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#3 私が変わっていく。

初めての入院生活。心電図、血圧、脈拍、モニター付き、点滴もうたれる。そんなに危険な状態だったんだ。低血糖で死ぬこともあるんだ。ピンとこなかった。
三日目くらいから、重湯の食事が始まった。それさえも初めは不安で仕方なかった。
血糖値は食前、食後測った。
人前での食事、またげっぷが出たらどうしよう、色々な思いがあったが、今はとにかく食べないと治らないから、頑張ることにした。
味がない。固形物もない。こんな食事ははじめて。3日目から八分粥、五日目から六分粥、それぞれに、細かく刻んだ野菜やたんぱく質のおかず。たまにフルーツや乳製品。とてもバランスがよい。
一週間目からやっと刻んでないおかずになった。相変わらずお粥だ。
毎日面会に来てくれる子供たちは、完食出来たこともそうだが、食べてる私を見て驚いている。本当に良かったと。娘たちはおにぎり持参で、病室でお昼を食べたりした。一緒に食べるなんて普通のことなのに、今までやってあげなかったことだから、とても嬉しそうに食べてくれた。
当たり前のことが、今は普通にできるようになった。
生きていたからこそだが。
食べないでいられたということが異常だと言う事で、精神的なものからの診断もあり、退院がながくなりそうになり困った。
自分では、もう普通の生活が出きるようになっていると言っても、先生方、子供たちは、絶対に無理だと言う。

退院の条件として、精神科の病院に転院することにされた。幸い有給休暇が残っているのでしぶしぶだが、了解した。

内科の先生が、私のような患者2,3人が亡くなったのを見てきて、非常に悔しい思いをしてきたそうなのだ。私にはそうはならないでほしいと言ってくださり、転院をすすめられた。また元に戻ってしまうことの心配も大いにあるのだ。

 もうひとつ、リフィーディング症候群と言う、長い間飢餓状態にいた人が急激に栄養を再摂取することで、代謝異常により、心停止を含む重篤な致命的合併症が起きるというもの。

それも避けなくてはならないので、退院することはまだ早いと言われた。

私は自分の体だから自分でコントロール出来ると言い張る。血液の状態もよい。早く退院したいのだ。

転院を進めてくれた内科の一人の先生が、こんなにしかっりした娘さんたちたじゃなかったら、すぐに、じゃあ退院しましょうとなっていたと。心配している娘たちを見ていて、わがままな私をなんとか説得しなければと、思ってくださったのだ。

本当に嬉しかった。

こんなに心配していてくれるのに、なんで私は頑固なんだろう。

自分でどれだけのことが出来るかわらないのに。

いよいよ転院の日を迎えた。半日いたが、私はその日の夕方、我慢できず退院を決心した。私は直ぐに迎えに来てもらい、家に帰った。

これでよかったのだ。そこでの食事は入院生活の中で一番嫌だった。義務的すぎた。仕方ないから食べたが、苦痛だった。

まさかの退院だったが、私の思いを先生も、娘たちも理解してくれた。

ホームドクターがいた方がこれから先も良いということで、入院していた病院に、紹介状を書いて頂いた。そこで定期的に検診をすると約束した。

病院から駅までの帰り道が、とても疲れた。こんなに衰えていたんだと、これからのことが心配になった。

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