったら……彼女はボクに気づいてくれる?
9
気づいたら、先ほどのオーディション会場に走っていた。
「あのっ!!」
面接官が、片付けていたポスターから視線を上げる。
「あのっ、何て言いましたっけ、その……」「え、なに?」「例のレコード会社!!」「だから、なんとかかんとかだよ」「なんとかかんとかじゃわかりません!!」
それから数十分粘って、なんとか彼のスマホで調べてもらって、ボクはレコード会社の名前をゲットした。そして……
10
「はじめまして!! 多田まことです!!」
そうして、ボクは、とうとう一員になった。
世界一つまんない曲を作るレコード会社……なんとかかんとかの。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?