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#4 当たり前の生活

やっと着いた。帰ってこなかったら、私から笑顔が消えていたに違いない。

それくらい合わなかった。もう二度と行きたくないところだ。

娘たちが、夕飯も取らず来てくれたので、あるもので済ませることにした。

昨夜のチヂミを出してれた。お腹がすいてないのにつまんだ。パンも食べた。麻婆豆腐も食べた。おせんべいも食べた。何だか落ち着かないのだ。

みんなが心配しているのが分かる。やっぱり駄目だったのかと思わせている。

でも、止められない。自分でも分かっているのだ。もう悲しくなった。ほっといてほしかった。娘は優しく抱きしめてくれた。

二人が心配しつつ、部屋に行った。

情けない。退院してすぐこのざまだ。何のために入院したの?

もう戻れないのだろうか。そういう気持ちのまま嫌な自分に取りつかれて、床に就いた。

次の日の朝、無事に迎えられた。

次女がこれからの食事を作ってくれることになった。

今日は四人で食べたが、とても美味しかった。初めてかもしれない、大人になってみんなで一緒に朝食なんて。野菜、たんぱく質、お粥と、とてもバランスがいいのだ。

和やかな雰囲気での中、安心感で一杯になった。普通のことなのに。たわいのないことなのに。

無事に食べられて良かった。子供たちもほっとした様子だ。自然にごちそうさまでしたと言えた。家族団らんて、なんてすばらしいことなんだろう。

今まで心配していたことが、スーッと消えた。みんなの安心した笑顔を見たらうれしくて、帰って来て正解だったと思った。

前日の不安定な気持ちが嘘のように消えた。

精神科に対する嫌悪感からきていたのかもしれない。

自分で何でも出来ると思っていたが、階段すら登れないのだ。それでも退院したいばかりに、食事の支度も自分でやるとか、一人でも大丈夫とか強がったりと、今思うと自分でも呆れる発言ばかりだった。

我慢して聞いているみんなも疲れただろうな。自分の気持ちばかり優先して、人の話を聞かないんだから。

みんながいてくれてやっとここまでこれたのに。

でも、これからは素直になれると思う。イライラすることもないだろうし、アドバイスも聞き入れられる気持ちの余裕ができた。

元に戻ってしまうんではないかという不安は消えた。

遊びに来た長男も、じっとしてられない私を知っているので、帰ってきてよかったと言ってくれた。

長男とも昼ご飯を食べた。普通のことなのに、とても新鮮で、嬉しかった。

毎日の食事も用意してくれ、後片付け、洗濯、家事すべて、子供たちが手分けしてやってくれている。

安心して休めている。このまま、回復に向かっていけるという自信が出来た。

三食きちんと、残さず食べられる。水分補給も怠らない。

いままでとは正反対の生活。やっと人間らしい生活が出来たという感じ。

夜寝る前に、娘たちはいつも、手足のマッサージ、ヘッドスパまでしてくれる。入院生活中もやってくれていた。まるでエステのようだった。看護師さんも笑っていた。

その時間、今の自分の生活が実感出来なくてつい感慨深げにため息をついてしまうのだ。そして今まで考えてきたこと、体験してきたことと、たくさん聞いてもらっている。

娘たちもたくさん話してくれる。今まで言いにくかったこともないと思ってきたことなど、全部聞いてくれる。

こんな体験をしなかったら、何一つ話さず、墓場まで持っていこうと思っていたのだ。

でも子供たちは、全部知っていた。ただ、言っても聞かないのわかっているから、どうしたものかと困っていたのだ。

私はいいの、ほっといてだの、勝手なことばかり言っていた。

体調が悪そうなのはだれが見てもわかるのに、医者に行くなど考えてもいなかった。

今となっては倒れて良かったと、子供たちも思っている。そうじゃなかったら、本当に手遅れで、生きてはいられなっかっただろう。

お腹がいっぱいという感覚がわからない、お腹がすかない、何が食べたいのかわからない、これは普通でない。脳の機能が完全にくるっていた。

よく自分が死ぬときのことを考えていた。たくさん食べていた時死んだら、解剖に立ち会った人たちが驚くだろうなとくだらないことも考えた。

そうならなくてよかった。自分で今までのこと話すことができて。家に帰って来てから

心療内科にも行くことになった。そこでも、今までの経過を話し、順調に回復に向かっていると伝えた。先生はよく話を聞いてくださり、無理強いをしない、とても安心感を感じる方だ。

摂食障害の人は、骨密度が減っていたり、脳萎縮の確率も高いので、検査をした。

やはり骨密度は100歳と言われた。思わず笑ってしまった。

脳は年相応。良かった。骨の方は、ひと月に一回の薬で予防することにした。

少しずつつだが、回復に向かっていっている。私一人では絶対に治らなかった。

これは本当に自信をもって言えることだ。先生も家族みんなに感謝の気持ちをわすれないようとおしゃっていた。その通りだ。

家族の必死の愛情のおかげで、生きられ、忘れていた普通の生活、人間として当たり前のこと、普通に食べ、飲むことなど、すべてできるようになったのだ。

長かった。子供ときのように、何も心配ごとを感じないで過ごしている毎日だ。

こんなに甘えてていいのだろうか、と不安も感じる。

子供たちは進んで、私の世話をしてくれる。私も以前のような意地も張らず、素直になった。そして何より家族で話すことが当たり前になった。

食事、入浴、ドライヤーで髪まで乾かしてもらっている。

近くのスーパーまで散歩を兼ねて出かける。いつも手ぶらで。

歩くのが一番の運動だから、毎日外へ出るようにしている。階段はまだしんどい。

 


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