断想:いつでも強迫観念があるという話
わたくしのだいたいの行動は強迫観念に押されてのモノなんです。
仕事、家事、日常生活のイベントすべてがそういう感覚で。それは外から見て楽しいと思われるものでも当てはまるんですよね。
仕事などは適度なプレッシャーとなってモチベーションに繋がるとも言えましょう。
でも旅行だったり単に友達と会うなんてことまでプレッシャーになったらけっこうつらいものなんですよ。正確にいえば、旅行自体がプレッシャーなのではなくて、時間に間に合うかなとか、友達に会うのが辛いんじゃなくて、予約した店が変なところじゃないといいけど、とか。
予防策はいくらでもありますけど、常に心のなかをプレッシャーとか強迫観念に支配されているので、排除したって無駄なんです。
たとえば上述のように、予約した店が変なところじゃないといいけどという心配に対して、すでに訪問済のところを抑えれば済む話ですよね。そうするとその後、別の心配が頭をもたげてくるわけですよ。前にも同じメンバーで行ったよな、つまんなくないかな。といった具合です。
まあ実際は飲んだくれるので飲み会の心配なんぞどうでもいいのですがわかりやすい一例として挙げさせていただきました。
悲しいニュースが元日から流れましたね。
いまわたくしはその報せから数時間経った元日の晩にこれを綴っています。テレビも各局、正月特番を返上してニュースに切り替わっていますね。
そんななかでも大日本末期文学の連続投稿は止めるわけにはいかないとかいうどうでもいいプレッシャーと戦っており、ほんとうにどうでもいいと思いつつもやっぱりやめられないという強迫観念に押されているのです。
理解してほしいとは申しませんが、そういう状況なんですよね。
いつものような散文もさきほど下書きしました。でも、このあと状況がどうなるかもわからないなか、わたくしめの創作などもどうなっていくやら。
実はこれを綴りはじめるまえに、自粛とは~みたいなテーマを書きかけたんですが、あまりに自分の考えが整理されていないことを理由に、うわあっと叫びながらデリートしました。
(いったん保存して数時間経過)
民放各社が通常の正月番組に戻ったので、災害が落ち着いたわけではないだろうけど、一安心しました。
その間、いま自分がもっとも強迫観念に駆られてるやつ、しかし何より楽しいR-1グランプリの出番が発表されました。
WEBエントリーが上手くいってるか不安だったから良かったわね。1/8(祝)に出ますよう。
絶賛ネタ繰りちゅう。あぁこれ終わるまでずーーーっとリラックスできねえんだろうな。
さいきんようやく開き直って、強迫観念はいつまでもついてくるもの、何かに没頭してりゃそのときはどっかに行っているということを”頭では”理解できるようになりました。割り切れないけどね。
ともあれ、自分が平和なところにいるということ、そしてそのありがたさを噛みしめながら今夜は眠ろうと思います。おやすみなさい。