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映画『流浪の月』感想|見たいようにしか見ない人々
先日、映画『流浪の月』を鑑賞しました。
あまりにも救いがなくて、観ていて苦しい映画。それでいて、観る人が抱える地獄に優しく寄り添ってくれるような映画でした。
人は、自分に理解できない存在に恐れを抱く生き物なのだと思います。自分とは違う存在が怖くてしかたなくて、攻撃せずにはいられないのだと。
だから、形を与えて、ラベルを貼っておく。そうすることで、やっと安心することができる、臆病な生き物なのだと思うのです。
周囲から“被害児童”として見られ、“かわいそう”だと思われ生きてきた更紗。
“加害者”として見られ、「ロリコン」と呼ばれ生きてきた文。
15年後、再開した2人は再び関わりを持ち始める。そんな2人を、世間は理解できない。週刊誌は狂気の沙汰だと囃し立てる。2人のささやかな安らぎさえも壊されていく。
無責任な“心配”を押し付けてくる周囲。ほっといてくれるだけで良いのに。
更紗と文の選択が正しいのか、私には分かりません。けれど、どうか2人がいつか心安らぐ場所を見つけられたら良いなと思います。
帰れない事情を抱えた少女・更紗(さらさ)と、彼女を家に招き入れた孤独な大学生・文(ふみ)。居場所を見つけた幸せを噛みしめたその夏の終わり、文は「誘拐犯」、更紗は「被害女児」となった。
15年後。偶然の再会を遂げたふたり。それぞれの隣には現在の恋人、亮と谷がいた。
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