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断想:怠けと強迫観念 ~掛け算のときの脳はキラキラしてるよ。~


サブタイトルを~で挟むのっていつ誰がやり始めたんでしょう。ダセえよね。

怠け者ゆえに、少しでも楽をしたいんです。その「楽」のハードルが高いものだから、寝そべるにしても床が硬いとダメだし、雑事を"ある程度"済ませないと落ち着かなくて、雑念になってしまいます。

自分が勝手に腹のなかで師匠と思っている大学の先輩がいて、その方の座右の銘が「楽するために苦労する」なんですが、ほんとこれなんですよね。誤解のなきように野暮を承知で解説を加えると、苦労の先に目標点があって達成感を得られるということじゃないです。楽をしよう楽をしようとその点だけ気にして行動した結果、割と苦労しているということ。朝の通勤電車で座るために一本見送るみたいなことかなと思います。

でその、毎日生活していて、早く気持ちを落ち着けるためにすべてのことを一刻も早く済ませて雑事と雑念から解放されてゆっくりしたいと思うのだけど、次から次へと雑事と雑念は視線の先や脳内に現れてくるわけですね。あれをしなきゃこれをしなきゃと。

まぁつまり捉われの念、強迫観念みたいなものが強いんですよ。ほとんどのわたくしの行動はそのせいと言ってもいいでしょうね。だから適当にやってるように周りからは見えるだろうけど、実際は楽しくない楽しくないって思いながら生活している場面が多いんです。

理想が高いといえば聴こえがいい?完璧主義といえばめんどくさそう?その実、理想が高いわけでも完璧主義でもなく、早く楽をしたい、居眠りして妄想の世界に浸りたいんですよ。これを綴っているいまこの瞬間ですらそう思っています。

繰り返しますが別に崇高な理想を持っているわけじゃなくて、好きなときにトンカツが喰える生活でいいんですよ。眠いと思ったら寝ていい生活。あぁこれけっこう贅沢?そうかもね。じっさい眠いと思ったら寝ていい生活なんてそうとう難しいぜ?仕事もあるし、その他の用事もあるし。まそれはおいといて。

でじゃあなんで、次から次へと雑念が襲ってくるかというと、これだけ文系脳のくせにあらゆる物事を算数で考えてるからなんでしょうね。自分という主人公の気持ちに素直になればいいのに、無機質で容赦のない割り算に向き合おうとしているから、10÷3を3.33333333333333333333ってしちゃってるからね。適当なところで3.34…じゃなかった、3.3に丸めてしまえばいいんですよね。

ということも理屈ではわかっているんだけど、性能の悪い脳内電卓が延々と計算を繰り返しているんですよね。まったくもうね。

ただところが、さいきん自分のなかで少し進歩したことがありまして。これは周囲からみれば当たり前のことなんだろうけど、自分のなかではひとつ安心材料というか、「楽な生活」に近づいたというか。

割り切れないなら丸めてしまえばいい、ってことがわかっていながら割り切れない計算を続けてしまうのであれば、その惰性は無理に止めなくていいし、まぁそのうち疲れて止まるでしょ。って考えることができるようになりました。うん、ここまで時間かかった。円周率を何周したことやら。

今この瞬間もわたくしの脳内にいろいろな雑念が浮かんできます。心配事、やるべきこと、楽しみなこと(←これすら、ときに負担)。計算が同時にいくつも並行して進んでいて、このポンコツのスパコンはとろい計算を延々と繰り返す予定でいるようだけど、オーバーヒートしないようにときどき冷や水を掛けてやろうと考えるのです。

楽しみなことすら負担になるというのは、たとえば遅刻したらどうしよう、あの人に会ったらあのことを言わないとってわけですが、みなさんもこういうことはあるんですかね?別に遅刻してもいいし、いいそびれたことは今時LINEで言えばいいってことかも知れないんです。

これまでは思考回路そのものに圧迫感があって、自分の脳内ですら自由な議論が出来ていなかったんだけど、思想良心の自由ですよ、ね。

怠け者マインドと強迫観念が同居しているなかで、いかに労力少なく折り合いをつけるということ、それは自分を許容すること。3.3で止める。

そしてせっかくなんだから、自分にとって楽しいこと、ほんとうに役に立つことを考える時間に充てたいですね。思考し続けるってことを。

抽象的だけど割り算じゃなくて掛け算ってことでしょうか。掛け算の思考回路のほうが発展的だもんね。割り算のときの脳はモヤモヤしてるけど、掛け算のときの脳はキラキラしてるよ。

まとめますと

1.みなさん強迫観念ってもってますか?どんなのですか?

2.楽するために苦労するってやるよね?

3.新幹線に乗る時(指定席)、ホームに何分前に着いてればいい?

というところですかね。

















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