伏せ字だらけのBOY MEETS GIRL

「まこと君は歌がうまいわね」
 そう言われたのが始まりだった。
 という話をすると、「まあ、それがきっかけで音楽を?」って言われることが多いけれど、ボクは逆に歌えなくなる。
 クラスの皆が適当にやり過ごしている音楽の授業で、一瞬でも目立ってしまった自分が恥ずかしかった。
 普段はほとんど喋れないクセに……。
 心ない冷やかしも、やはり発生した。

「おーい、『ソプラノ』! 歌ってみろよ!」
 その時からボクについたアダ名は「ソプラノ」で、高い声を出したことから「女みてーな奴」とからかわれることもあった。
 陰気なボクがさらに陰鬱になったのは当然で、落書きされた鞄や教科書で毎日、涙で歪む顔を隠した。
 死んでしまいたいと思った。

 でも、死ぬ勇気なんて毛頭なくて、ベランダから身を乗り出してもヒヤリとするし、包丁なんて持っただけでもゾワゾワするし、少なくとも死ぬ才能は自分にないと悟った。
 音楽の授業で歌を褒められたことなど、もうとっくに記憶の彼方だ。
 何もない。そう思っていた――彼女に会うまでは。

 屋上で、彼女はじっと外を見つめていた。
 空でもない、地上でもない、――何かを。
 歌声を知ったのは、何度か見かけるようになってからで、ボクは教室の喧騒から逃れるために、彼女は何かを見つけるためにそこに居た。
 おそらくは自分自身と――多分、『音』。
 そして探るように一音一音、紡ぎ出されたその声は、ボクの心を酷く動揺させた。
 誰にも聴かせてはいけない歌だと思った。だってそれはまるで、ボク自身の声だったから。

「ねえ、キミっていつも屋上に来てるね」
 声をかけられたその時、それが彼女と同一人物だとは思わずに、一瞬脳内がフリーズした。
「私、学校って嫌いなの」「そうですね」「やっぱりキミも?」「はい」
 そうだよね、退屈だよね、と彼女は笑って、ボクは彼女がそんな風に笑うヒトだと思わなかったから、おそらくギクシャクしてしまったのだと思う。
「学校が嫌いだと、歌うしかないよね」「そう、ですか?」「歌わないヒト?」「はい」
 寂しいのか安堵したのか分からないけど、薄く笑った彼女は、それ以上は言葉を続けなかった。
 でも、足元はボクを向いたままでいる。
「私の歌、どう思う?」「え?」「意味のあることかな?」「意味ですか」
 歌ってどうして歌うんだろう、歌う意味って何だろう、好きだから歌うんじゃないのかな、本当は誰かに聴かせたいのかな……そんなことを考えているウチに、彼女はついっと背を向けた。
「あっ、ちょっと」「ん?」「ちょっと……待って下さい」
 震える足元に力を込めて、ここはきっと本音をぶつけるところなのだと拳を握った。
「ボクは好きです」「え」「ボクは好きです、アナタの歌――だから」
 前を見なければと思った。ちゃんと目を見なくちゃ。そう思ったのに、
「歌うのを……止めないで下さい」
 そう告げた時の、彼女の表情は謎のままだ。つまり、ボクは思い切り下を向いてしまったのだ。
「……ありがとう」
 そう告げて、彼女はふわりと手を上げた。
 それが、彼女との別れ。
 とある事情で転校したと、聞いたのは後のことだ。
 一つ学年が上の、少し有名な先輩だった。

 一年後、とあるミュージックが、SNSでわずかに拡散された。
 その音源を気まぐれに開いた時、ボクの鼓動は盛大に脈打つ。
 「××××レコード」……まさかと思った。
 そのレコード会社は、なんていうか……衝撃的だったから。

 ……わからない。
 正直そう思った。
 本能のままに打ち鳴らされた音楽は、まるで暗号のようだ。
 あれほど身近に感じた彼女の歌が、今度はまったくわからなかった。
 独特なアイコン、独特な戦略。
 そのレコード会社で彼女は「〇〇〇」と名乗り、悪魔的なソングを量産していた。
 だが、声は――あの声だ。ボクが、学校で唯一生きがいを感じた、魂を揺さぶる歌声。

 ボクは、彼女の歌を聴きあさり、なんとか理解しようと躍起になった。
 けど、わからなかった。わかるならどんな経験だってするのに、わからなかった。
 その時だった――再び、音楽の授業があったのは。
 ボクは自分の歌のことなどすっかり忘れ、彼女のことで頭が一杯だった。  
 だからテストの出番が来ても、うろ覚えの歌詞をテキトーに流した。
 喝采が起こったのは、自分が天井を見ているのに気付いた頃だった。
「すごいわね、まこと君はやっぱり歌がうまいわね」「え?」
 少し大人になったクラスメイトは、ただただ、静かに見つめている。
 もう誰もボクを冷やかさなかった。
「音楽の道に進んでみたら?」「何でですか?」「可能性があるわよ」
 ボクは黙り込んでしまい、だがその瞬間、ある思考回路が弾けた。
 そうだ、「××××レコード」に応募しよう。そうすれば彼女に会える。
 それが、浅はかな考えであることは、わりとすぐに判明することになる。

「つまんないね」「えっ」「つまんないね。キミの声。キミの歌。キミのルックス。どれを取ってもつまんないよ」「はあ……」「こりゃ無駄足だな」
 ですよね、とボクは苦笑いをして、この日の為に買ったギターを引きずりながら背を向けた。
「でもさあ、別のレコード会社なら紹介出来るよ」「え?」「なんとかかんとかって言ってさあ、名前も覚えられないようなつまんないトコがあるんだけど」「なんとかかんとかって……」「なんとかかんとかは、なんとかかんとかだよ」「はあ」「大体、『〇〇〇』を狙って入るのが丸わかりなんだよね、どいつもこいつも」「えっ」「残念だけど、〇〇〇はもうウチに居ないよ。辞めたからね。所属してるのは、今はこの……」
 そう言って、大きなポスターを取り出そうとしている面接官をよそに、ボクはオーディション会場を後にした。
 視界の端で、チラリとポスターの女性がこちらを見ている気がした。



 辞めた? 辞めただって? あれから数週間も経ってないのに?
 ぐるぐる回る思考に眩暈まで起こりそうになって、ボクは歩調を止めた。
 そして、彼女の姿が映るワケもない、街中の大型ビジョンを見上げる。
「!!」
 ショックのせいか、テンションがおかしくなっていたのかもしれない。
 けど、ビジョンの中の歌手に確かに何かが重なった気がした。
 もしもボクが有名になったら……彼女はボクに気づいてくれる?

9 

 気づいたら、先ほどのオーディション会場に走っていた。
「あのっ!!」
 面接官が、片付けていたポスターから視線を上げる。
「あのっ、何て言いましたっけ、その……」「え、なに?」「例のレコード会社!!」「だから、なんとかかんとかだよ」「なんとかかんとかじゃわかりません!!」

 それから数十分粘って、なんとか彼のスマホで調べてもらって、ボクはレコード会社の名前をゲットした。そして……

10

「はじめまして!! 多田まことです!!」
 そうして、ボクは、とうとう一員になった。
 世界一つまんない曲を作るレコード会社……なんとかかんとかの。


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