野球を観て・野球をして
ここ数年でプロ野球観戦が僕の趣味となりました。
きっかけのひとつは球場での観戦。
折角関西に住んでいるのだからと足を運んだ甲子園。
すべてに魅了されました。
外野席は狭いし阪神ファンは少し怖いイメージもあります。
けれど実際に球場に足を運べば、気の良いおじさんが普通に話しかけてくれたり、ビールを奢ってくれたり、青空の下、売り子さんから買うビールで喉を鳴らしたり。
応援しているチームの選手がヒットで塁に出ればもちろん、四死球でも塁にさえ出れば球場は熱狂的な歓声に包まれます。
現地での観戦は五感で楽しむことができます。
今はそう思えるけれど昔からそうだっただろうか。
野球をして
僕は小中高と実際に野球をやってきましたがまともにプロ野球観戦をするようになったのはつい最近のこと。
自分で野球をやっていた時、野球観戦はあまりできませんでした。
それはやっている人の辛さ、プレーの難しさを知っていたからだと思います。
少年野球の頃から練習は厳しく辛いものでしたし、同級生、時には下級生上級生とも熾烈なレギュラー争いが行われます。
試合に出るまでも大変なのに出てからも大変。
良いとこで打たないと外されるし、試合にも負ける。
少しのメンタルの揺れでストライクが入らなくなったり、相手打線の調子や相性によっては良いところに投げることができてもボコボコに打たれたり。
練習試合の代打で出場した際も僕にとっては数少ないチャンスだったし、プレーのひとつひとつが命がけであり公式戦のようなものでした。
代打で凡退したり、四死球で自滅したりすればもちろん評価は落ちていきます。
それがたとえ練習試合であっても貴重なアピールの場。
不甲斐ないプレーをした後はいつもよく泣いていました。
とにかく野球に触れる時間を人よりも増やそうと朝練は誰よりも早く来て自主練をしたり、試合後にも練習をしたり、がむしゃらに悔いの無いよう行動してきました。
それでも結果が出ない辛さを知っています。
野球を観て
上記の点から当時の僕はプロ野球を観ることができませんでした。
良い場面で打てなかった選手や救援に失敗した選手に対して簡単に罵声を浴びせるファンが大嫌いでした。
そもそも良い場面じゃなくてランナーがいない場面でヒットを打つことがどれだけ難しいか、3人でキッチリイニングを締めてマウンドからベンチに帰ることがどれだけ難しいか身をもって知っていました。
しかし、高校野球をしていた頃から月日は流れ10年くらい経ちます。
プレーをすることは無くなり、野球に対するプレッシャーも無くなりました。
ずっと野球をしていたので、細かいプレーの意味や選手の心境、首脳陣のやろうとしていることや相手チームの戦力などがある程度理解でき、プロのレベルの高さを含めて楽しむことができるようになりました。
さいごに
野球をしていた頃は誰もが目指していただろうプロ野球選手。
実際にプロに進んで長く活躍している選手を観ることはとても楽しいし、同郷の選手や対戦したことのある選手がプロ野球選手になっていくと嬉しい気持ちになります。
プロの選手が練習しているところや考えていることを想像しながら親近感を持って応援する。
これからも自分にできない難しいことをしている選手たちを敬意をもって応援していきたいです。
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