『ドラゴンボールの息子』その7「あかほりさんのファミコン」
僕の父・小山高生は、脚本家集団『ぶらざあのっぽ』を結成して数多くのお弟子さんたちをアニメ業界へと送り込みました。
『ぶらざあのっぽ』がどんな場所だったのかを語るのはまだ、もう少し先にするとして……
父のお弟子さんの中に、
あかほりさとるさんという人がいました。
あかほりさんは後に『ライトノベル作家』として数多くのヒット作を生み出し、累計2000万部以上を売り上げるビッグな人物になるのです。
世間には「外道キャラ」として有名ですが、弟子入りした当時はまだ、明治大学に通う21才の好青年でした。
父・小山高生が「織田信長」だとしたら、あかほりさんは「豊臣秀吉」のような人で、いつも笑顔で、細やかな気遣いが出来て、師匠の草履だって懐で温めかねない人だったんです。
見てください、このピュアな姿を!
それが、今ではこんな姿になってしまうなんて……売れるって怖いわぁ(笑)
僕が保育園に通ってた頃、あかほりさんは父の
「ドライバー」兼「便利屋」として、いつも行動を共にしていました。
ちょうどそんな頃、僕は「麻疹(はしか)」にかかってしまい、長く保育園を休むことになってしまいました。
すると、あかほりさんは僕が家で退屈しないようにと気遣ってくださり、当時まだ出たばかりの「ファミコン」を貸してくれたのです。
でも、僕にはあかほりさんのファミコンで遊んだ記憶がほとんどありません。
それは、うちの両親がファミコンにどハマりしてしまったから(笑)
まず、うちの父がハマってしまったのが……
「ドラゴンクエスト」です。
よりにもよって、ロールプレイングゲーム。
麻疹にかかった僕の枕元に置いてあった小さなテレビの前に、体の大きな父がず~っと居座ってしまうという展開に(笑)
ドラクエはどのみち保育園児には難しかったので、僕は父の遊んでいる姿をずっと眺めるだけで楽しかった記憶があります。
そして、今度は母があの名作にはまってしまうのです。
そう……「スーパーマリオ」です!
うちの母は普段は穏やかな人なんですが、
驚くほどにマリオには熱中していました。
マリオが飛べば母も飛び、マリオが落ちれば母もガクンと崩れ落ちる。
母はまさに、マリオと一心同体の白熱プレイでクリアに向けて挑戦を続けていました。
あの当時はまだセーブして途中からゲームを再開するなんてことは出来ませんでしたから、一度始めたら全部クリアするか、ゲームオーバーになるかしかなかったんです。
要するに、めちゃくちゃハードモード。
でも母は、何度マリオを死なせても諦めなかった……!
「真、起きて! 起きてっ!!」
ある日、僕は真夜中に叩き起こされました。
「8-3まで行ったよ!!!」
そうです、遂に母は苦難の末に最終ステージにたどり着いたのです!
でもさ……母ちゃん? わかってます?
僕、麻疹なんですけど(笑)
そのあと、母は見事にマリオを死なせてゲームオーバーになってました。
こんな風に両親がファミコンにはまっている間に、気付くと僕の麻疹はすっかりよくなっていました。
将来、大物作家になるあかほりさんも、こんな展開は想像していなかったことでしょう。
今思い出してみても……やっぱり、
我が家はちょっと変なのかもしれないですね。