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ジレンマ

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
私が不登校を語るときに感じるジレンマ
について書いていこうと思います。

そのジレンマとは

苦しみの渦中にいる子ども・親御さんに
自分の体験をどう語るか

ということです。

いま、私は
不登校が自分にとって必要な期間であり
自分を見つめる大切な経験だったと思えています。

しかしながら
闇のただなかにいるとき
到底そんなふうには思いませんでした。

辛い
苦しい
死にたい
死んだらこの辛さ苦しさから解放されるのに

こんな精神状態のときに

「この辛く苦しい期間を抜けたら楽になる」

というような意味合いのことを言われたらどうなるか。

より追い詰められます。
さらに闇が深まります。

そんなはずはない
この辛さ苦しさはずっと続いていくんだ
それなら死んでしまったほうがましだ

闇に堕ちているときに光を見せられても
闇の深さ、濃さが際立つだけです。

じゃあ
自分は何をしてほしかったのか

そばにいてほしかったのです
ただそれだけ

何もしなくていい
光なんて見せないで…!

闇の中にいるときに必要なのは太陽の光ではなく
足元を照らすろうそくの灯りなのです。

自分がいまたっている場所
そして
わたしとあなたの顔がわかるだけで充分。

それ以上にいろんなものが見えると辛くなっちゃいます。
自分を守るために見ない/見えないほうがいいときもあるのです。

この気持ちを自分自身が体感しているので
せめて自分がされて辛く苦しかったことだけでも他者にはしないようにすると決めています。

ただ
私にそういう意図がなかったとしても
私の話を聴いた相手がそういうふうにとらえてしまうこともあるでしょう。

相手の受け取り方を変えることはできない。

難しいです、すごく。

何も言えなくなっちゃうんだよなぁ…

それが相手を追い詰めると
辛さ苦しさを際立たせてしまうと
わかっているからこそ
言葉につまってしまいます。

それでもなんとか
言葉を紡いでいくしかない。

アドバイスしたくなる自分も顔を出すし…

体験を言葉にすること
相手の受け取り方に気を配ること
伝えることと伝わることの差を埋めること

それはとても難しいけれど
それでも私の語りが誰かの灯火となれるようなありかたを模索していきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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