見出し画像

情緒不安定で、トラウマ級アニメを観る

最近の自分は、どうも「情緒を揺さぶられたい」衝動に駆られるているようだ。

そもそもの始まりは、自分が趣味で恋愛小説を書くことに目覚め、その参考にと、プロ作家の恋愛小説を読み漁るようになったことだと思う。

自分の書くストーリーは、胸キュン&ほのぼの&ハッピーエンドを目指しているけど、プロの作品はそんなものだけでは終わらない。
社会に潜む深刻な問題への問いかけや、人間の本質の探究、複雑な感情の描写が緻密に組み込まれていて、暗澹とした読後感を引きずることになることもある。

そんな作品に当たったときは、読んだことをひどく後悔する。
そして、その重苦しさ・モヤモヤを取り払うがごとく、すぐに、次はハッピーエンドが約束されている作品を読んでリセットをはかるのだが、なぜか次には、結末が不穏な作品にまた手を出してしまう自分がいる。
そうやって、快→不快→快・・・という無限ループに陥ってしまっている。

そしてそれはもう、小説だけでは追い付けないほどの衝動で、アニメや映画にもその”情緒の揺さぶり”を求め始めたのだ。

50歳を過ぎたあたりから、刺激の強いものを求めなくなったはずなのに、実際はそうでもなかったようだ。

ちょっと前までは、『ハイキュー』や『スラムダンク』など、爽やかなスポーツものを観て楽しんでいたのに、先日は、やめればいいのに、Netflix『デビルマンcrybaby』を観てしまった!
昔、原作を読んだ時は、後悔して、これを自分に勧めた夫を恨んだものだった。
そんなトラウマ級の結末もわかっているのに、なぜそれを選んだのか、もう自分でもわからない・・・。

もしかしたら、先月娘が出ていった孤独感がそうさせているのかもしれない。
少し鬱っぽくなっていたけれど、このように読書や映画鑑賞などをしようと思えるということは、鬱ではないのでそれはそれで安心はしたのだけど。

実際のところ、このように刺激を求めるのは、自分自身の生活が平穏であることの裏返しでもあると思うので、ありがたいのかもしれない。

そういうわけで、花見にも行かず、家に籠り、荒れ狂う感情の波に身を委ねながら、春は過ぎようとしている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?